『ゴジラ-1.0』、東宝に敬意を表し、TOHOシネマズで観て参りました。
私は特撮映画や怪獣映画が嫌いではない、むしろ好きな方ですが、当初は特に本作を観に行くつもりはありませんでした。
しかし、アメリカで慮外の人気を博しているというニュースを聞き及び、
「敗戦直後の日本を舞台にした映画が、よりにもよって当時敵対していたアメリカでヒットしているとはどういうことか?」
と、いささか下卑た興味を覚えて劇場鑑賞する決意を固めたのです。
実際に鑑賞して度肝を抜かれました。
自分のなかのディザスタームービーのトップ10にランクインすることは間違いないと感じます。ゴジラ映画としては最高位です。
本作は海外では絶賛されていますが、日本国内では賛否両論あるようです。
監督の演出について、オーバーアクションやヒューマンドラマ過多とか、台詞で説明しすぎといった批判があり、好みが分かれたようですが、私は「賛」の方です。
逆に、国内で批判されたこれらの部分が、海外の多くの観客に受け入れられた理由なのかも知れません。
ここから先はネタバレありで行きますので、本作を未だ鑑賞してらっしゃらない方はお読みにならないでください。
ぜひ、一つも情報を入れないクリアーな状態で鑑賞していただきたいと思います。
それでは、ただいまからネタバレ全開で、腰を据えて語って参ります!
■冒頭・大戸島の惨劇
第二次世界大戦末期の1945年、本作の主人公、敷島浩一(神木隆之介)の乗る零戦が小笠原諸島に位置する大戸島の守備隊基地に着陸するところから本作は始まります。
大戸島の守備隊基地は、任務途中で機体が故障した特攻機が不時着するための特殊な基地。
しかし、整備兵の橘宗作(青木崇高)は、いくら点検しても、機体に敷島のいうような不調は認められないと疑念の目を向けてきます。
敷島の後ろめたそうな、青ざめた表情。
そう、敷島は、特攻隊として選ばれたにも関わらず、特攻が怖くて逃げてきた兵隊だったのです。
どうしても特攻を免れたかった敷島は、機体に不調があると嘘をついて大戸島に着陸したのです。
何とも重苦しいトーンから本作は幕を開けます。
整備兵たちの視線が痛くて、海岸まで逃れて海を眺める敷島。
整備兵の一人が近づいてきて、同じく海を眺めながら呟きます。
「いいんじゃないですか、あんたのようなのがいたって。」
死んでこいなんて命令を律儀に果たしたところで、どうせこの戦争の結果は見えてる、みたいなことを一方的に述べて去っていきます。
再び敷島が海に目を戻すと、大量の深海魚の死体が海面に浮かんでいるのに気づきます。
深海から急激に浮上した際の減圧によるダメージか、どれもオレンジ色の内臓らしきものが飛び出して、実に不吉な情景です。
のちに整備兵の一人の台詞で判明しますが、…
これが、ゴジラが陸に上がってくる前触れだったのです。
敷島が特攻を逃れて大戸島に逃げ込んだ、まさにこの夜、ゴジラが大戸島に上陸します。
夜中に響き渡るサイレン、咆哮、そして、異様な黒い塊が上陸してきます。
すわ米軍の新兵器かと緊張が走るなか、整備兵の一人が、深海魚が大量に上がってきた日はゴジラが来るという島の伝承を口にします。
ゴジラ! ゴジラですよ!
たぶん映画が始まって5分も経っていない、そこにゴジラの投入ですよ!
哨兵が見張り台に上り、対象を確認するためライトを灯します。
強烈な明かりのなかに浮かび上がるゴジラの面貌、そして、明かりに刺激されたゴジラは攻撃を仕掛けます。
哨兵は見張り台もろとも一瞬で粉砕され、一同は恐慌状態に陥ります。
見張り台をなぎ倒したくらいでは気の済まない、怒り狂ったゴジラは、燃え上がる見張り台を無慈悲に踏みにじります。
たまらず、整備兵たちは橘の号令に従って防空壕に逃げ込みます。
防空壕のなかで、橘は声を潜めて敷島に話しかけます。
あなたの乗ってきた零戦がある、あの20mm砲で怪物を撃ってくれと。
20mm砲で撃たれて無事なものはいない。
俺たちは整備兵だ、あれを撃てるのはあなただけだと。
そうは言っても、零戦に乗り込むためには、自分からゴジラの方に近づいていかねばなりません。
とてもその勇気が出ない敷島も、行って! 早く! と橘に急かされて、何とか駐機中の零戦の操縦席に這い上ります。
足音を響かせて近づいてくるゴジラ。
このときのゴジラはまだアメリカの核実験の被曝前で比較的身長が低く、ちょうど、零戦の操縦席を見下ろす位置に顔があって、明らかに「生き物」とわかる巨大な目が不気味に動き、操縦席の敷島を覗き込んできます。
今だ、撃て! と、繁みのなかから橘は気に病んでいますが、敷島は手がブルブル震えて機関砲のレバーを掴むことができません。
いや、橘さんよ、これは完全に無茶振りでしょうよ!
撃てんよ、これは!
このとき、映画館の座席で鑑賞中の私の口は半ば開き、下顎がガクガク震えていました。
本当に、縮み上がるほど恐ろしかった。
生物としての本能を揺さぶられる怖さがあった。
恐怖で動けないという状況がどんなものか、身に染みてわかった。
敷島はどうしても機銃を撃つことができず、自分の手で口を押さえて声をこらえ、操縦席から転がり落ちるようにして這う這うの体で逃げ出します。
あいつ! 逃げ出しやがった!
怒りに燃える橘。
そして、整備兵が身をひそめる防空壕の方に、ゴジラが一歩一歩近づいてきます。
迫りくる恐怖に耐えきれず、ついに一人が手にしていたライフルで撃ってしまいます。
一人が撃ってしまうと、もうパニックは伝染して、皆が発砲してしまう。
やめろ、撃つな、って言っても間に合いません。
これね、パニック映画でありがちなシーンでしょう?
いつも思っていました、何でそこで撃っちゃうんだ、何でそこで声を出しちゃうんだ、って。
馬鹿だなー、って。
でも、今、わかった。私はこの人生で初めてわかったよ。
この状況で撃っちゃう人の気持ちが!
撃つよね、これは!
私でも撃つわ! 怖いもん!
マジ恐怖で何が何やらわかりません!
手に鉄砲があったら、撃つと思います!
泣き叫びながら!
撃たれたゴジラは怒り狂い、整備兵たちに突進してきます。
慌てて防空壕の外に逃れ出ますが、一人も逃がさんと言わんばかりに整備兵たちを追い回すゴジラ。
もはやなす術もなし。一方的な蹂躙です。
足を痛めて動けない橘を助けようとしていた整備兵の一人がゴジラに嚙みつかれて、振り回されて放り出されます。
そう、恐ろしいことに、ゴジラは捕食していないのです。
食べるための狩りではない。
なのに、明確な殺意をもって人間を追い回している。
捕食が目的なら、捕食者が満腹になれば殺戮は終わります。
何人かが犠牲になれば済みます。
しかし、殺すために殺しているとなると、話は別です。
このゴジラは、怒りの塊です。
完全に人間を殺しに掛かっている。
理不尽な暴力の嵐のようなゴジラが暴れまわったこの夜、敷島と橘以外の全ての整備兵が殺され、大戸島の守備隊基地は全滅します。
零戦も破壊され、結果的に、敷島は完全に特攻を免れることになります。
翌朝、仲間の遺体を浜辺に並べていた橘が、敷島を見つけて責め立てます。
「見ろ! みんな、死んだ! 死んだんだぞ! おまえが撃たなかったからだ!」
敷島は一言も言い返せない。
機銃を撃つ技術と、それを至近距離で撃つ千載一遇の好機が自分にあったのに、撃たなかった。
そのために、大戸島の守備隊基地の整備兵たちが帰らぬ人となった。
この事実を、敷島は重い十字架として背負っていくことになります。
やがて、終戦の時を迎えました。
1945年末、復員船の上に敷島の姿がありました。
船の甲板の上に縮こまって座る大勢の復員兵の姿、誰の目も傷つき、疲れ果てています。
敗残の兵です。
口をきく者は一人もいません。
私の祖父も、戦争中は海軍の将校でした。
このような復員兵の帰還の情景も、到底、他人事とは思えず、痛ましく、辛く、このシーンを見守るだけで涙がこみ上げてきました。
この船上で、突然、片足を引きずりながら橘が近づいてきて、敷島に紙の包みを押し付けます。
そして、燃えるような憎悪の目を向け、できるだけ忌まわしいものから距離を置こうとでもいうように、人を掻き分けて去っていきます。
橘が敷島に押し付けたものは、亡くなった整備兵たちが持っていた家族写真でした。
「おまえがなすべきことをなさずに生き恥を晒しているということを、心に刻みつけて忘れるな!」
とでもいうような、橘の怒り。敷島は、このときも黙って写真の束を懐に仕舞います。
重い。重いです。
■生き恥を晒すということ
今の若い方たちは、横井庄一という方をご存じでしょうか。
横井氏は虚構の登場人物ではなく、グアム島の歩兵第38連隊に陸軍軍曹として配属されていた現実の人物です。
この連隊は米軍との戦いで壊滅状態となり、1944年8月、横井氏は戦死したものとして戦死公報が届けられました。
しかし、実は横井氏は生き残っており、ジャングルの奥で生活していたのです。
彼は残留日本兵の投降を呼びかける放送を聞いても日本の敗戦が信じられず、次々に仲間が倒れ、最後の一人になっても、ジャングルに隠れて暮らしていたのです。
グアム派遣から約28年後の1972年、ついに島民に見つかって捕えられ、日本に帰国することとなり、当時、大ニュースになりました。
私はこのとき、ほんの子供でしたが、それでもこのニュースは覚えています。
帰国した横井氏を記者団が取り囲み、横井氏は記者会見を開きました。
戦時中の軍事教育を受けて育った彼は、「生きて本土へは戻らぬ決意」で出征したため、このときの会見で、「恥ずかしながら、生きながらえておりました。」と述べました。
恥ずかしながら、生きながらえておりました。
この言葉は、当時、とても話題になりました。
現代日本人に、この感覚は理解しにくいかも知れません。
生き残ったことが、恥ずかしいことだと言っているのです。
ジャングルに隠れて過ごし、自分一人だけ生還したことを、恥だと言っているのです。
そんなはず、ないじゃありませんか!
生きていればこそじゃないですか!
大変な思いをして、やっと日本に帰ってきたんじゃありませんか!
しかし、戦時中、そして戦後しばらくの間、日本の空気はこのような感じだったのです。
本作では、橘や澄子(安藤サクラ)という登場人物が敷島を詰るシーンで、それを表現しようとしています。
復員船を降りて何とか自宅に戻ってきた敷島は、東京大空襲で焼け野原になった自宅周辺を見回して呆然とします。
黒焦げになった柱と瓦礫しか残っていません。
隣家の澄子という女性が生き残っており、荒んだ様子で、特攻隊に行ったはずのあんたが何で帰ってきたのかと、敷島を責めます。
「何で帰ってきた! 恥知らず! あんたら軍人がしっかり戦っていたら、みんな死なずに済んだんだ!」
と、拳でぽかぽかと敷島を叩きます。
無抵抗の敷島が、恐る恐る、
「うちの両親はどうなったか知りませんか…?」
と尋ねると、
「この辺はぐるーっと火に囲まれたんだ。みんな焼け死んだよ! うちの子たちと同じさ!」
叩きつけられるように答えが返ってきて、敷島は黙り込んでしまいます。
一人で自宅の焼け跡に座り込み、母親からの手紙を取り出して眺めながら、
「生きて帰って来いって、言いましたよね…。」
と、独り言を呟きます。
戦争末期、現実の特攻帰還者は、福岡の「振武寮」という施設に収容され、外出は一切禁止、
「卑怯者、死んだ連中に申し訳ないと思わないのか!」
「そんなに死ぬのがいやか!」
など、上官から屈辱的な言葉を投げかけられ、竹刀で滅多打ちにされる日々を過ごしたそうです(参照:大貫健一郎作『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』)。
それに、当時は「特攻崩れ」などという侮蔑的な言葉もありました。
特攻隊員として選ばれたにもかかわらず終戦となって生き残って帰還した後、社会の偏見やPTSDなど、さまざまな理由から身を持ち崩して荒んだ人たちをこのように呼ぶことがあったのです。
特攻帰還者に突きつけられたこのような現実に比すれば、本作はドキュメント映画ではありませんから、ずいぶんソフトな描き方を選択したと言えるでしょう。
そして、その分、敷島を演じる神木隆之介さんが演技力でカバーしています。
敷島は特攻帰還兵であるだけでなく、大戸島の惨劇の生還者でもあります。
筆舌に尽くしがたい地獄を見てきたこの人物の孤独と絶望を、重苦しいだけで終わるシーンに留めず、秀逸な演技で表現していると思います。
■フィクションにおける感情表現の役割
正直なところ、今まであまり神木隆之介さんにフォーカスしていなかったので、彼の演技力がこれほどとは知りませんでした。
本作の主人公・敷島は、母親の手紙の達筆からも想像できるとおり、しっかりした教育を受けた人であったことでしょう。
由来、生真面目で繊細な性格の持ち主だったと思われます。
それが苦悩と葛藤によりさらに深刻な感情表現をするようになり、陽気な面が鳴りを潜めて、複雑な人物像を形成しています。
コミュニケーション不全と見受けられるところもあります。
全てを失い絶望の底に落ちた人間特有の、ぼろぼろで、何をしでかすかわからない研ぎ澄まされた感じを演技で表現するのは至難の業と思われますが、この点、神木隆之介さんの演技は大変見事だったと思います。
少なくとも、アメリカの観客に、「特攻帰還者の孤独と絶望」という極めてドメスティックなはずのテーマが深く刺さったことは、興行成績の数字が証明しています。
なぜ、アメリカ人にこのテーマが忌避されなかったのでしょうか?
私は、YouTubeなどで本作に対する海外の反応を紹介してくださっているコンテンツをいくつか見つけました。
それらを見て、なぜ本作がアメリカでこんなにも人気を博しているのか、少しわかったような気がしました。
アメリカには、現実に自分が帰還兵であったり、身近に帰還兵がいたりする人たちがたくさんいるのです。
そして、彼らは神木隆之介さんが演じた敷島という人物に、強烈に感情移入したのです。
現代の日本人にとっては、自分の祖父母から生の肉声で戦争体験を聞きでもしない限り、戦争はいわば他人事です。
「戦争を知らない子供たち」が、戦争体験を我が身に起こったことのように想像するのは難しいことでしょう。
しかし、アメリカの帰還兵たちは違います。
戦争は現実であり、まさに身近にあるものです。
敷島の心情がわかりすぎて鑑賞中ずっと震えていた、ラストで号泣したという帰還兵もいました。
それに、出口の見えないウクライナ紛争や、アメリカの国内問題にまで発展しているイスラエルとハマスの戦いは、現在進行形の深刻な問題です。
そのような状況のアメリカ国民にとって、敷島のPTSDは絵空事などではなく、完全にシンクロできるものだったのでしょう。
劇場を出てきた観客のなかには、
「怪獣映画を見るとき、怪獣が街を破壊する様子を楽しむのが常だが、本作を観て初めて、お願いだから、これ以上何も壊さないで! という気持ちになった。」
とか、
「すべての登場人物に感情移入できた。誰にも死んでほしくなかった。」
といった感想を述べる方もいらっしゃいました。
山崎貴監督のお話によると、本作は作品そのものが戦争で失われた魂を鎮める神楽のようなものとのこと。
それを考えると、日本のみならず海外の観客にこれほどのインパクトを与えた本作は、まさに神(しん)に入ったと言えるでしょう。
私には、ひとつの持論があります。
「荒唐無稽な話であればあるほど、登場人物の感情の動きはリアルでなくてはならない。」
というものです。
ゴジラ映画というだけで、すでに荒唐無稽な話なのです。
全部虚構で、絵空事なのだと思ってみれば、アトラクションを体験するように2時間足らずの昂揚感を楽しんで、鑑賞後、即座にそれを忘れて終わりです。
習慣でコーラを飲み干すのと同じ。
そこにあるから何となく手を伸ばして飲み、自分が何を飲み下したか、認識すらしていません。
でも、人間の感情の動きというものは、虚構のなかであっても、現実であっても、変わりません。
こみあげてくる愛しさ、殺してやりたいと思うほどの憎しみ、燃え上がるような怒り、甘く満たされる喜び、胸を引き裂かんばかりの悲しみ――。
虚構が呼び起こすのであれ、現実で体験するのであれ、生み出されるこのような感情の熱量に差異はありません。
そして、激しい感情を伴うからこそ、長きにわたって記憶に刻み付けられるのです。
一度、思い出してみてください。そして、比べてください。
あなたが実際に体験した事についての強い感情を思い出すのと、映画に感動して呼び起こされた強い感情を思い出すのに、違いはありますか。
もちろん、手触りや、臭いなどの点で実体験の記憶の方が情報量は多いことでしょう。
しかし、ひとたび記憶のなかに仕舞い込まれてしまえば、人は記憶の補完さえ行います。
極めて強い感情は、実体験であれ、疑似体験であれ、それにまつわる記憶を引き出すたびに、再び鮮明に脳裏に蘇ることでしょう。
感情は、物語の肝なのです。
CGが見たければ、きれいな動画集でも眺めていればいいじゃないですか。
興奮したいだけなら、映画館ではなく、遊園地やゲームセンターに行ってもいいじゃないですか。
そうではなく、「物語」を鑑賞するからには、登場人物の誰か、あるいはその世界を覗き込む神のポジションに自分を置いて没入するのでなくては退屈してしまいます。
思えば、ハリウッド映画、特に大作を作る制作会社は、ここ数年、観客を嘗めてかかっていたと思います。
彼らは、ふざけた冗談や可愛いキャラクターを織り込んだストーリーでなければ観客にはウケないと決め込んでいたのではないでしょうか。
ところが、観客が求めていたのは感情を掴んでくる物語、そして感情移入できる登場人物でした。
登場人物が繊細に描かれるからこそ、彼らのうち誰一人にも死んでほしくないと思うし、迫りくる脅威に心から恐怖を覚えることができるのです。
ドラマツルギーの基本中の基本。
それを、本作は改めて見せてくれたようにも思います。
■敗戦直後の日本
何もかもなくした戦後の日本。
焦土と化した東京の焼け跡で、それでも生きていくために生活をしていかねばなりません。
荒れ果てた住居や闇市、そこに住む人々の心も荒んでいる様子が、本作序盤で丁寧に描かれます。
誰もかれも薄汚れてみすぼらしい格好なのに、パンパン(米兵を主な相手として売春を行なった街娼)と思しき女性たちだけが派手な身なりで歩いています。
そういう、時代です。
闇市で薄い雑炊をもらって啜っていた敷島は、ひょんなことから赤ん坊の明子(永谷咲笑)を連れた大石典子(浜辺美波)と出会い、そして、典子は図々しくも敷島についてきて、敷島の家にいついてしまいます。
典子は空襲で両親を失っており、連れている明子も空襲のさなかに他人から託された赤ん坊で血のつながりはないのだと言います。
いかにも、戦後の混乱期にありそうな話です。境界が緩くて、でたらめで、みんな貧しくて、とにかく助け合わなければ生きることができない状況。
昭和という時代には長きにわたって、この戦後混乱期の名残が完全には消えず残っていたようにも思います。
家に入ってきた泥棒に飯を食わせて説教して帰したとか、素性の知れない若者を「行くあてがないなら」と住み込みで置いてやったとか、令和なら考えられないような話が普通に「あるある」だったのが昭和という時代です。
あれほど敷島を責めていた澄子も、赤ん坊の明子のためにと、貴重な白米を分けてくれます。
この、終戦直後のときの白米です。
それでなくとも1945年は大凶作の年で、わずかな白米を手に入れるのがどれほど大変なことだったか、測るに難くありません。
「育てられもしないのに、簡単に子供なんか引き取るんじゃないよ!」
などと、きついことを言いつつも、何かと明子の面倒をみてくれる澄子はツンデレ気質のようです。
自分の3人の子らを戦火で失ったことから、明子を放っておくことができないのかと思うと、胸痛むものがあります。
敷島は典子と明子を養うために、復員省から紹介を受けて磁気式機雷の撤去の仕事を引き受けます。
報酬がいいのは、死の危険が伴う掃海の仕事だから。
ここで典子は、危険な仕事は断るようにと敷島に言います。
寝ても覚めてもサバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)に苛まれ、自分は生きていてはいけない人間だと暗く思い悩む敷島に、典子だけが、「生きてくれ」と訴えかけてくるのです。
しかし、敷島は、金があれば明子にアメリカ製の粉ミルクだって買ってやることができると言って、掃海の仕事に出掛けていきます。
■新生丸の仲間たち
磁気式機雷とは、近くを通る艦船などの磁気に感応して自動的に爆発する機雷で、実に厄介なものです。
しかし、これに対応する特別誂えの掃海艇に乗るから安全なんだと典子に説明して出てきた敷島ですが、「新生丸」の現物を見て唖然とします。
新生丸は、古びた木製の掃海艇でした。
なるほど、木造船なので、磁気式機雷が反応しないというわけです。
このオンボロ木造船に乗って別の掃海艇「海進丸」とペアを組み、両船舶を繋ぐワイヤーカッターで磁気式機雷を海底に留めている鎖を切り、浮かび上がってきた機雷を13mm機銃で撃って爆破処理するというのが仕事の内容です。
うーん、この。ぼろぼろの装備をあてがっておいて、一個人の努力と匠の技で偉業を成し遂げさせようとする感じ。
そして、本当に成し遂げちゃうところ。
全く、いやになるくらい、日本!
この仕事に従事することで、敷島は、新生丸の乗組員である艇長こと秋津淸治(佐々木蔵之介)、学者こと元技術士官の野田健治(吉岡秀隆)、小僧こと水島四郎(山田裕貴)と出会います。
小僧は、もうちょっと戦争が長引いていたら、俺も戦争に行けたのになあ! などと口走って敷島に胸倉を掴まれる、典型的な軍国少年を演じており、観客のなかの「戦争を知らない子供たち」を代表する役どころなのではないかと思います。
パンフレットを見ると、自分が戦争に行けなかったから、実物の機雷を見てみようとこの仕事に応募したらしきことが書いてありました。
学者は、戦時中は武器の製作に携わっていたからこの仕事に応募したと言いますが、彼の地位なら、他にもっと安全な仕事もあったように思います。
作中、自分も未だに当時のことを思い悩むと敷島に語るシーンがありましたから、恐らく彼もサバイバー症候群に苦しめられているのでしょう。
そして、豪放磊落な気質に見える艇長は、どのような理由で掃海の仕事を請け負ったのか、明確な台詞はありません。
しかし、のちに新生丸がゴジラを足止めしなくてはならないという無謀な作戦を命ぜられる局面で、
「俺はもう東京が火の海になるのを見るのはいやだ。」
「誰かが貧乏くじを引かなきゃならないんだよ!」
と、逃げずに舵をとるシーンがありますから、東京大空襲ではひとかたならぬ被害を受けたものと想像できます。
妻子を失ったのでしょうか。親兄弟を、家を失ったのでしょうか。
その経験が、命がけで機雷を除去する危険な仕事に彼を駆り立てるのでしょうか。
いろいろ考えると、それだけで胸が痛みます。
■血のつながりのない家族の人間模様
新生丸の仕事を始めた敷島は、目に見えて金回りがよくなり、焼け跡に家を建て、バイクを買います。
1945年から1946年、そして1947年へと月日が経つうちに、街並みも少しずつ復興していきます。
本作では、敷島の家の新築祝いのために、新生丸の乗組員が敷島家の食卓を囲むシーンが描かれます。
卓上に酒食が並び、酔いが回った学者は上機嫌でカメラを取り出し、典子の写真を撮ります。
それを冷やかす艇長に、恥ずかしそうに笑いながら、人妻なんだから横恋慕はしないというようなことを答えます。
すると、典子が、奥さんじゃないんですと否定するので、その場に妙な空気が流れます。
典子は席を立って台所に行ってしまうので、皆に事情を訊かれた敷島は、典子や明子と出会った顛末を淡々と語ります。
「それは、こんなご時世に美談じゃないですか…。」
という学者。
しかし、幼い明子が、「お父ちゃん」と呼びかけると、
「言っただろう、俺はお父さんじゃない。」
と、敷島は否定します。
明子は目を逸らす。
その様子を見て、憮然として、
「実に、不健全だ。」
と、眉間を縮める学者。
一同は困惑顔です。
この状況はよくない、典子や明子のためにも腹を括れという艇長、幸せにして~とふざける小僧、それを、「そういうのはいいんです!」と厳しく一喝する敷島。
酒席は気まずい沈黙に包まれます。
このとき、女である典子だけは男たちと飲食をともにせず、一人、台所に立って炊事しています。
この辺りの演出も、実に、監督は昭和をわかっていらっしゃる。
お客さんを家に招いたら、飲食できるのは男だけで、女はおさんどんに徹するしかありません。
これ昭和の常識です。
小さな小さな台所に立って炊事をしている、その背中から、典子の辛い思いが伝わってきます。
典子の置かれた立場や決意というものを、そのワンシーンで、典子の背中で見せるという冴えた演出、そして見事な演技でした。
■吾爾羅からゴジラへ
私はいわゆる「ゴジラファン」ではないので、ゴジラ作品全部を鑑賞してはいません。
しかも、庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』以外はどれも子供のときに鑑賞したものなので、いくつかのシーンをまばらに思い出すことしかできません。
しかし、初代の『ゴジラ』が、第五福竜丸事件にインスピレーションを受けて制作された映画であることは知っています。
第五福竜丸事件とは、冷戦下の1954年3月1日、アメリカによって行われたビキニ環礁での水爆実験で、アメリカが危険水域と設定したエリアの外にまで核の影響が及び、日本のマグロ漁船が「死の灰」を浴びて、無線長の久保山愛吉らが死に至った事件です。
日本政府の調査によると、このとき被曝した船は1,422隻。
これを受けて、迅速にも最初の『ゴジラ』は、同年11月3日に公開されました。
ちなみに、本作も初代ゴジラへのリスペクトとして、同じく11月3日に封切られています!
本作のゴジラは、もともと大戸島の海洋に生息していた「吾爾羅」が、1946年にビキニ環礁で行われた核実験「クロスロード作戦」によって被曝し、怪獣「ゴジラ」となったという設定です。
初代『ゴジラ』で最初にゴジラが上陸した土地である大戸島から物語を始めているところにも、初代に大きな敬意が払われていることが見て取れます。
アメリカに接収された日本の戦艦「長門」は、クロスロード作戦での標的とされ、21キロトン級原子爆弾で沈められるのですが、このとき、回遊中であった「吾爾羅」も同時に被曝して瀕死の重傷を負います。
放射能の影響は甚大で、ゴジラ細胞が有する再生能力をもってしてもエラーに次ぐエラーを起こし、ゴジラは元の姿を取り戻すことができませんでした。
こうして、50.1mの巨体を誇る怪獣「ゴジラ」が誕生します。
本作が反核の映画であることは、山崎貴監督ご自身が公言していらっしゃるところであり、本作のゴジラが核の恐怖を具現化した存在であるということはまず間違いありません。
実際、予告編にもあった、熱線を発射するときに青白く輝く背びれがガコン、ガコンと抜けていくところは、まるで原子炉の制御棒を抜いているみたいに見えますよね。
そして、美しくも恐ろしい青白い光は、いわゆる「チェレンコフ光」のように見えます。
核爆弾により全身を灼かれる痛みと苦しみのなかから、憤怒の塊となって蘇る怪獣ゴジラ。
ゴジラも核の被害者であり、生まれ変わった怪獣ゴジラは、戦争の惨さを体現する荒ぶる神、恐怖の神として、人間には太刀打ちできない境地に到達します。
その怒りの塊のような姿は、ただ恐ろしいだけではなく、どこか奥底に、凄絶なまでの悲愴さを秘めているように感じます。
■新生丸vsゴジラ
映画ではごく短い時間の白黒映像でサッと手短に語られるのですが、「吾爾羅」が巨大ゴジラとなった後の、最初の被害者は米軍です。
米軍の駆逐艦ランカスターが巨大ゴジラによって沈められ、その後、潜水艦レッドフィッシュが大破と引き換えにゴジラの背びれの写真を撮ったことにより、連合国軍最高司令官(GHQ)のダグラス・マッカーサーはゴジラの存在を知るに至ります。
しかし、アメリカとソビエト連邦との関係性の悪化を理由に、アメリカは軍事行動を起こさないことを決定し、日本が独自にゴジラに対処するようにと通告してきます。
敗戦後、まだ数年しか経っていない日本。
政府はGHQの統制下にあり、軍隊は解体され、軍用機や軍用艦は接収され、武装もできず、物資もない、資金もない。
ないない尽くし、徒手空拳の状態でゴジラに対応しろと言うのですから、これは、アメリカ政府から日本人は全滅してよしと言われているも同然の状態です。
なんなら、冷戦時代の設定なので、日本を経由してゴジラをソビエト連邦に送り込めればなおよし、くらいに思われていた可能性すらあります。
そこで、新生丸に新たなミッションが下されます。
接収艦のうち、自沈処理が決まっていた重巡洋艦「高雄」だけはアメリカから日本に返されてきたので、「高雄」がシンガポールから帰投するまでの時間稼ぎとして、新生丸が近海の警備にあたれというのです。
オンボロ木造船・新生丸には、辛うじて機雷爆破用の13mm機銃が1丁装備されているだけ。
それも、揺れる海上で照準を合わせるには敷島の目と勘が頼りというアナログぶり。
命中させたところで、そもそも、これでゴジラを撃ち殺せるはずもありません。
この他の使用武器は現地調達せよとの無情なお達し。
そう、掃海の際に回収した機雷を武器として使えというのです。
それがゆえに、掃海艇がこの足止めミッションに抜擢されたというわけなのです。
全くもって、無茶苦茶な話、だが…、
いかにも「日本あるある」という感じの無茶振りでもある…!
令和の現在でさえ、決して安全とはいえない海域を行く海上保安庁の巡視艇は、ろくに武装していないのだから…。
さて、ここで、いよいよ本作二度目のゴジラの登場となります。
大戸島のときよりもさらに多数の深海魚が海面に浮かび上がってきて、ゴジラがより強大になっていることを暗示します。
敷島は全速力でこの海域を離れた方がよいと忠告しますが、艇長は、
「誰かが貧乏くじを引かなきゃいけねえんだ。」
と、舵をとります。
誰かが貧乏くじを引かなくてはいけないという台詞は、この後、「海神(わだつみ)作戦」の説明の際にも、参加している元海兵の台詞として登場します。
「なぜ、我々が貧乏くじを引かねばならないのですか。」
苦い、苦い台詞…、
大人だけがわかる台詞、ですよね…。
現実の世界でも、今まで、誰かが無言で貧乏くじを引くことを呑んでくれて、耐えがたき局面を踏みとどまって、時には命を犠牲にして、この国を支えてきたのでしょう…。
誰かの犠牲で成り立つ世の中は終わりにしたいものですが…、
世に不条理の種は尽きまじ。
理想論では、世の中は回らないのよねぇ…。
ゴジラの接近を知っても踏みとどまった新生丸の乗組員は、ペアの掃海艇・海進丸と無線で交信して、どちらが早く怪獣を仕留めるかなんて無理にも意気を上げているところに、とうとうゴジラの登場。
掃海艇「海進丸」、瞬殺。…
まさに、瞬殺。
実物を目の当たりにして、初めて、艇長も恐怖に強張ります。
漁船に毛の生えたような掃海艇で太刀打ちできる相手ではないことを全身全霊で悟り、逃げ出しながらも、そこは日本人魂、「高雄」のための足止めをするミッションは忘れておらず、手持ちの機雷を確認します。
回収できた機雷は、予備を含めても2個。
いやもう! これでどうしろと?
ここで新生丸を追い回すゴジラの構図、これがあの怖い怖い鮫の映画『ジョーズ』のオマージュであることは私にもわかりました。
背びれだけ海面に見えて、予想を超える俊敏さでそれが追いかけてくるなど、まさにそれ。
間近に迫りくるゴジラの巨大な顔。
VFXが精巧ゆえに生き物らしい目力(めぢから)があり、自分をこのような姿にした人間への怒りと憎しみが滾るようで、震え上がらんばかりに恐ろしい。
この怪獣にとっては、当然のことながら、新生丸の機銃など豆鉄砲のようなもの。
進路に投げ入れた機雷も足止めにならない。
学者の立案で最後の機雷をゴジラに噛ませるのに成功するも、信管が途切れており起爆できない。
絶望のなか、
「伏せろ!」
敷島は機銃でゴジラの口中の機雷を撃つ!
手がわなわな震えてゴジラに向かって発砲できなかった敷島が、ここで少しだけ恐怖を克服し、機銃のレバーを握りしめて発砲することで、一歩前進するわけです。
これで、ゴジラの顔半分を吹き飛ばすことに成功。
そして、そこで艇長のフラグ。
「仕留めたか…?」
もう! やめてよ、艇長!
いちいち「やったか」とか「仕留めたか」って言うのやめて!
フ ラ グ だから!
もちろんこの程度でゴジラが倒れるはずもなく、もりもりと傷が再生していく様子に一同は絶望に打ちひしがれる。
いままさにやられるという、全員が死を覚悟した、そのとき、…
ゴジラの横っ面に主砲が炸裂!
重巡洋艦「高雄」の到着!
なんと、頼もしい! 頼もしすぎる!
甲板に海軍士官の方々の姿も見える!
現実の「高雄」は、第二次世界大戦中は戦艦「大和」と肩を並べて戦った主力艦で、戦争末期にはB-29の猛攻により満身創痍となりますが、耐えて終戦まで戦い抜いた一等巡洋艦です。
シンガポールで敗戦を迎え、英国が接収。
引き渡しを受けた英国は、「高雄」と「妙高」の2隻を自沈処分することを決めます。
そして「高雄」は、1946年10月27日、英海軍によって大砲の的にされて散々なぶられた挙句、爆破され、マラッカ海峡に沈められるという悲惨な最期を遂げました。
この「高雄」を、作品のなかでスクリーン上に再現したのは、恐らく本作が初めてなのではないかと思います。
山崎監督は、「高雄」をスクリーンに登場させるためにこの時代設定を選んだというのですから、それはもう、ビジュアルにも力が入っています。
主人公のとんでもないピンチに駆けつけて、華奢な掃海艇を守るように、たった1隻で巨大なゴジラに真っ向勝負を挑む!
さしものゴジラも、鉄の塊をも粉砕する20.3cm主砲弾は効いているようにも見えるのですが、本作のゴジラはとにかく再生能力がすごい。
自分を痛めつけた「高雄」に怒り狂って襲い掛かり、艦橋に乗り上げて半ば持ち上げる。
「高雄」の甲板にいる士官は必死にしがみつき、巨大な怪獣に持ち上げられて斜めに吊り上げられながらも、「高雄」はグ、グ、グーッと三門の砲口を巡らせてゴジラの顔面を狙う。
そして、20.3cm主砲弾を臆せずゼロ距離で撃ち放つ!
このシーン、涙がブワワッとあふれ出ました。
映像には砲手は映っていない。映っていないけど !
どんな気持ちで、どんな表情で、砲台にかじりついていることか!
見たこともないような怪獣に打撃を受け、艦橋を持ち上げられながらも、砲手は撃つのが任務とばかりに、怯むことなく、逃げることなく、歯を食いしばって砲口を怪獣に向ける。
木造の掃海艇2隻が捨て身で稼いだ時間、そうまでしてつないだ最後の希望「高雄」が降れば、東京は火の海になるしかない。
その、覚悟。その、思い。
画面に映りもしないモブの心情まで想像させてしまう、山崎監督の手腕よ!
恐れ入谷の鬼子母神だぜ!
この渾身のゼロ距離砲撃を受けて、ゴジラは目に見えるダメージを受け、海底に沈みます。
そして、海底から不気味な青白い閃光が見えて…、
激怒したゴジラは、自分にダメージを与えた「高雄」に、最大攻撃となる熱線を浴びせます。
ああ…、
「高雄」が…!
重巡洋艦「高雄」、轟沈。
轟沈。…
この、青白く海水に揺らめく、「チェレンコフ光」のような、美しくも恐ろしい光、それに続く原爆そのものの爆炎。
海の藻屑と消えた「高雄」の悲劇とあいまって、身動きもできない衝撃でした。
■ゴジラの銀座襲撃
「高雄」と「海進丸」の尊い犠牲によって、命をつなぎとめた敷島たち。
病院のベッドの上で昏睡から覚めた敷島は、新生丸の仲間たちから、日本政府が、混乱を避けるためという理由で、「高雄」が沈没した事実を国民に隠していることを聞かされます。
政府主導のゴジラ対策は全く期待できない状況というわけです。
もちろん、日本政府も接収艦を何隻か取り戻しているくらいですから、戦勝国相手に必死の交渉は繰り返していたことでしょう。
ゴジラの日本上陸を喰いとめるために駆逐艦や海防艦で連鎖機雷の罠を設置したり、使用を許可されたわずかな戦車で戦車隊を編成したりと、制限だらけのなかで「できることはすべてやる」覚悟はあったのでしょうが、何しろ集団自衛できる国の組織を有していないのだから、できることには限りがあります。
政府が手を拱いているうちに、ついに、ゴジラが品川に上陸。
ここに至る前に、敷島の足手まといにならないよう自立するといって、典子が銀座で事務職を得るシーンが描かれていました。
予告編にもあったとおり、電車通勤の最中に、典子はゴジラの銀座襲撃にまんまと巻き込まれてしまいます。
なぜ、ゴジラはわざわざ日本に上陸して攻撃するのでしょうか。
ゴジラ映画としての「ご都合」以外の理由として。
これについて、私なりに考えてみました。
核爆弾により変異する前のゴジラは、日本の太平洋側、小笠原諸島からビキニ環礁の辺りまでを生息域とし、時々大戸島に上陸していました。
してみると、巨大化した後は回遊距離が伸びて、日本の太平洋側から上陸することがあっても不思議はないのではないでしょうか。
そして、物語のメタファーとしてのゴジラを考えるなら、戦争の象徴であるゴジラは、復興途中の日本に上陸し、戦火を免れた人や建物を徹底的に粉砕せずにはおかないわけです。
これを鎮めないことには、まさに、…
戦争は終わりません。
本作においてゴジラが暴れるシーンは、冒頭の大戸島上陸、新生丸や「高雄」との海上戦、品川上陸からの銀座襲撃、最終の「海神(わだつみ)作戦」と4回あり、どれも甲乙つけがたく圧巻です。
冒頭の大戸島・初登場のインパクト、「高雄」での接戦、海上の最終戦と、いずれも秀逸ですが、わけてもゴジラの暴れっぷりという点に着目するなら、銀座襲撃シーンが群を抜いているでしょう。
圧倒的なスケールと猛々しさで、容赦なき都市破壊が繰り広げられます。逃げ惑う人々を踏みつぶし、尻尾で建物をなぎ倒し、吠え、齧りつき、打ち払う。
せっかく戦火を免れていた日本劇場を打ち壊し、それを報道する記者たちがいるビルをも無慈悲に粉砕するシーンは、初代ゴジラや配給会社の東宝に対するリスペクトですね。
典子が心配で銀座まで捜しにきた敷島は、ずぶ濡れになって動けずにいる典子を見つけ、手を掴んで群衆と共に逃げ出します。
鑑賞中は、この騒動のなかであっさり典子を見つけ出すのはちょっとご都合主義が過ぎるのではないかとチラッと考えましたが、後になってよく考えてみると、ゴジラが電車の車両に噛みついて持ち上げたとき、車内に取り残されていた典子が滑り落ちそうになるシーンがあります。
この高さから落ちたら命がありません。
典子は両手で手すりに捕まって、サーカスのブランコ乗りのように宙吊りになります。
そして、意を決して、足下の池だか川だかの水中に足から飛び降りて逃れます。
このとき、ゴジラによくよく注目している敷島の目には、ペールブルーの服を着た典子が落下していくさまが、遠くからも見えたのかも知れません。
ところでこの電車宙吊りのシーン、典子を演じる浜辺美波さんは、自分自身で本当にぶらさがって演じたそうです。
ワイヤーで吊ると腕の形がリアルでなくなるかも知れないということで、命綱だけは付けたものの、本当に自分の腕の力だけで暫く全身を支えたとのこと。
「腕が引きちぎれるかと思った。」
と、パンフレットで語っていらっしゃいました。
敷島は典子が落下した水辺まで捜しに来て、彼女を連れて逃げ出しますが、ゴジラのあの最強攻撃である熱線の爆風に巻き込まれてしまいます。
銀座の熱線発射シーンも秀逸でした。
ゴジラがアーッと口を開いて口腔の奥が青白い光を発すると、同じく青白く輝く背びれが、尻尾の先から一つ一つ順々に、ガコン、ガコンと抜けていく。
これで、「来るぞ、来るぞ…。」と、いやおうなしに不安と緊張が募っていく。
今動かねば死ぬというのに、本当は少しでも遠くへ逃げなくてはならないというのに、まるで絶望の神に魅入られてしまったかのように群衆が呆然とゴジラを見上げている情景に息が詰まります。
そして、発射。
シュインッ! と短い音とともに強く鋭い熱線が放たれて、一瞬、シンと静まり返る。
そして、チュドガーン! 炸裂音。禍々しく立ち上るキノコ雲。
一呼吸置いて、ゴジラが口を向けていない方向にも爆風が吹き荒れて建物をなぎ倒す。
咄嗟に、典子は敷島を突き飛ばします。自分だけが吹き飛ばされていく。
この典子が吹き飛ばされていくシーン、ちょっと上体が斜めに折れていて、いやにリアルに見えます。
敷島はビルとビルの隙間に跳ね飛ばされ、辛うじて難を逃れる。
爆風が収まってから、
「典子…?」
呟きながら恐る恐るビルの隙間から歩み出ていく敷島。
どこかから舞い飛んできた紙屑が呆然とする敷島の体に当たり、また風に飛ばされていく。
破壊しつくされた銀座。
何もかも…、破壊しつくされた銀座…。
こわごわと、ゆっくりと、ゴジラの方を振り向くと、重々しいBGMが流れるなか、邪悪な面構えで地上を見下ろすゴジラ。そのバックに、原爆のキノコ雲が見えます。
――よく撮ったな、この画を!
すごい構図ですよ。実に、象徴的な画です。
本作でこの画を撮るという監督のセンスに、ものすごいものを感じました。
うう、ううう…と、獣のような唸り声を上げる敷島。
壊れてしまった人の目になってしまって。
叩きつけるように降り出した黒い雨に打たれながら、敷島は狂人じみた叫び声を上げるのです。
我々日本人の多くは、「黒い雨」の意味するところを知っています。
黒い雨は、原爆投下後に降る放射性降下物(フォールアウト)の一種で、強い放射能を帯びています。
アメリカにおいても、1989年に公開されたリドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』という映画のなかで、終盤、若山富三郎が演じる関西ヤクザの親分・菅井国雄の台詞として「黒い雨」が語られたことがありました。
ただし、海外においては、そのように関心を寄せて知識を持っている人はごく一部なのだろうと思っていたのですが、YouTubeなどで海外の方々の感想を見ると、存外、被爆や後遺症について正しいコメントを出している方がたくさんいらっしゃいました。
これは、インターネットの情報化社会のよき効果なのかも知れませんね。
この「黒い雨」のシーン以後は、敷島の顔つき、目つきが全く変わってしまいます。
敷島は、「黒い雨」で、ある一線を越えてしまったかのようです。
特攻からも逃げた敷島だというのに、このとき、まさに「十死零生」を決めたのだと思います。
※長すぎてUPできなかったので2つに分けます。続く。