
「まるで娼婦みたいな格好だな。」
フランスのシャチ調教師の女性がショーの最中に両足を失う大怪我を負ってしまう。
過酷なハンディキャップを抱え生きる希望さえ失っていく日々の中で彼女の心を開かせたのは、5歳の息子をもち不器用ながらも必死で生きている無口で粗野なシングルファーザーとの出逢いだった。
あらゆる障害など全く気にしない男性に惹かれていく傷ついた女性の世界という点も含めて、同じくフランス映画の『最強のふたり』と通じる余韻がある。
主に両足の膝から下を「消す」ことに使われた見事なCG技術は『フォレストガンプ』以来の素晴らしさで説得力に溢れている。
本作は人それぞれの「大事な何か」を「失う」ということの重大さや、そのトラウマを克服する過程を描いている。
肉体や家族や職や財産や名声や美しさなど、人によって様々な違いはあっても、あらゆる登場人物に「失うことの恐怖」が訪れる。
失ってから気付く絶望もあれば、失いたくないという恐怖もある。
本当に大切なものは失った後や失う寸前の「その瞬間」まで気付かなかったりするものだ。
だからこそ失う事を防げなかったりするし、そこから学び成長することができるのかもしれない。
観客を無駄に「泣かせよう」「感動させよう」という下心が一切感じられない本作は、まるで主人公の男の立ち振舞いとリンクする様にドライに淡々と綺麗事も抜きに「現実」を突きつけてくる。
セックスや暴力や剥き出しの感情で溢れているリアルな「この世界」を、偏見も嘘も理屈もなく描いているからこそ説得力のある「希望」をストレートに感じる事ができる。
そしてドキュメンタリーの様に、目に見えない事の「状況説明」や登場人物の「心境」をバッサリと巧みに排除している本作は、物語の過去と未来を「想像」する余地を無限に残してくれている。
同時に「失いたくないもの」を改めて考え気付く為のキッカケも与えてくれる。
我々が「何か」を失う前に・・・。
「手を折ると接合部がカルシウムで包まれ骨折の前よりも強くなる。しかし決して元通りにはならない。」
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