
「春は夜桜、夏は星、秋は満月、冬は雪、それだけで酒は十分うまい。それでも酒がまずいなら、自分自身の何かが病んでいる証拠だ。」
『永遠の0』の宮部は過酷な戦場の中で妻子を案じ「必ず生きて帰ること」を重んじ、その想いは軍隊の中で伝説の様に広まっていった。
彼は誰に「臆病者」と言われようがその想いを貫き、多くの人々を救った。
臆病だと思われた者が実は一番強い心を持っていたのだ。
そのテーマにも通じる本作は、殺生を止めた「心優しき殺し屋」が「生きること」の大切さを胸に秘め旅をする。
そこへ「信じたものに裏切られ、どん底に叩き落された者たち」が地獄の底から「死」を呼び寄せ、愛に満ちた者たちの「生」を脅かし始める。
「死ぬこと」「殺すこと」を恐れない者たちの恐ろしい野望を「不殺の誓い」で阻止する事はできるのか・・・。
「災いの象徴」の様な、圧倒的に強い「悪の権化」を倒す為に、自分の命を犠牲にする覚悟で挑む。
だが「自分の命を捨ててでも・・・」という想いは、何にも勝るように見えながらも、諸刃の剣であるから実は完璧ではないのだ。
「今のままでは志々雄真実は倒せない。仮に倒したとしても、お前は自分の中の人斬りには勝てず、生涯悩み続け、孤独に苛まれ、人を斬る。ならば奥義の伝授の代わりに引導を渡すのが師匠としての最後の務めだ。」
「不殺の誓い」は自分自身の命も含めてこそ真の意味を持つ。
自分の命を大事に出来ない者に赤の他人の命を守れるはずはない。
自分の命を犠牲に何かを成し遂げるという考えは、テロリストの自爆テロと紙一重の危うさとも言える。
そして、テロに対し「目には目を」で武力で応戦していたら多くの「命」を失い、多くの「憎しみ」を新たに生み続ける事になる。
永遠に繰り返される「憎しみの連鎖」に陥り抜け出せなくなる。
安慈というキャラクターは志々雄に従っているわけではなく「目的が同じだから、行動を共にしているだけ」と言った。
この悪の軍団は現実の某テロリスト集団と同じ構造で背筋が凍る。
本作は、今この地球上で実際に起きている「憎しみの連鎖」に対して警鐘を鳴らし、多くの「悲劇」を食い止めようとしているのかもしれない。
この物語は、怒りや挑発に満ちた苦難の連続の旅路の中で、最後の最後まで「不殺の誓い」を守り抜いた強い意志が、愛する者を救い、世界を救う。
同じく『永遠の0』の宮部は「必ず生きて帰る」という強い想いがあり、誰よりも意志が強かった。
「生きよう」という意志は、どんな悪よりも強く、どんな正義よりも純粋で愛に溢れているのだ。
ラストで剣心が薫に向けた素晴らしい一言の台詞は、抜刀斎という「伝説の最期」を迎えた後、新たなる剣心に生まれ変わった証なのだろう。
「一度や二度の勝負で答えが出せるなら人は道を踏み外しはしないでござる。その答えはこの後の人生で自分で見出すでござるよ。」
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