
「人々は君を南部一の早撃ちというだろう。」
タランティーノ監督が「歴史上虐げられてきた人たちに、映画の中だけでも復讐させてあげたい。」という想いを再び実現した。
アメリカ、ディープサウス。
解放奴隷のジャンゴがドイツ系賞金稼ぎの男と共に、サディスティックでフランスかぶれの農場主に立ち向かい、奪われた妻を救うまでの長く険しい旅路。
前作同様に「世界の黒歴史」の中で苦しんできた人々の壮絶な「復讐劇」を堂々と、かつ『パルプ・フィクション』の様にクールなエンターテインメントとして描いている165分の大作。
世界中の「映画」を心から愛しているクエンティン・タランティーノ監督の映画愛が詰まった、新たなる代表作の一本。
タランティーノ監督作品は全作が代表作と言って良いくらいだが、「戦闘シーンのない戦争映画」を撮った後に「血まみれ西部劇」を創造するという、世界の映画フリークが羨む「映画まみれ」の視点が飛び抜けている。
彼は大好きな映画のあらゆる知識と俳優と音楽とをミックスした「脳内世界」をリアルな映像として完璧に実現できる「奇跡の存在」でもある。
彼がリスペクトする「続・荒野の用心棒」のフランコ・ネロと、「マイアミバイス」のドン・ジョンソンと、新旧の『華麗なるギャツビー』繋がりであるブルース・ダーンとレオナルド・ディカプリオを、ごちゃまぜにして現代の同じスクリーンに映し出せる大胆さと発想力と遊び心。
『レザボア・ドッグス』の「色選び討論」や「マドンナ談義」に匹敵する「袋かぶりの疑問」の場面は、タランティーノらしいユーモア全開で、毎作恒例「無駄話」の真骨頂。
白人の西部劇と黒人のブラックスプロイテーションを融合させた様な方向性は『ジャッキー・ブラウン』の再来を彷彿とさせる。
自分にとっての「悪人たち」を容赦無く倒しながら最愛の人を求めて突き進むカウボーイの姿は『キル・ビル』のザ・ブライド風でもある。
「演技」を見破る側と見破られる側との、極度にスリリングな駆け引きと心理戦の食事シーンは、『レザボア・ドッグス』でティム・ロスが置かれている状況や、『イングロリアス・バスターズ』の地下酒場の場面を思い出させる究極の緊張感。
そして、ラストの爽快感とバッサリな幕引きは『デス・プルーフ』のラストに匹敵する潔さ。
後半に登場するタランティーノ作品の常連サミュエル・L・ジャクソンは実は『パルプ・フィクション』のジュールス並のキーパーソンで、面白くも恐ろしい。
最高の憎まれ役を見事に演じきったディカプリオが初登場する場面の、ピントが一瞬ズレるほど素早いカメラの動きと、手ブレで役者の顔に寄るB級カンフー映画を真似たチープなカメラワーク、通称「香港ズーム」は『キル・ビル Vol.2 』以降のタランティーノ作品の特徴。
その効果もあり、ディカプリオの笑顔の憎々しさが倍増している。
そして、劇中さりげなく登場するタランティーノと、ゾーイ・ベルと、パークス親子は、タランティーノ作品を愛するファンへの密かなお楽しみ。
「また会おう。」
Android携帯からの投稿