
「あんたのその舌、胃袋まで押し込んじゃろうか?」
残酷な「運命のいたずら」に翻弄される人々を静かなタッチで描いている点で『アモーレス・ペロス』『21グラム』『バベル』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品風であり、70年代の「日活ロマンポルノ」を再現した雰囲気でもある本作は、終始「ミンミン」と鳴き続ける蝉や、むせ返る様な暑さ、田舎の閉塞感、逃げ出せない不自由さ、抑えられない「性」の衝動、全編に「猥褻な空気」が充満している。
田中慎弥による「人間の暴力と性」を描いた芥川龍之介賞受賞の短編小説の映画化で、ロカルノ国際映画祭Jury Award最優秀作品賞とボッカリーノ賞最優秀監督賞受賞作品。
昭和の終わり、昭和63年、山口県下関。
高校生の主人公は、父と、父の愛人と三人で暮らしている。
実の母は家を出て近くで魚屋を営んでいる。
主人公の青年は父の「暴力的な性交」をしばしば目撃する中で、自分が父の息子であり「彼の血」が流れていることに恐怖感を抱いていた。
そんなある日、幼なじみの女子とのセックスでバイオレンスな行為に及ぼうとしてしまい・・・。
まずは「どん詰り感」や「逃げ道の無さ感」など、地方特有の「空気」に圧倒される。
同時に、十代ならではの「性」への倒錯に共感させられつつも「性への後ろめたさ」に悩まされるイメージが全体を覆っている。
これらは『悪人』を観た後の感覚にも少し似ている。
露骨に何度も出てくる「川」の映像に象徴される様に、本作は「どうしようもない人生の流れ」に逆らおうとも逆らえない「運命の緊張感」に満ちている。
そして、切りたくても切れない「親と子の絆」に翻弄される「子供の苦悩」を描いている。
やはり子供にとって「親」の存在は大きく、避けられない指標となる。
「ダメだ」と判っていても避けられない大きな存在。
そこから「もがき苦しみ」、葛藤する十代の青年の日々。
そこには「愛」という感情しか残されないし、最もその「愛」に悩まされ続け誰もが「欲望」に溺れていく・・・。
「暴力」の衝動と「生」の原点である「セックス」という欲望に溺れる快感は麻薬の様に凶暴であり、夏の気だるさの様にジリジリと心の弱い人間から順番に「共喰い」されていく。
「俺がやったんじゃ。俺が来とったら、何もなかった。」
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