同じリチャード・フライシャー監督の1968年の「絞殺魔」と同様に実際の連続殺人事件の映画化。
<ストーリー>
元警官クリスティ(リチャード・アッテンボロー)による連続殺人事件、被害者の一人妊婦ベリル・エヴァンス(ジュディ・ギーソン)は貧しいために中絶処置をクリスティに依頼し殺されてしまう。夫のティモシー・エヴァンス(ジョン・ハート)は文盲で誇大妄想気味な虚言癖があるために、これを利用されて犯人にされてしまう。
クリスティの犯罪は計画性が無い犯行にも関わらず、ジョン・ハートの反応を見ながら、うまく家から追い出し、夜逃げにして赤ん坊殺しの罪もうまく着せてしまう。
ティモシーは絞首刑になるが、後日、クリスティの住んでいた部屋から多くの遺体が見つかりクリスティが真犯人とわかる。
ティモシーの罪は死後冤罪となったが、この事件が契機になりイギリスでは死刑廃止論が活発になり、現在イギリスでは死刑制度は廃止されている。
淡々と殺人行為のみを描く
フライシャー監督は、「絞殺魔」で多用された分割スクリーンなどの映像テクニックは使わずに本作ではオーソドックスな手法で淡々と描いている。
結局、クリスティの殺人の動機はこの映画では判らない、明らかな精神異常ということでもなさそうだし、金銭の強奪目的でもない。
ただし、死後に胸を触ったり、キスをしたりするので屍姦目的の可能性は高い。
(殺害後に被害者の胸をまさぐる)
(絞殺後に死体に抱き着きキス)
ロケーションも実際に殺人が行われたアパートで行われ、セリフも
可及的に実際の証言の記録に基づいて書かれている。
(死体が隠してあったアパートが20年以上も取り壊されていないのが不思議)
不気味なリチャード・アッテンボロー
ある程度のインテリジェンスがあり、激昂することなく落ち着いた雰囲気のリチャード・アッテンボローの演技は不気味。
丸顔をさらに強調するために禿頭にして温和そうなビジュアルを強調している。
ティモシーの死刑が確定した時の突然の号泣も異様。
若き日のジョン・ハート
ジョン・ハートは「エイリアン」や「エレファントマン」で有名になったが、この当時はまだ無名。
しかし、この作品や「わが命つきるとも」では印象的な演技をみせている。
この映画では妻だけでなく赤ん坊の死を知った時や、死刑判決を聞いている時の無言の演技がうまい。
(無言のズームアップの緊迫感)
(自失茫然と死刑判決を聞くエヴァンス)
(刑は執行されてしまう)
社会的なメッセージや犯人の深層心理の分析などは一切無く、ドキュメンタリータッチで出来事のみを淡々を描いていく。
印象的なショットが多数
死体を埋める時に出てくる以前に埋めた死体の足
庭の死体を埋めた場所をうろつく犬
夫婦喧嘩で倒れた瞬間にあらわになるエヴァンス夫人の脚
警官がクリスティのの家に捜索に来た時に袋から出る足
壁の向こうの死体
大作駄作、小品傑作のリチャード・フライシャー監督
リチャード・フライシャーは1966年に「ミクロの決死圏」、翌1967年に「ドリトル先生不思議な旅」という大味な大作の後に、1968年に傑作「絞殺魔」、1970年には超大作「トラ・トラ・トラ」のアメリカ側の演出を担当し、これは佳作だったが、その翌年の1971年に本作「10番街の殺人」、以降、「見えない恐怖(1971)」「センチュリアン(1972)」「ソイレント・グリーン(1973)」「スパイクス・ギャング(1974)」「マンディンゴ(1975)」と毎年のように傑作を作りながら、「王様と乞食(1977)」「アシャンティ(1978)」と再び大作駄作2連発という、小品≒傑作、大作≒駄作という方程式を持った不思議な監督だ。
ラストは「絞殺魔」同様に息遣いで終わり、エンドクレジットに音楽はない。
1971年 イギリス カラー111分
【鑑賞方法】DVD(字幕)
【英題・原題】10 RELLINGTON PLACE
【制作会社】コロンビア
【配給会社】日本未公開
【監督】リチャード・フライシャー
【脚本】クライヴ・エクストン
【原作】ルドヴィック・ケネディ
【制作】レスリー・リンダ― マーティン・ランソフォフ
【撮影】デニス・N・クープ
【音楽】ジョン・ダンクワース
【出演】
リチャード・アッテンボロー:ジョン・クリスティ
ジョン・ハート:ティモシー・エヴァンス
ジュディ・ギーソン:ベリル・エヴァンス