『天を味方につける生き方』から(2)



 今回も前回に続き、山納銀之輔(さんのうぎんのすけ)さんの話題です。
 銀之輔さんの動画を観た方はご存じだと思いますが、銀之輔さんは19歳のとき、満員電車の山の手線に乗っているとき、見知らぬ老人から手相を見られて、「あんたは、100万人に一人の手相だ」と言われます。
 その老人は手相から銀之輔さんのこれからの人生のを語ったのですが、それが見事にその後の銀之輔さんの人生の歩みと一致したようです。
 銀之輔さんが“高田馬場のじいちゃん”と呼ぶその老人は、銀之輔さんは人の何十倍も苦労するけど、自分の信じた道を歩むようにと言ったそうです。
 今回は、そうした銀之輔さんの(人の何十倍も苦労した)人生の挫折を取り上げたいと思います。
 銀之輔さんの挫折は3回あったようです。
 まず最初は、青年実業家として順風満帆の人生を歩んでいた20代の頃です。

 『天を味方につける生き方』(山納銀之輔著、ヒカルランド)から抜粋して紹介させていただきます。


 ・・・<『天を味方につける生き方』、p130~pから抜粋開始>・・・

 おいしい話には裏が有る。6400万持ち逃げ事件

 高田馬場のじいちゃんが、日本の代表になるっていった26歳のときに、さっきも言ったけど、俺は全国大会で優秀賞をもらって、その流れで20代の経営者の代表になって小渕総理と対談しました。本当に起こったんです。
 その頃は金儲けをしていたんですよ(笑)。スーツを着て、外車を乗り回して、車が12台あったから、毎月車検でした。今はその頃の自分が本当に大っ嫌いですね。みんなにチヤホヤされて、テレビにも出ていたから、調子に乗っていた。いろんな人が寄ってきて、ものすごくいろんな電話がかかってきて。持ち上げられて、誰がいい人で誰が悪い人か全然分からなくなりました。
 今考えると下心のある人がいっぱい現れてたんです。そんなときにとてつもなく大きな仕事が舞い込んで、下請けまで雇ってやりました。そうしたらね。その中間に入った会社がいなくなっちゃって6400万円が消えちゃった。
 持ち逃げされた6400万円、全部俺の借金。だって俺が元請けでしたから。俺が払わなきゃなんないから、下請けに。大損害なんてもんじゃなかったです。どうにもならなくて悔しさと怒りと悲しみの毎日。
 もうこれ死ぬしかねえって思ったんですけど、でもそのときはこらえたんですね。何とかなるだろうと思って。頑張って稼ごう、俺ならやれるって。
 月末の集金と支払いの心配だけ考え続けて、従業員全員に仕事が行き渡ってるか目を配って、ずっと計算し続けて3年間。毎日3カ所の銀行が金を取りに来て全然面白くも何ともないよね。3年間で十二指腸潰瘍に8回もなりました。

 人生最初のどん底、俺はお金の奴隷をやめた

 もしこのまま70歳になったら、俺は多分お墓に入るときにすっげえ後悔すると思った。
 「一生に1回しかない人生がこれかって。経営者としての俺は、売り上げやお金を増やしたその先に幸せがないと気づいちゃったんです。それで会社を解散することに決めました。車も家も、実家も事務所も会社も、借金のかたになくなった。ゼロから出直しだって思いました。会社を解散するときに、従業員のことがどうしても引っかかってたから、全員いい会社に紹介して、それから解散しました。俺は無職になり、子どもが3人いる幸せな家庭ともお別れすることになりました。
 そして、新しい人生を歩むために村づくりを始めたんです。お金が無くても心配事がないように、すごく気の合う仲間で、いつもみんなと笑って暮らせる村をつくりたい。みんなが自給自足で暮らせるようにしよう。「村づくり」なんて聞いたこともなかったころの話です。「エコビレッジ」と今は言われていますが、そのころはエコビレッジなんて名前もないし、DASH村もなかった。変わり者扱いでした。
 「みんな、ついてきてくれよ。一緒にやろうぜ」と言っても誰も来なかった。親友と思っていたやつも来なかった。俺に話しかけてくれる人もいないし、優しくしてくれる人もいない。会社を解散したとたん、仲良いと思ってた人たちが全員冷たくなって、それがあまりにも悲しくて俺の心はそのときズタズタになっちゃった。

 6回の自殺未遂。だけど……死ねない!

 それまでの仲良くしていたみんなに背を向けられて、そのとき完全に死のうと思って。
 首つりしたんです。最初はヒモで。でも毎回切れちゃう。ヒモを太くして、これは切れないだろうっていうヒモが切れちゃうんです。最後はタオルでやったの。そうしたらうまくいって、俺はやっと意識を失いました。6回目だった。
 でも気が付いたら、あれまだ俺生きてるっていう状態。タオルがちぎれていました。6回やって死ねなかった。
 もう分かった。人は寿命が決まっていて、そんときまでは絶対死ねないようになってるんだと思った。どんなにつらくても生きるしかないんだって思いました。
 それで俺が本当に幸せを感じることはなんだろうって考えました。
 俺はやっぱり誰かが喜んでくれることが大好きなんです。家の医者を始めたのも誰かに喜んでもらえたからだった。
 もうこんな孤独は終わりにしたかった。でもどうやって?

 お金は人生ゲームの券 ただの紙切れだ

 そう思ったときに、友達のナイジェリア人のサムエルのことを思い出した。サムエルはよく俺ん家に来て衛星放送でBBCニュースやCNNニュースを見てた。そしたら全然日本のニュースと違うこと言ってるんです。日本では「戦後最大の好景気です」なんて言ってるのに、「日本は韓国に追い抜かれるでしょう。日本の借金は2兆円になります」とか言ってる。「何それ。聞き間違いじゃないの?」「本当だよ」って、それをサムエルが全部説明してくれるんです。通訳して。あれ? 日本のニュースって嘘つくことあるんだ。
 それで俺たちはコントロールされてる、ってわかっちゃったんですね。コントロールされていることを知って、そのときに急にお金が人生ゲームの紙切れに見えたんです。日本のコインには日本国って書いてあるのに、紙幣には日本銀行券って書いてあったの。券なのただの。俺をあんなに苦しめて、俺の周りの人間がいなくなった人生ゲームの券。ただのチラシと同じ紙切れに見えた。そのことを思い出したんです。
 お金ってなんなんだって思いました。なんでお金が必要なんだろうって。食っていくため。それならもし食べものが溢れてたらって考えた。じゃあ家は。みんながローンを組んで家を建てているけど、じゃあ家も余る程あったり、つくるのが簡単だったらローンも組まなくていいよねっていう所に行きついたんですね。
 だから、全部つくっちゃおうと思ったんです。広い所でみんなでつくれば、もし日本円が紙切れになったとしても何とかなるだろうって。どうせもう誰もいない。俺はひとりぼっちだから今から仲間を集めて、友達をこれから作っていこうと。今度は本当の友達を作ろうと。その村で本当の幸せを手に入れようって。

 全てが金だった20代で俺は人の裏切りを知った。金が全てじゃないこと、もっと大事なことがあるってことが分かった。だから俺の村は金が必要ない楽園にしようと思ったんです。衣食住、全部そこでまかなえて。生きるために必要な物は全てそこにあって、俺が大好きな人たちと笑顔で暮らせる村をつくろうって思ったんです。その時、俺は30歳でした。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 銀之輔さんは、6回も首つりにチャレンジしてことごとく失敗しました。
 そういえば、奇跡のリンゴで知られる木村秋則さんが自然栽培に絶望して首をつろうと岩木山に入った話を思い出しました。
 適当な枝が見つかり木の枝にロープを投げると、そのロープがあらぬ方向に飛んでいき、その先に見事なリンゴの木を発見します。自然に自生するそのリンゴの木を見て、木村さんは自然栽培のヒントを得ます。
 サアラさんが言っていましたが、人はハイヤーセルフが許可しない限り、死ぬことはできないそうです。その人の人生の計画があり、死ぬタイミングが来ていない限り、死のうとしてもどうしても死ねない、という現象が起こるそうです。
 普通のタオルは成人男性の体重を十分に支えられる耐久性があると思うのですが、死ぬ時期でないと、それが切れてしまうわけです。
 さて、立ち直った銀之輔さんですが、栃木県で村づくりを成功させます。
 まさに銀之輔さんが望んだとおりの食料自給率90%以上のエコビレッジです。しかし、天は銀之輔さんに更なる試練を与えます。


 ・・・<『天を味方につける生き方』、p144~p147から抜粋開始>・・・

 食料自給率90%以上のエコビレッジ

 栃木の村には徐々に全国から仲間が集まってきた。気づけば、食料自給率90%以上の本当のエコビレッジだということがわかったんです。買うのは塩とか砂糖とか油で、それ以外は全部つくれます、もしくは採れますという状態にすると、一生食べていける。「やった、ここで一生、みんなで食べていこうぜ」と思った。
 でも日本人である限りは、ガソリン代と電気代がかかる。あとスマホ代もかかるし、服もマサイみたいに布をかぶるだけじゃダメだから、買わなきゃならない。じゃ、どうするのか。ちょっとのお金を稼げばいいんです。4000万のローンを組むほどいっぱい稼がなくていい。
 俺はエコビレッジ研究家だから、いろいろ研究しました。いろいろな国に行って、日本でもいろいろな村づくりに参加して、わかったことがある。
 例えば、この20人全員で「一緒に村づくりしよう。うちのじいちゃんが死んで余っている土地があるから、そこでみんなでやろうよ」ということでやったとします。そして90%以上の自給率まで一気に畑をつくって、家もつくったとしたら、1カ月幾ら稼げばいいか。
 みんな悩むんです。だってスマホ代がかかるじゃない。ガソリン代や子どもの養育費はどうするの、となってくる。4人から20人の村があったら、1カ月の収入は一人幾らあったらいいと思いますか。
 答えは一人3万円です。4人で12万円あったら、その村は電気代もガソリン代も全員のスマホ代も、子どもを学校に行かせるのも全部大丈夫です。そうなっています。20人いてもです。
 問題は20人を超えたときです。実際は12人を超えたときから厄介です。いろいろな村を見てきて思うのは、11人までがすごくいい村づくりになりますね。12人になると、突然、何もしない人が出てきます。ただいるだけ。だけど御飯は誰よりも食う(笑)。これは本当の話です。12人以上になると、大体そうなってきます。
 20人、30人になっているところがイタリアにもあるんですけど、人数が増えるとどんどん決まり事がふえていくんです。そして会議が開かれる。会議が開かれるとどうなるかというと、必ずマイナスの人が出てくるんです。「これはダメだと思うよ」が出てくる。決まり事をつくっちゃうと楽しくなくなるし、村づくりがとまっちゃう理由になります。だから会議は開いちゃダメです。そして、11人でとめておいたはうがいい。
 もしふえた場合は、しょうがないから、1日4時間、村のことをしてねと。4時間やれば大丈夫です。あとは自分の好きなことをやる。何もしないで寝ていてもいい。一人4時間、村のことを何でもいいからやる。料理でもいいし、片づけでもいいし、家づくりでもいいし、畑作業でもいい。釣りに行くのでもいい。何でもいいんです。4時間やれば、日本では成り立ちます。

 2度目のどん底~3・11で村が全滅

 順調に育っていた栃木の村は、ある日終わりを迎えることになります。
 俺は今ごろ栃木で村長になって、ずっと幸せに暮らしていたはずが、東日本大震災があって全滅です。何で栃木が関係あるのと思ったら、福島原発から透明なにおいもしないやつが流れてきてた。
 2011年10月に弟子たちが血便を出して、周りの犬が死に始めた。なんかおかしい。植物が奇形なんです。お茶の新芽が、葉っぱの先からもう一個出たり、ツクシが全部茶色になったりして、これはなんかおかしいなと思って市役所に電話したら、ガイガーカウンターを持って来てくれて、「除染区域です。チェルノブイリの倍ですね」。じゃ、避難区域でしょうと思うんだけど、危険値の規定の数値が上がっていて除染区域なんです。何のための数値? と思うけど、それで結局、野菜もつくれない。10年かかって作り上げた、全てをつぎ込んだ村が全滅です。
 もう泣くしかない。村は持っていけない。仲間は帰ってこない。これから俺はどうやって生きていったらいいのか。村づくりしか得意なものはないし、この村が全財産だしと思って、悲しくて泣いていたら、「全国を回って、それを伝えてみたらどうですか」と言う人があらわれたんです。確かに避難した人はみんな、仕事も家も失っているし、親戚も友達もいないところで、新しい人生を始めている。そのときに古民家の直し方を教えてあげたり、半年で自給自足がうまくいくような仕組みを伝えていこうと思って、北海道から九州まで回ることにしたのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 こうして銀之輔さんは、全国を回って村づくりを教えていきます。
 そうして、宮崎県でハワイみたいなところを見つけて、再び村をつくります。現地の人が、「土地が余っているから、自由に使っていいよ」と言ってくれたのです。


 ・・・<『天を味方につける生き方』、p150~p157から抜粋開始>・・・

 最初は「土地が余っているから、自由に使っていいよ」と言ってたんです。だけど、道ができて小屋も建って、畑もできて素晴らしい場所になってきたら、「これは売れるぞ」となって乗っ取られた。
 今まで手伝ってくれた人たちや、仲がよかった人たちもかばってくれなかった。その乗っ取りは、なんと6人組だったんです。道具も全部取られて、追い出されるかたちで本当にすべてを失った。それで人間不信になりました。これは震災で村を失うのとは全然違う。人生で一番つらかったですね。人間に裏切られるというのはどれだけ悲しいか。怒りと悲しみと執着が襲ってきて。楽しかったあの頃にどうやったら戻れるか、いくら考えても出てこない。どうしようもない。残ったものは、怒りと喪失感。
 必要とされなくなった時、生きがいをなくした時、人間は一番苦しい。

 3度目で気づいた「どん底って広いな」

 それで、行くあてのない俺はドングリの木の下で寝ました。
 家も水道も何もないし、このまま野たれ死んで、1年半後か10年後かわからないけど、白骨で見つかるんだろうな。父ちゃん母ちゃんが、ちゃんと育ててくれて、わがままも聞いてくれたのに、俺はどこに行ったかわからない。探し回っても見つからずに、10年後に白骨で見つかったりしたら、父ちゃん母ちゃんに悪いなと一番先に思いました。
 あとは裏切った人たちへの怒り、何もなくなった悲しみ、誰もいなくなった悲しみ、それとやっとつくった村というすてきな場所への執着です。

 このとき、喉が渇いて、たまっていた水を飲んだら、食中毒になってしまいました。
 高熱を出して、吐いて、下痢して、おなかが痛くて……。感情爆発の上にさらに胃潰瘍にもなっているんじゃないかというぐらい辛かった。
 苦しくて、泣きながらどんぐりの木の下に横たわっていました。ずっと涙が出てくるんです。水を飲んだ量よりも涙が出てくる。泣きながら、悔しくて悲しくて、いろんなことがグルグルグルグル回って全然眠れない。怒りと悲しみと執着が次々襲ってくる。
 それが何日か続いて、本当に自分が弱っていることに気づいて、衰弱してこのまま死ぬんだなと覚悟を決めました。

 覚悟を決めたとき、
 「どん底って広いな」
 と思いました。どん底より下がないから、何も怖いものがない。

 「これ以下はねえんだ」

 それまでどん底に落ちたくないと思って必死でしがみついていた崖っぷちは、ただのとんがった山だったということに気づきました。
 全部見えるんです。
 「何だよ、こういうことか」と思いました。

 俺は善も悪もないと決めた

 俺はそのときに、多分このまま1週間も生きられないだろうと思って、神様に何を言おうか決めました。
 どん底に落ちたらどうなるかというと、『神様がいるんだったら殺してやる』と本当に思います。こんなつらい思いをするんだったら、何でひと思いに俺を死なせないんだと絶対文句言ってやると思いました。今でも、死んだ後に神様に会ったら言おうと思っている文句が四つぐらいあるんだけどね。

 そしてそのときに気づいたのは、『私たちは光の存在だ』と言って正義感を振りかざしている人は、複数人集まるとどんな悪いことでも平気でするということです。それが正義と思っているから、何でもできる。
 そもそも戦争は、宗教争いとか領土争いとかでしょう。自分が正しい、自分が善と思っている人がやるんです。
 だから俺は、悪魔に魂を売ってでも、これからの人生を生きられるのだったら、10日でも1カ月でも生きられる分は、悪魔とも仲よくしようと決めたんです。善も悪もないと決めました。

 死は生きるを見つける

 人はどん底に落ちると開き直ります。
 本当に自分が死を覚悟したとき、死を恐れるんじゃなくて、どうやって死ぬまで生きていこうか……と考える。死ぬしかないとなった時、
 『俺の人生がこんなふうに終わるのなら、したらいけないと言われたこと全部やって、人生をもっと楽しむ生き方を選んでいたのに』と思いました。

 結局、本当に死を覚悟したときに、生きるを見つけるんです。死は生でもある。
 生きるを見つける旅がそこから始まるんですね。

 俺は、とりあえず神様に立ちションをひっかけようと思ったんです。そのぐらい全てが嫌だった。とにかく人間が大っ嫌いになってました。

 1週間寝たきりで、8日目の朝になりました。
 森の中にいると、日の出がわかるんです。最初、虫が鳴きます。そしてピタッととまってシーンとなる。その次、鳥が鳴きます。そしてまたピタッととまってシーンとなる。次に両方鳴くんです。そのときが日の出です。世界中どこに行ってもそうです。
 俺は日の出とともに太陽に向かって立ちションすると決めていました。
 「今だー!」となったとき、丘の上で太陽に向かって立ちションした。
 そうしたら、ピカーッとなって、とてつもない気持ちいい風が吹いて、鳥がバタバタバタとなった。夜露でクモの巣がキラキラ光って、ものすごく美しい。
 「こんな美しい景色を見せてくれてありがとう! 神様」
 と、思わず感謝しちゃったんです。ついうっかり裏切った6人にまで。

 よくスピリチュアルな人が、雲を見て龍がいるとか言うけど、あれは雲だよねと俺は思っているけどね、立ちションしたときに吹いたものすごい風、あれはたしかに龍っぽかったんです。本当に龍だなと思うぐらい、こうなって、あそこら辺にとまったんだなという感じがあった。これは二度と言わない。俺はスピリチュアルな人と思われたくないから(笑)。今日だけ言います。本当にそう思いましたね。
 今思うと、この時に善も悪もどっちでもいいって思えるようになってから、イラッとしなくなりました。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 銀之輔さんが味わった3つの挫折のうち、最初の1つ目はありがちな話です。
 若くして事業に成功し、周りから人が集まってきて、チヤホヤされて有頂天になる。そしてお決まりの不幸に見舞われ、奈落の底に突き落とされる。要するに集まってきたのは銀之輔さんの人間的魅力に魅かれた人たちではなく、“お金”に魅かれた人たちだったわけです。
 しかし3番目の話は、ちょっと考えさせられるものがあります。
 最初の挫折で身に染みた銀之輔さんは、お金とは違う価値を見出すべく、宮崎の地で村づくりを行いました。
 そこに集まってきた人々は、銀之輔さんのお金ではない新たな価値観に共感したからこそ一緒に村づくりに励んだと思われます。
 しかし村づくりが成功し、村が高く売れるとなると、突如銀之輔さんを見放します。

 私は、中学時代の同級生の話を思い出しました。
 彼は、大学卒業後、日本では名の知しれた大手の保険会社に就職しました(本社は東京。企業名は伏せます)。
 そこで彼は、車の損害保険の部署に配属され、車の事故の査定を行う仕事に就きます。自動車事故が起こった際に、車の破損状況を査定し保険額を決める仕事です。
 そうした仕事に就いて数年後、彼と一緒に飲んでいたとき彼はしみじみと語りました。
 「俺は、人間の本性を見たよ・・・。どんなに良い人だと思っても、いざお金が絡むと人は変わる・・・」
 どういうことかというと、査定する際に、交渉によって1円でも多くお金をもらおうと、査定する彼にあれやこれや要求してくるというのです(時には、恫喝まがいのこともあるそうです)。
 査定にはマニュアルがあり、これくらいの損傷なら、これくらいの保証額になるというのが決まっているそうです。それを説明しても、何かと難癖をつけて、1円でも多くもらおうと強く粘ってくるのだそうです。
 普通の真面目そうな人が、お金の話になると突然豹変するのを何度も経験したそうです。
 お金に対する人間の欲望に真正面から向き合う仕事であり、彼は人間不信に陥ったと言っていました。
 私は、「でも都会の人ならわかる気はするけど、田舎の人なら違うでしょう?」
 と尋ねてみました。
 彼は、ある地方(地名は伏せます)に転勤になったことがあり、そこでも査定課の仕事をしたことがあったからです。
 私の問いに彼は即答で、「全然違わない!」と答えました。その顔には憤りのようなものを感じました。
 転勤前、彼は会社の上司から、「あそこ(地方)は人が良いから、楽になるよ」と言ってくれたんだそうです。彼も田舎でのんびり仕事すれば、人間不信が少しは解消するはずだと思ったらしいのですが、実際はお金を前にすると、人間の本性が現れることは田舎でも同じだったというわけです。

 銀之輔さんの話に戻りますが、宮崎の田舎で「土地が余っているから、自由に使っていいよ」と言ってくれた(良い人に見えた)人も、いざお金が儲かるとなると、本性が出てきてしまったということでしょう。
 一緒に村づくりに励んだ仲間ですが、銀之輔さんが無一文で放り出される事態になったのに庇(かば)わなかったというのは信じがたいものがあります。
 理想に燃えて一緒に村づくりに励んだ仲間であれば、銀之輔さんが酷い目に遭っているときに見て見ぬふりなんてできないと思うのです。
 裏でお金が動いていた可能性は高い気がします。

 ショーゲンさんは、2025年7月から日本は生まれ変わる、全く違った世界になると言っていました。
 私は、いざお金が絡むと、お金を優先する、友を裏切るという本性を表わす人は、新たな世界では生きていけない人だと思っています。


 (2024年2月24日)