
「しんちゃん映画史上、最もアツイオヤジの戦い。全国のお父さん、そして家族が涙する!」
『クレヨンしんちゃん』劇場映画シリーズ第22作目。
ギックリ腰で腰を痛めたひろしは突如現れた謎の美女に連れられ、マッサージも兼ねてエステの無料体験を受けることになる。
エステを終えて家に着いたひろしだったが、そこで自分の体がロボットになっていることに気付く。
ロボットになった自分を前に警戒心むき出しの妻みさえと大喜びのしんのすけ。
そんな中ひろしは、自分の体がロボットになった原因があのエステサロンであったことに気付く。
それは、邪険に扱われる日本の弱い父親達の復権を企てる組織の恐るべき陰謀だった。
崩壊寸前のカスカベを前にロボットになったひろし=「ロボとーちゃん」が、しんのすけと共に立ち上がる・・・。
自分の「情けなさや弱さ」を認める勇気はなかなか持てるものじゃない。
しかし、それを持てた時に本当の強さを持つことが出来るのだ。
何歳になっても自分を背伸びさせて見栄を張っている大人は少なくない。
どうでもいいプライドを捨てる勇気。
そんな勇気を獲得し「父親」として成長するひろしを中心に描いた本作は、とても熱いメッセージがたくさん詰まっている。
「うちの旦那は結構しぶといのよ。足のにおいだって洗っても洗っても落ちないんだから!」
35歳で係長、専業主婦の妻と子ども2人を養いつつ、庭つき一軒家まで持っているスペックと、何よりも家族と子どもを愛する姿勢が、しんちゃんファンの若者たちの間で見直され「理想の父親」として尊敬のまなざしを一身に集める存在になっている「ひろし」。
弱くなった父親の復権を目指す「父よ、勇気で立ち上がれ同盟」=通称「父ゆれ同盟」の登場によって、父親としてのひろしの存在は頑固親父とは対極にあることが浮き彫りにされる。
それは、ひろしが「自分の弱さを認める」ことでより一層際立つし、家族を「守り」ながらも家族と「同等の目線」で共に歩んできた彼の姿で明らかだろう。
ひろしは自分の子供達に対し「上から目線」で指示したり、頭ごなしに叱ったりはしない。
常に子供と同じ目線で共に生活し、一緒にふざけて(時に子供以上に)遊び、子供の心の成長には必須である「笑い」を絶対に忘れない。
その上で、家族を守るためにいつも全力で「最優先で」奮闘する。
だから子供=しんちゃんは全力で「安心して」ふざけれるし、家族みんなが毎日を面白おかしく謳歌できているのだろう。
その姿勢が時に妻の怒りをかうのだが。
つまり、ひろしは世の中の理想の父親という存在の象徴であるかの様に、本シリーズで「縁の下の力持ち」的存在としてしんちゃんを陰で支え、しんちゃんを間接的に光り輝かせているのだ。
『リアル・スティール』『パシフィック・リム』『ターミネーター2』『ロボコップ』などのオマージュが散りばめられた本作は、表向きは痛快なロボット映画の姿をしているが、内面のハートは最高の育児映画なのだ。
だからラストシーンで我々「男」の観客は、涙が溢れて止まらないのだろう。
「なんで男って巨大ロボが好きなのかしら。」
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