
「私たち誰も知らなかった。昨日も今日もいたママが、明日にはいなくなるなんて。突然いなくなるなんて。」
「子供の声が聞こえていますか?」と言われたような気がする。
本作の展開やセリフには胸がしめつけられ心が震えた。
恐らく、本作への賛否両論は製作者たちは想定内だったはずだ。
このリスキーな題材にあえて「TVドラマ」で挑んだ製作者たち全員の勇気と心意気に賛辞を贈りたい。
映画やドラマには「メッセージ」が読み取りやすい作品と、読み取りにくい作品がある。
本作はシンプルかつストレートに「子供の心理」と「大人たち」が描いてあり誰もが容易にメッセージを読み取れるだろう。
そのメッセージを読み取れずに不快な思いをしてしまったら、放送中止を訴えるのではなく「観ない・観せない」という選択肢がある。
もしも本作が「放送中止」になってしまえば、映画・ドラマ・バラエティ・ゲーム・音楽など、全ての「芸術」の表現の自由を狭めてしまう事になる。
日本の児童養護施設で生活する児童の数は3万人もいて、日本における「里親制度」も多くの問題がまだまだ残っている。
赤ちゃんポスト、コインロッカーベイビー、パチンコ依存の親に捨てられた子供・・・などの問題も詰まっている本作は、児童養護施設を舞台に、様々な「大人の勝手な」事情で傷つけられ、親と切り離された、「愛を知らない子供たち」の過酷な運命が描かれている。
想像もしていなかった本作の「切り口」はとても斬新で、心を鷲掴みにされ目が離せなかった。
フィクションである「物語」の可能性を、いろんな意味で広げた作品かもしれない。
普段の生活ではなかなか知ることのできない、現代日本の現実に存在する深刻なテーマを、完全に「子供目線」で描いている点も目からウロコで、あえて大袈裟でドラマチックに誇張している点も、大人には判らない「子供目線」だからこそだと思えば全てが納得できる。
その誇張具合は『アメリ』『パンズ・ラビリンス』『パコと魔法の絵本』に通じる表現方法だともいえる。
心を傷つけられた純粋な子供たちの目には、大人たちは「より醜く、より恐ろしく、より滑稽に」見えているのかもしれない。
大人が思っている以上に。
『Mother』の芦田愛菜と、『Woman』の鈴木梨央という二人の大女優の演技合戦も素晴らしく、二人が感情をぶつけ合う場面の数々には本当に涙が止まらなかった。
こんな思いをしている子供たちが沢山いるという事実を、こんなに子供の気持ちを考えれない親たちが沢山いるという事実を、フィクションの中からでも十分に感じ取れた。
この作品は、虐待を受けた子供たち、大好きな親に一方的に見放された子供たち、親の顔も知らない子供たちの、「心の叫び」を代弁している。
それを受け取った我々大人は、何を考え、何ができるだろうか。
本作の放送中止を訴えている場合ではない。
より多くの大人たちに本作を観てもらい、より多くの人達にこの問題を真剣に考えるキッカケが生まれた方が、日本の子供たちの未来はきっと良い方向へ向かうはずだ。
「やっぱりこんなの絶対間違ってる。あの子が迎えに来てほしかったのは本当のお母さんで、偽者のお母さんじゃない。お母さんってきっとそんなんじゃない。私を産んでくれて、ギュってしてくれて、いっぱい名前を呼んでくれる。」
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