ゴジラ-1.0【ネタバレ有り】_2 | 映画の夢手箱

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 映画の鑑賞記録です。基本的にネタバレ有り。

※前回からの続きです。

 

 

 

■ゴジラ絶対殺すマン

 銀座襲撃後、敷島家で遺体のないまま典子の葬儀が小さく執り行われます。

 あの宴席で学者が撮った写真が遺影になってしまった。

 

 まあね、そんなことになるんじゃあないかと!

 

 写真を撮ったときから薄々思っていたんだけれども!

 

 まだ幼い明子には典子の死が理解できませんが、それなりに異変は感じ取っているようで、

「お母ちゃんは?」

 と、か細い声で問いかけます。

 大人たちは困ってしまい、澄子は、お母さんは遠くに仕事に行ったから、しばらくおばちゃんと過ごそうねと言い聞かせます。

 

 しかし、子供だましは子供に通用しないのが世の常。

 子供は物事がわからないようでいて、大事なことの本質を悟ってしまうときがあります。

 

 明子は、赤ん坊のような泣き声でワアワア泣き始めます。

 

 思えば、この子は今まで何度も我慢を強いられてきたと思います。

 大人の都合でしばしば隣家に預けられても、聞き分けよくいい子にしていました。

 敗戦直後で、しかも実の親を亡くしているのですから、子供らしいわがままがきいてもらえない場面があるのも当然です。

 

 しかし、このときばかりは火が付いたように大泣きするのです。

 敷島は耐えきれず、席を立ってしまう。

 

 敷島は、自分が人間らしい幸せを求めてしまったために、このような悲劇が起こったのだと思っているのです。

 自分は幸せを求めてはいけなかったのに、典子と幸せになろうなどと思ったから、典子が死ぬ羽目になったのだと、極めて非論理的な自罰思考に囚われてしまいます。

 

 そんな敷島に、学者は、民間人によるゴジラを倒すための会議「巨大生物對策説明会」が開かれることを教えてくれます。

 

 もう、敷島の顔つきは完全に人が変わってしまって、「ゴジラ絶対殺すマン」になっています。

 

 もっと言えば、「刺し違えてゴジラ絶対殺すマン」なのかも知れません…、

 

 このときの敷島は。

 

■巨大生物對策説明会

 「巨大生物對策説明会」には、戦争帰りの元海兵が召喚されます。

 返還された駆逐艦「雪風」と「響」の操船を頼まなくてはならないからです。

 

 駆逐艦「雪風」の元艦長、堀田辰雄(田中美央)が入室すると、総員、一斉に起立・キヲツケして、着席します。

 当時の日本人の規律正しさが表現されています。

 

 この説明会で、学者は、「海神作戦」の内容を説明します。

 軍隊も武器弾薬もなく、軍事行動がとれないという制限下でゴジラを倒すための苦肉の策とは…、

 

 フロンガスの気泡で水の抵抗を激減させて、ゴジラを相模湾の海底に沈めることで急速な水圧変化によるダメージを与える。

 それが失敗した場合はバルーンで海上に急浮上させて更なる水圧変化を与える。

 ――というものでした。

 

 ゴジラが出現する前の前触れとして水面に上がってくる深海魚の死骸は、急激な水圧変化によるダメージを受けたのか、どれも内臓を吐き出した状態であったことが思い出されます。

 深海に棲む生物であっても水圧変化で死ぬ場合があることについての伏線だったわけですよね!

 

 映画鑑賞後にちょっと調べたところによると、水より密度の低い泡の塊に船などが巻き込まれると浮力を失って沈没する現象というのは、現実に確認されているものです。

 古来、船や飛行機が消失する事故が多発しているバミューダトライアングルの事故原因の仮説の一つとしても挙げられているようです。

 

 ゴジラにワイヤーを巻き付けてフロンガスを噴出するこの作戦、第一段階でだめなら第二段階のバルーンによる急速浮上に移行するわけですが、このときに重要な役割を果たす巨大バルーンを製作する、「東洋バルーン」という架空の会社が登場します。

 

 「東洋バルーン」!

 なんて現実にありそうな社名なんでしょう!

 トーヨーサッシとか、三菱重工みたいなノリで!

 いかにも、っていう感じ!

 

 この「東洋バルーン」の板垣昭夫(飯田基祐)係長がまた、いかにも日本の企業人って感じで、いいんだよなあ!

 

 あのオレンジ色の糸で「東洋バルーン」の文字を胸に縫い取った汚損防衣と、正面に会社のロゴが入った作業帽、売ってくれないものかな!

 あれを仕事中の作業着にしたいわぁ!

 

 現実においても、板垣係長みたいな技術者がこつこつ努力を積み重ねて、今も昔も日本を支えてくれているんですよね…。

 

 本当に、この映画は隅々まで胸熱(むねあつ)だわぁ…。

 

 しかし、この説明会の席上でも、すっかり「ゴジラ絶対殺すマン」になっている敷島。

「それでゴジラを絶対殺せるんですか?」

「ゴジラを殺せるんですか? 殺せないんですか?」

 と喰い下がって、学者を困らせます。

 

 学者としても、ここで敷島を説得できなければ、この説明会の成果は無に帰してしまいます。

 

 誰もが「貧乏くじを引くこと」に納得しているわけではないのです。

 

 もう戦時中とは状況が違う、自分には家族がいると訴えかける面々に、「雪風」の元艦長・堀田辰雄は、自分たちには引き留める権利はないと答えます。

 一人、また一人と会場を立ち去るなか、残った人たちのなかから、声を上げる者がいます。

 この作戦は、絶対死ぬ作戦なのかと。

 違う、これは「死にに行け」という命令ではないと答えると、

「じゃあ、戦時中よりましだ。」

 と、雄々しく笑います。

 

 このとき、去らず残った者たちに堀田が、

「ありがとう。」

 と礼を述べる、この言い方がとても日本の軍人らしくて、よかった。

 熱い思いを深く押し込めた、噛み締めるような言い方。

 

 好き。

 

■局地戦闘機「震電(しんでん)」

 ゴジラを相模湾に誘導するのに、ゴジラ自身の声を収録した音声を拡声班が海に流すという作戦を立てる学者ですが、実のところ、ゴジラの生態は何もわかっていません。

 同種の声に反応して誘き寄せられるのかどうかもわからないので、一か八かの賭けということになりますが、ゴジラを相模湾に誘導できなければ作戦は根本から失敗します。

 

 そこで、敷島は、

「戦闘機を調達できないか。」

 と、持ち掛けます。

 戦闘機に乗せてもらえれば、自分がゴジラを相模湾まで誘導できるというのです。

 

 しかし、GHQの統制下にあって軍事行動を封じられている日本です。

 もとより使える戦闘機はすべて米軍に接収されてしまっています。

 

 そこで、…

 

 満を持して…、

 

 局地戦闘機「震電」の登場です!

 

 これも現実に存在した日本の局地戦闘機です。

 B-29キラーの高速戦闘機として、1945年6月に試作機が完成。

 同年8月に試験飛行を行いましたが、実戦に出ることなく終戦を迎え、米軍に接収されたという幻の戦闘機です。

 一番の特徴は「エンテ型」という珍しいデザインで、プロペラがお尻にあるという前後逆さまの先進的なフォルム。

 このため、「異端の翼」などと呼ばれていました。

 

 この幻の戦闘機「震電」が、本作ではその姿を我々に見せてくれます。

 

 試作機のうち1機が、戦後のごたごたで接収を免れていたという設定ですが、戦後、ずっと放置されていたので徹底的な整備を施さないと飛行に耐えません。

 

 そこで、敷島は、あの大戸島の因縁のある、橘を呼び寄せることにします。

 確かに橘は凄腕の整備士ですが、いまどこにいるかわからない人を捜すよりも、他の整備士に頼む方がずっと早い。

 それでも、敷島は、他の人ではだめなんです、その人でないとだめなんです、と学者に頼み込みます。

 

 そして、居所の知れない橘を呼び出すのにとんでもない手段を使います。

 

 橘が大戸島の直前に配属されていた隊を調べ、橘のかつての戦友たち一人一人に宛てて「大戸島壊滅の責任は橘にあり」との讒言をばらまいたのです。

 

 これでついに、橘は乗り出してきます。

 

 闇討ちで敷島を叩きのめし、縛り上げた敷島を敷島家の土間に転がします。

 

 いやもう…、

 このくらいで済んでよかったよね…。

 敷島、無茶するわぁ…。

 初撃からのボコで叩き殺されていてもおかしくないような誹謗中傷よ…。

 敷島、自分勝手すぎるわぁ…。

 橘が自制心の強い人でよかったね…。

 感謝しろよ、敷島、マジで…。

 

 むしろ、敷島のやったことがひどすぎて、

「殺す前になんでこんなことをしたか話くらい聞いてやろう。」

 と橘に思わせたことが命拾いにつながったのかも知れんな…!

 

 敷島は、自分の命と引き換えにしてでもゴジラを倒す、「ゴジラ絶対殺すマン」になっていることを橘に語ります。

 

「あなたの戦争も、終わっていませんよね…!」

 

 …って、敷島ァ!

 

 おまえが言うなぁ!

 

■海神(わだつみ)作戦

 所在不明となっていたゴジラが日本に再接近していることが判明し、ついに海神作戦が始まります。

 学者は、直前の作戦会議で状況を皆に説明します。

 

 「東洋バルーン」の社員の皆さんは、現場は危険だから来なくていいというのに、

「現地に着くまでの3時間の移動時間がもったいないので、同行します。」

 といって退かない。

 ギリギリの時間まで調整をして、最高の状態で実戦に臨みたい、というのです。

「我々も、戦争帰りですから。」

 といって穏やかに微笑む板垣係長がかっこよすぎる!

 私のなかの「上司にしたい人ランキング」のベスト5にグググーッと入りましたよ!

 

 作戦開始の明朝に備え、

「今夜は家族と過ごしてください。」

 と、学者は告げます。

「それは、覚悟しろということですか。」

 と沈鬱な質問が飛ぶと、学者は、そうではない、と答えます。

 

「思えば、この国は命を軽んじてきました。」

 と、学者は語り出します。

 脆弱な装甲の戦車や戦闘機を与えられ、補給線を軽視したがゆえに大量の餓死者、病死者が出て、戦闘機には脱出装置が取り付けられていなかった。

 挙句に特攻。

「今度の戦いは、死ぬための戦いではないんです。未来を生きるための戦いなんです。」

 

 今度は、誰も死なせない。

 そう語る学者の顔を、敷島は直視できない。

 

 このときの敷島の表情の陰りをみるに、彼だけは、この場で、「十死零生」にあることが見て取れます。

 

 自宅に戻り、明子と過ごす敷島。

 明子は、敷島と典子と自分を描いた絵を敷島に渡します。

 家族愛の籠もった、その子供の絵を、

「俺にくれるのか。ありがとう。」

 と、敷島は小さく笑んで受け取ります。

 

 しかし、明子が眠っているうちに、隣家の澄子に宛てた手紙と大金の入った封筒を枕元に置いて、敷島は出かけていきます。

 ――橘が整備した「震電」に乗り込むために。

 

 ゴジラの誘導に使うはずの「震電」ですが、実は、敷島は橘にお願いして、「震電」の機体前部のパーツを可能な限り外し、そこに25番と50番の爆弾を搭載してもらっています。

 新生丸の機雷を噛ませて爆破させたときの経験から、ゴジラは内側からの攻撃には弱いと確信した敷島は、これでゴジラの口内に特攻するつもりなのです。

 

 ゴジラ再上陸の危機は、急速に迫ってきました。

 連鎖機雷の罠は容易に突破され、拡声班の船はボールのように投げ飛ばされて陸地に激突します。

 想定よりもはるかに早い時間でのゴジラ接近、「海神作戦」は始まる前に立ち消えになってしまいそうですが、とにもかくにも乗船して出航しようと一同が準備しているところに、敷島の「震電」が颯爽と現れます。

 

 敷島は、大戸島の整備兵たちの家族写真と明子が描いてくれた絵を挟み込んだ手帳を胸に仕舞い、操縦席には典子の写真を挟んでいます。

 無念の死を遂げた兵士たち、焼け跡となった日本で未来を生きていかなくてはならない子供、そして最愛の人――さまざまな思いを抱えながら、敷島は操縦桿を握っているのです。

 

 

 敷島の華麗な飛行技術で「震電」はゴジラの顔のすぐ近くまで迫り、ゴジラがこれを噛もうとしたり、手を出そうとしたりすると、ひらりとかわします。

 ゴジラが陸に向かおうとすると、機銃掃射して攻撃を仕掛け、飽くまで自分に注意を引き付けます。

 ゴジラからすれば、顔の周りを煩わしい羽虫が飛んでいるかのようでしょう。

 ゴジラは完全に腹を立てて、まんまと相模湾まで誘導されます。

 

 戦闘機がわざわざゴジラの手の届く距離まで近づいていくこの構図を、山崎監督は是が非でも撮りたかったのだそう。

 ゴジラの過去作でも戦闘機がゴジラの至近距離に迫るというシーンはあるけれども、

「なんでわざわざ危険なまねをする?」

 と観客に思わせてしまっては、白けてしまう。

 しかし、せっかくのVFX技術なので、思う存分ゴジラに肉薄して画を撮りたい。

 この問題を、敷島の「相模湾までゴジラを誘導する」というミッションは見事にクリアしてくれたわけです。

 戦闘機乗りとしての敷島の、腕の見せどころでもありますね。

 

 相模湾まで誘導されてきたゴジラ。

 怒りに任せて、海上で熱線をお見舞いします。

 今回の作戦に参加している者たちのなかで、過去にゴジラ最大の熱線攻撃を間近で目撃した経験がある者はごくわずかですから、その想像を絶する威力を目にして絶望の表情がよぎります。

 

 しかし、新生丸でこれを一度目撃している学者は怯みません。

 彼は技官ですが、兵士顔負けの勇気を持っています。

 

 一度熱線を放射した後は、連続で発動することはできない。

 だから、今こそ作戦を開始するべきです。

 

 そう進言すると、駆逐艦「雪風」の元艦長、堀田は強く頷き、

「海神作戦を開始する!」

 と、号令を掛けます。

 

 途端に始まる『ゴジラのテーマ』! 

 伊福部昭(いふくべ・あきら)氏が作曲した、初代ゴジラの、伝説のテーマミュージック!

 

 ここで、この呼吸で!

 この曲を持ってくるか~~~~~~~~~!

 胸熱だわ~~~~~~~~~!

 熱いわ~~~~~~~~~~!

 映画館を出る前に興奮しすぎて、

 どうにかなりそうだわ~~~~~~~~~!

 

 敷島の「震電」の援護射撃を受けながら、駆逐艦「雪風」と「響」は海上の至近距離で交差する。

「衝撃に備えよー!」

「衝撃に備えよー!」

 ド、ゴーン!

 旧日本海軍の誇る操船術でゴジラの周囲を円形にめぐり、ついにフロンガスのボンベとバルーンをゴジラに巻き付けるのに成功します。

 

 この、「海神作戦」。

 海上を俯瞰するアングルで見ていると、まるで、注連縄を巡らせて神域を構築しているかのようにも見えるではないですか。

 わだつみの力をもって荒魂(あらみたま)を鎮める、祈りの儀式にも似た決戦が始まります。

 

 ゴジラが熱線を放とうとしていた瞬間に、フロンガス発射。

 ゴジラは急激に海底に没していきます。

 キュルキュルとケーブルドラムから引っ張られていく極太のワイヤー。

 やがて海底に落ちると、青白い光が、フッと消えます。

 

 しかし、数秒遅れて、海底からすさまじい引きが来て、

「効いてないー!」

 学者は絶望の叫びを上げます。

 

 結果からいうと、効いていないわけではなかったと思うんですが、ともかく息の根は止めていない。

 

 第二段階に移行します。

 「東洋バルーン」の板垣係長が姿勢を正して手を差し上げ、合図します。

 社員たちが機器を操作し、ゴジラの腰回りに装着したバルーンを浮き輪のように開かせます。

 バルーンといっても、おもちゃの風船ではありません。

 実際に艦船の非常用に装着される浮力の強い頑丈なバルーンです。

 

 腰に浮き輪をつけた格好で急激に浮上していく状態におたおたしているゴジラが、不覚にも、ちょっと可愛い…!

 

 ところが、海底800メートル辺りで停止してしまいます。

 

「食い破ってやがる…!」

 

 ゴジラがバルーンを食い破ってしまっているのです。

 

 やむなく、堀田は駆逐艦「雪風」と「響」で引っ張り上げるよう命じます。

 

 この案は作戦段階で小僧が口にしたこともあったのですが、

「推力が足りねえよ。」

 と艇長に鼻で笑われて一蹴されていた案です。

 

 それでも、堀田は、

「やれることは、すべてやるんだ。」

 と、告げます。

 

 実際に吊り上げようとすると、案の定、推力が足りず、ドラムを装着している鉄の柱がバキバキ折れて、ついにここまでかという事態に陥ります。

 

 そこに唐突に、

「え~、横浜汽船から参りました水島です~。」

 みたいな感じで、間の抜けた声が海上に響き渡ります。

 

 小僧を死地に連れていきたくなかった艇長が、

「おまえは船に乗せねえ。」

 と言い、学者も彼のギブスがまだとれていないことを指摘して、

「その腕でついてきても役に立たないでしょう。」

 と後押ししてわざと陸に置いてきた、あの小僧が、各社の汽船を連れてやってきたのです。

 

 横浜汽船です、何とか汽船です、何とか汽船です、…と、次々に名乗りを上げるたくさんの船。

 戦艦ではありません。

 ただの輸送用の船でしょう。

 報酬が出るなんてあてもありません、補償もありません。

 それが、恐らくは小僧の呼びかけに応じて、ただただ日本を守るために、怪獣が暴れて死の危険のある場所に馳せ参じたのです。

 

「役立たずは返上でお願いしますッ!」

 そういって小僧が無線を切ると、すぐさまケーブルで船と船はつなぎ合わされ、皆で力を合わせてゴジラを引っ張り上げます。

 

 小僧は、自分が口にして却下された案を、見事に実行してのけたのです。

 

 十分な推力をもって、再び深度を測るメーターが動き始めます。

 

 ついに海上に引き出されたゴジラ。

 白ゴジラになっています!

 やはりダメージが入ったのでしょう。

 目も白くなって、肌もボロボロになっています。

 

 しかし、生きています。

 生きている限りは、再生してしまう怪獣なのです。

 

 熱線を吐こうと口を開くゴジラ。

 ――ここまでしても、だめだったか…。

 絶望の沈黙が降ります。

 

 このとき、本当に無音になりました。

 映画館のなかが静まり返って、針一本落ちても聞こえそうな静けさ。

 遠くに波の音だけが小さく聞こえます。

 そして、後方から…、

 遠く、遠くから…、

 本当に、静かに、静かに、近づいてくるプロペラ音…。

 静けさを割くように、音はぐんぐん近づいてきて…、

 これは…、

 敷島の…、

 

 震電!

 

 敷島ァ!

 

 迷いなくまっすぐゴジラに向かって飛行する震電。

 一瞬、典子の写真を見る敷島。

 安全弁を抜く。

 そして、開いたゴジラの口にガコッと機体が飛び込んで、大爆発を起こす。

 

 いかん…、

 こうして書いているだけで、また涙腺が崩壊しそうやん…。

 やってくれるなぁ、敷島よ…。

 

 しかし、敷島は特攻で死んだわけではありませんでした。

 本作のキャッチフレーズ「生きて、抗え。」のとおり、爆発の一瞬前に脱出装置を使って脱出していたのです。

 パラシュートで空中に浮かんでいる敷島を見つけて、学者と艇長が喜びの声を上げます。

 

 ここで、橘が敷島に機体の説明をするシーンが織り込まれます。

 日本の機体には脱出装置がないので、橘はわざわざドイツ製と思しき脱出装置のパーツを震電に組み込んでくれていました。

 その使い方を説明し、敷島に、「生きろ。」と言って送り出してくれていたのです。

 

 敷島たちが作戦を展開している間も、整備服を着たまま、橘はずっとラジオにかじりついて状況を聞いており、敷島が生きていることを知ると、安堵の表情を浮かべます。

 

 この、橘というキャラクターを置いたことが、物語に非常に深みを与えていると思います。

 敷島は、このシーンで、自分を責めていた橘に許してもらったわけです。

 敷島は、「許される」経験を経て前進します。

 そして橘は…澄子も同様なのですが…「許す」ことで救われるのです。

 「許すことができない」という気持ちが、地獄だったのです。

 許すことで初めて、そこから救われるのです。

 

 そして、敷島は、自分の手でレバーを引いて脱出装置を発動させます。

 敷島は、これをせず、ここで死ぬこともできました。

 でも、自分で脱出装置を操作したのです。

 自分自身で生きる選択をした、この事実が非常に重大であると思います。

 

 ものすごく主観的に世界を捉えるなら、敷島の世界においては、逃げ回っている限り、戦争が終わることはなかったのです。

 逃げずに立ち向かい、すべての痛みと責任を引き受け、死を覚悟し、それでも生を諦めなかったことで、漸く戦争を終わらせることができたのです。

 

 本当に、どれ一つが欠けても倒すことはできなかったであろうゴジラ。

 

 すでに減圧によるダメージを受けていたゴジラに震電がとどめを刺し、ついに、ゴジラは動きを止めます。

 頭部を爆破されたゴジラの下顎が外れて、ボロッと海に落ちていきます。

 そして、まるで肉体が灰になって崩れ落ちるように、巨体が崩壊していきます。

 その崩れ行く体から、無数の青い光が天に向かって噴出します。

 あたかも、戦いによって失われた魂が昇天していくかのように。…

 

 船上の人々は全員、崩れ行くゴジラに向かって、姿勢を正して敬礼します。

 黙って、真剣に、敬礼を捧げる。

 私は本作のこのシーンが、一番深く心に突き刺さりました。

 

 怪獣を倒してヒャッホー、じゃないんです。

 怪獣は戦利品なんかじゃないんです。

 自分の同朋を惨殺した相手、人間ですらない相手の死に敬礼をするこの気持ち、鑑賞中にも、

「日本人である私にはものすごくよくわかるが、外国人にこの敬礼の意味が理解できるのか?」

 と、疑問に思ったものです。

 

 鑑賞後も、帰り道で、ずっとこのシーンについて考えていました。

 あの空気が醸し出すものが、すごくよくわかるのだけれども、言語化するのは難しいと思ったのです。

 

 例えば、「マタギ」と呼ばれる、古くから日本で狩猟をしている人々は、山を神域と捉えており、山に入る時期や山に入ってからの言動などに厳しい制限を課しています。

 狩猟で仕留めた獲物も、神が獣に身を変えて山の恵みを分け与えてくれたというような考え方をするので、捌く前に感謝の祈りを捧げる儀式を執り行います。

 

 命は、なべて尊い。

 マタギに限らず、古来、日本にはそう考える文化があります。

 

 あのシーンでの敬礼は、わだつみの儀式によって鎮めた戦争の神としての「荒魂(あらみたま)」ゴジラと、戦争によって失われたすべての命、傷つけられた人々の痛みや悲しみ、そういったものに哀悼の意を示す鎮魂の敬礼だったのではないかと、私はそのように思いました。

 

■ラストシーンの解釈

 作戦を完遂し、寄港した「雪風」と「響」を、多くの日本人が歓声で迎えます。

 その群衆のなかに、明子を抱いた澄子の姿があります。

 

 ここに至る前に、澄子は電報を受け取っていました。

 船を降りてきた敷島に、その電報を突きつけます。

 電報を読んで、ハッと驚いて澄子を見る敷島。

 澄子は、敷島を力づけるように、何度か拳で敷島の肩や胸を打ちます。

 

 敷島が特攻帰還者として戻ってきたときは、責めるようにポカポカ叩いていましたが、このシーンでは、澄子は励ますように叩いています。

 敷島を許すことで救われた澄子の変化が、このような演出からも伺えますね。

 

 明子を連れて、病院に急ぐ敷島。

 病室のドアを開けると、ベッドの上に、包帯に顔面の半分を覆われた典子がいます。

 

 暫く、言葉もなく見つめ合う二人。

 

 典子は、なんともいえない表情をして、

「コウさんの戦争は、終わりましたか?…」

 と、呟きます。

 すると、敷島は、明子を差し置いて幼子のように典子の寝台の脇にひざまずき、うん…、うん、と蚊の鳴くような声で応じるのです。

 この、消え入るような、「うん」の言い方が、秀逸でした。

 敷島の顔を見下ろす典子の様子が聖母マリアのようで、一体、このシーンで何人が号泣したかカウントしてみたいくらいです。

 

 しかし、私は初回に観たときから気づいてしまったのです…。

 典子の首筋に黒い痣のようなものが這い上がってくるのに…。

 

 続くシーンでは、海中に沈むゴジラの肉片が蠢いて再生を始める不穏な映像。

 テロップが上がって、すべてのテロップが流れた最後に、ゴジラの足音が右から左に響き、あの震え上がるような咆哮が轟きます。

 

 あの、…

 

 監督、すみませんけど…、

 

 希望を見せてから絶望に叩き落とすの、やめてもらっていいですか?

 

 あの病室のシーンは、疑問が消えなかったので鑑賞後に色々と調べたのですが、典子は致命傷を負ったが、恐らくG細胞(ゴジラ細胞)に感染したために命を取り留めたのではないかという意見が大勢を占めていました。

 

 私も、あのシーンには違和感を覚えていたのですよ。

 個室だったでしょう?

 政府が銀座襲撃時の負傷者を国費で一時収容したのだとしても、普通は、6人部屋じゃないですか?

 銀座襲撃から海神作戦までの間、敷島には何の連絡もなかったというのに、どこから入院費が出ていたというのでしょうか?

 令和の独身女性じゃないんです。

 昭和で事務職に就いている独身女性の給料なんかで、病院の個室の費用が賄えるはずないじゃないですか!

 全体にその辺りの設定が甘い作品だったら、ご都合主義だなと考えて流すところですが、ここまで細部にこだわった作品がそこだけ頓着しないというのも不自然です。

 

 それに、包帯は巻いていましたが、本来、典子があの程度の負傷で済むはずがないですよね?

 ミイラみたいに包帯ぐるぐる巻きになって、管をブラブラぶら下げて、厳しい顔つきの看護婦が、

「面会時間は短くお願いしますね!」

 なんて睨んでくるくらいの状況のはずですよね?

 

 実際、山崎監督も、「あの再会シーンを入れたのは僕の甘さです。」というようなコメントを出していらっしゃいます。

 あの再会シーンは、後から付け加えることに決めたようです。

 あの状況下では典子は当然死んでいる、しかし、どうしても二人を再会させたい。

 

 となれば…、

 

 どのような方法が考えられるか、…

 

 皆まで言わずとも…、

 

 わ か る な ?

 

 まあ、然はあれ、本作は1本の作品として完結しています。

 これをハッピーエンドだと考えたい観客にとっては、ハッピーエンドで終わらせることもできるのです。

 不穏なパート2の幕開けだと疑う観客にとっては、そういうエンディングにもなりえます。

 観客のお好み次第。

 物語としては、とても上手な終わらせ方だと言えるでしょう。

 

 私は…、

 G細胞も心配ですが、思い切り黒い雨を浴びた敷島も気になります。

 現実的に考えると甘くはないでしょうが、…

 

 やはり、今は、敷島たちのささやかな幸福を祈っていたいと思います。

 

■追申

 これを書き始めてから、なかなか書き終わらないんで、自分でびっくりしました。

 3週間、かかりました。

 30,000字近いです。

 これをここまで読んだあなたにもびっくりです。

 ゴジラ愛ですか?

 あんたも好きねぇ!

 

 あんまり書き終わらないんで、途中で2回目を見に行って記憶を補強しました。

 2回目は比較的落ち着いて見られたので、モブの様子や街角の張り紙にまで注意を向けることができて、なかなか有意義でした。

 

 そして、これを書いている途中で他の方の感想を読み漁ったせいでしょうか、昨日はついにゴジラが夢に出てきました。

 私のいる部屋の窓の外を、ゴジラの顔が横切っていくのです。

 ズーン、ズーンと、前を向いて歩いていくのです。

 あんまり怖くて、敷島のように手で口を塞いで声を出さないよう気を付けながら、窓枠の脇の壁の後ろにこっそり隠れるのですが、背中の壁一枚隔てた向こうにゴジラがいるのがまざまざとわかります。

 そこで目が覚めてよかったです!

 次の瞬間には、建物ごと粉砕されて逝っていたでしょうからね!

 

 怪獣が怖くて夢に見るなんて、幼稚園生のとき以来です。

 

 すごいな、山崎監督!

 

 神ですな!

 

■参考

対ゴジラ作戦は可能なのか 『ゴジラ-1.0』ネタバレ解説&考察

https://virtualgorillaplus.com/movie/godziila-minus-one-project-g/

<ネタバレ注意>対ゴジラ戦闘で大活躍のあの兵器は理にかなっている 現代史記者が読み解いた「-1.0」の教訓

https://hitocinema.mainichi.jp/article/godzilla-history

『ゴジラ-1.0』ネタバレ解説 ラストの意味とは? 反戦映画としてのゴジラ 感想&考察

https://virtualgorillaplus.com/movie/godzilla-minus-one-last/

映画『ゴジラ-1.0』は「戦後日本」と「ゴジラ」をいかに描き直したか

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c030242/

ポッポッポッポッ…映画「ゴジラ-1.0」のあの音が実は プロも出合いに感激、明石製・焼玉エンジンの魅力

https://www.kobe-np.co.jp/news/akashi/202312/0017115208.shtml