フューリー | 愛すべき映画たちのメソッド☆

愛すべき映画たちのメソッド☆

映画感想家・心理カウンセラー・芸術家のNatsukiです☆

『映画にどんなに素晴らしいメッセージが含まれていようと
「娯楽性」がなければ作品としては失敗だ』/レオナルド・ディカプリオ



「俺の理想は平和だが、戦争の歴史は残酷だ。」



戦場の最前線では「人権」も「政治」も「宗教」も「思想」も全く必要なく、全く通用せず、あるのは「殺すか、殺されるか」の2つと《激しい怒り=FURY》だけという点が心底恐ろしい。

本作は日常生活では経験する事のない深く強く《激しい怒り》と、映画史の中でも珍しい《戦車戦》を中心に物語が展開する。

そして本作には、ナチス・ドイツで製造されたティーガーI重戦車「ティーガー131」が登場する。

この車輌は1943年第二次世界大戦中のチュニジア戦線で「イギリス陸軍第48王立戦車連隊」が捕獲したもので、現在は「英国ボービントン戦車博物館」に展示されている世界で唯一稼働状態にある《実車》である。

舞台は1945年4月第二次世界大戦ヨーロッパ戦線末期、ノルマンディー上陸作戦やマーケットガーデン作戦、バルジの戦いなどの大きな戦いが終わり、ドイツが降伏する間際。

ナチスがはびこるドイツに総攻撃を仕掛ける連合軍に、ウォーダディーというニックネームのアメリカ人兵士がいた。

カリスマ性のあるベテラン兵士である彼は、自ら《フューリー》と名付けたアメリカ製の戦車シャーマンM4に3人の兵士と一緒に乗っていた。

そんなある日、ウォーダディーの部隊に新兵ノーマンが加わることになる。

5人となった部隊は絆を深めていくが、進軍中にドイツ軍の攻撃を受け、他部隊がほぼ全滅。

なんとか生き残ったウォーダディーの部隊にも、過酷なミッションが下される。

そして、たった一台の戦車で300人のドイツ軍部隊と戦う事となる5人の兵士たちの運命は・・・。

監督は17歳でアメリカ海軍に入隊し、潜水艦の乗組員として勤務した経験もある 『エンド・オブ・ウォッチ』のデヴィッド・エアー。

本作には本物のティーガー戦車が登場し、恐ろしい戦車戦を展開する場面がある。

当時無敵だったドイツのティーガーIは、主要な敵戦車であるT-34、M4中戦車、チャーチル歩兵戦車を1,600メートル以上の遠方から撃破できた。

対して、主人公たちが乗るM4シャーマンの75mm砲は、ティーガーIの正面装甲を「零距離射撃」でも貫けず、側面装甲も「300メートル以内」でないと貫けなかった。

1輛のティーガーIにシャーマン4~5輛で攻撃を仕掛けても3~4輛は破壊される確率なので、1輌がティーガーIの注意を引き付けている間に、他が側面や背面を狙うという、まさに《死》を覚悟で挑まないといけなかったのだ。

ティーガーIの砲弾が近距離を通り抜けただけで近くの人間の体が破壊されるなど、この場面の緊張感と恐怖はとても言葉では表現できない。

そんなティーガーIの存在が連合軍兵士に与えた心理的ダメージは非常に大きく《タイガー恐怖症(タイガー・フォビア)》という症状を引き起こす兵士が後を絶たず、ティーガーIを見かけただけで逃げ出す兵士も多かったそうだ。

命中すると当たりどころによっては戦車内が熱風で蒸し焼きになったり、炎に包まれたり、爆発したりする、ドイツ国防軍の携帯式対戦車擲弾発射器「パンツァーファウスト」の描写も恐ろしい。



「あれが家だ。言われた通りにやれ。誰ともそんなに仲良くなるな。」



本作は、一瞬の判断ミスで《死》へ直結する世界へ放り込まれた「新兵」の、想像を絶する恐怖を軸に描かれる。

彼は『プライベート・ライアン』における「アパム」の映画的役割りと同じで、そのために《戦場》の事など微塵も知らない我々観客も新兵同様の恐怖を追体験することになる。

自分の判断ミスで目の前の仲間がどんどん死んでいく。

一瞬の躊躇で仲間の戦車がどんどん破壊されていく。

一瞬の「同情」も「躊躇い」も「判断ミス」も、全てが《死》へと直結している恐ろしさ。

戦場では、泣いてる暇も悲しんでいる暇も恐れている暇も無い。

「敵を殺す」以外の思考は全て《死》を招く。

常に死神が真横に立っていて自分の首に大きな鎌を当てている様な状況なのだ。

そのシビアな状況を手っ取り早く判らせる為に、ベテラン兵士が「降伏した敵兵」を射殺するように新兵に命じるという、目を背けたくなる様な場面がある。

もちろん新兵ならば誰もが泣いて拒否するだろう。

だが戦場に「綺麗事」は全く必要なく、いかに「優しさ」や「情」が無意味で危険で、一般社会の「常識」や「価値観」も全く必要なく全く通用しないという事実を、目の前に叩きつけられる。

本作は『U・ボート』『地獄の黙示録』『プラトーン』『ワンス・アンド・フォーエバー』『フルメタル・ジャケット』『プライベート・ライアン』『ブラックホーク・ダウン』『ハート・ロッカー』と同じく、戦場の非情さ、人間の弱さ、人間の凶暴さ、戦争の無意味さ、などの《リアル》を克明に描いている。

一見すると無敵に見える戦車でさえもどこかに必ず弱点があり、一瞬の判断ミスであっさりと負ける事もあるという点も象徴的だ。

操り人形のように5人の息をピタリと合わせて操縦しなければ上手く動かない「戦車」という名の「家族」は、みんなで《死の恐怖》を共有し、敵への《激しい怒り》を共有し、最後は共に散る運命にある。

つまり、日常生活では経験する事のない「仲間たちと人生の最後を共にする」という覚悟は、本当の家族を遥かに超えた深く強い《絆》が生まれるだろう。

日常生活では経験する事のない深く強く《激しい怒り》と共に・・・。



「降伏だけはやめるんだ。酷いことをされるぞ。酷い殺され方をすることになる。」