明治天皇は2人いた。隠された皇統の真の姿〜後編〜|落合莞爾 (youtube.com)

 

MATAGIさんという方のコメントですが

なるほど と感じましたので 転載しておきます

 

「まずおさえるべきは、「二人の明治天皇」です。

 一般に知られている、明治天皇は、系図からいうと、 

光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇、睦仁親王と来ます

。これが閑院宮家です。

 そして一般には睦仁親王が明治天皇になったとされています

が、落合先生が話していた通り、明治天皇の大嘗祭に

睦仁親王ともう一人が即位しています。 

そのもう一人というのが「大室寅之祐」です。

 我々が知っている、明治天皇のお顔は大室の方で、

こちらが表側に立たせる「政体天皇」と呼んでます。

 一方、裏に回り世論の干渉を受けずに祭祀を司る

「國體天皇」という存在がおり、睦仁親王は

國體明治天皇となられました。 

ですので、國體天皇は、裏天皇と呼ばれたり、京都堀川御所

にいたことから、「京都皇統」とも呼ばれます。 

では「大室」とは何者か、となると思いますが、

2000年以上の歴史を持つ天皇家には、多くの子孫が生まれ、

それがどんどん増えていっていることは想像できると思います。

 ですので、定期的に臣籍降下として。皇族から一般人になる人の数も多くいます。

竹田恒泰や華頂宮なんかが最近ユーチューブでがんばってますね。 

で、明治維新が表向き薩長主導で行われたことはご存知だと

思いますが、長州(山口県)は大内氏をはじめ、

朝鮮半島からの渡来人が多く、現在の在日問題同様に、

外国勢力に籠絡され、反乱を起こしそうな分子が多数存在

していました。

 そのため、皇室からも監視のために、長州に潜入し

監督する家柄が存在し、端的に言えばその一つが

「大室家」でした。

「長州奇兵隊天皇」と呼ばれる所以はそこにあるのです。

大室寅之祐は血統的にも、正統の皇位継承権を持った

れっきとした天皇です。 

ではどのようにして、”正統な天皇”というものが決まるのか

。ということですが、それは南北朝まで遡ります。

 南北朝問題は、後醍醐天皇の時に北朝、南朝に別れ

相対立を演出し、今でも南朝、北朝問題が論争されています

(すでに解決済み)。 

後醍醐天皇の皇子に”大塔宮護良親王”という、

聖徳太子以来の俊秀といわれる皇子が生まれ、

以後の天皇は、端的に言えば「護良親王の直系男系子孫

にのみ限られる」 ということが決定されました。

このような、皇族や公家、武家などの不文律を定めたものを

”有職故実”と言い、超法規的な存在としてあります。 

話を京都皇統に戻すと、國體天皇になった睦仁親王からの

直系子孫が、堀川辰吉郎、高松宮宣仁親王。となります。

 高松宮様は昭和天皇の弟だろ!との声が聞こえてきそう

ですが、先述したように長い歴史の中で、多くの皇族子孫が

おり、時の朝廷をより強化するために、裏から表に回ってくる

ことがあるのです。

 昭和天皇の4兄弟は皆、本当の兄弟ではないとされています。

特に四番目の三笠宮は三番目の高松宮様から10歳ほど

年が離れております。

そしてもともと、傍流の三笠宮は残念ながら、皇室に対し

背任行為を働いてしまいました。 

皇室を歪める歴史観を流布したり、我々日本人が本当の

日本の歴史を知らされていない理由がそれなのです。 

三笠宮が薨去され、だんだんと本当の歴史を明るみに出す

ことができる時代が到来したことは喜ばしいことです」