「ケンちゃん、ケンちゃーん、いるんでしょう?また隠れてプリン食べてるでしょ。いるなら電話に出て。冷蔵庫の中をみて欲しいの。」
小さな鉄工所を経営する中年の男は、5年前にひき逃げ事件で最愛の妻を失い、抜け殻のように《復讐》だけを考えながら日々を生きている。
同時に、刑期を終えて出所したひき逃げ犯のもとに、復讐を遂げる日までのカウントダウンを告げる脅迫状が届くようになる。
そして、妻の命日の夜が訪れる・・・。
まずは堺雅人の《別人っぷり》に今作も驚かされる。
知らずに観たら堺雅人とは直ぐに気付かないかもしれない。
ぶ厚い眼鏡でタバコばかり吸って、無口で挙動不審。
作風もドキュメンタリータッチで、リアルさが凄まじい。
全編《フィルム・ノワール》の様な雰囲気で、薄汚れた世界が広がる。
汗の匂いが漂う鉄工所、生活臭のする家屋、血の匂いのする暴力、生暖かい空気の台風、生々しい言葉たち・・・。
堺雅人が全身全霊で表現する《悲しみのどん底での言動》も、現実以上のリアルさがある。
悲しみと暴力と無関心と狂気で溢れたこの世界で《平凡》である事がどんなに素晴らしい事か、失った《平凡》を取り戻す事がどんなに難しいか、《平凡》を失う事への恐れ、いろいろと思い知らされる。
プリンを思いっきり食べる平凡、夕飯がコロッケな平凡、夫婦でキャッチボールする平凡、バイトを頑張ってソファーを買う平凡、家族でファミレスの席が空くのを待つ平凡、居酒屋で同僚の愚痴を言い合える平凡、異性を紹介してもらえる平凡、牛丼屋でカレーを食べる平凡・・・。
失って初めて気付く《平凡》の素晴らしさ。
平凡でいられる事の大切さ。
登場人物たちはみな平凡を失い、平凡を求めて、もがき苦しむ。
平凡な日常に見放された二人、堺雅人と山田孝之の対照的なキャラクターと、対照的な役作りが火花を散らす土砂降りのクライマックス。
『七人の侍』を彷彿とさせるこの場面でも、ラストの魂を揺さぶられる長回しの場面でも、我々は二人の《非凡》な役者魂に巡り逢える。
「失敗した、さっき松屋でカレーを食べてきたんだけど、こんな時だってのに、口がカレー臭い。」
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