0泊1日の筑前益富城城攻め紀行(前編) | 傷だらけのひろ太郎のブログ

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今年のとある日、福岡県嘉麻市にある益富城に行ってきましたー(^^)

 

益富城とは・・・永享年代、九州征伐の際に大内盛見が築城したといわれている。その後は日田街道と長崎街道を結ぶ町交通の要衝である大隈に築城された当城は争奪戦の的となり、永禄期(1560年頃)には毛利元就が領有し、城番に杉忠重を置いた。戦国時代末期には、古処山城を本拠とする秋月氏の支城の一つとなった。

豊臣秀吉の九州征伐の折には、秋月氏の支城の一つ岩石城(がんじゃくじょう)が1日で落城し、秋月氏は本拠の古処山城へ退却したが、退却の際にここ益富城を破却した。豊臣軍がこの城に入り秋月氏が豊臣軍の様子を伺うとわずか1日で城が修復されていたように見え、水も大量に流しているように見えたため、戦意喪失し全面降伏した。城は実際は修復されておらず村民が持ってきた障子などを貼り合わせただけで、大量の水は白米を山の斜面に流していただけだったとか。

(Wikiより一部抜粋)

 

能書きはこれくらいにして・・・

 

場所はここです。城好きの人は知っていると思いますがw

 

地図↓はワテお得意のスクショではなく、Googleマップを埋め込んでいるので、拡大縮小など可能です。

 

 

 

場所は比較的近いけど、先日アップした秋月城跡と同じ日に行ってはいません。そんなに体力ありませんので(^^;

 

が、現地に行く前に腹ごしらえをヽ(*´∀`)ノ

腹が減っては戦はできぬと言いますので(^^)

 

 

レストランかだん

 

 

 

 

国道386号線沿いにあるレストランで、昔ながらのって感じです。

焼肉定食、すごくおいしかったッスヽ(*´∀`)ノ

 

 

国道386号線から322号線へと右折し、最近開通したバイパスのトンネルを通り、一路益富城へ・・・と言いたいトコですが、少し寄り道を。

 

移築された大手門がある善照寺へ先に行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門だけ撮影してとっととトンズラしましたw

 

 

善照寺の駐車場より。のどかな感じの町ですね。

 

 

で、いよいよ益富城へ!と言いたいトコですが、もう1ヶ所寄り道をw

 

 

 

麟翁寺です。

こちらは搦手門が移築されています。

なお、おそらく専用の駐車場はないようなので、車で行く際はご注意を。「お前はどこに停めたんだ!」と野暮なことは聞かないでくださいませw

 

場所はここです。

 

 

 

後藤又兵衛が黒田家を出奔したあと、益富城城主となった母里太兵衛友信の菩提寺です。

母里太兵衛、大河ドラマ『軍師官兵衛』では、速水もこみちさんが演じていましたね。

母里太兵衛といえば、あの福島正則と呑み比べをして名槍・日本号をぶん取った逸話が大好きです≧(´▽`)≦アハハハ

で、『酒は呑め呑め呑むならば・・・』の黒田節が誕生したとか。

 

ちなみに母里太兵衛は大友宗麟の嫡男・義統の義理の弟にあたります。(義統の妹の旦那さん)

別府・石垣原の戦いで、義統が黒田如水に降伏するとき、仲立ちをしたらしいです。

 

ホント、話が脱線してばっかりw

 

 

 

 

奥の槍は日本号のレプリカです。

写真では小さいように見えますが、レプリカでもかなり大きかったです。でも本物はさらに大きいとか。←そんなにデカイものを当時よく振り回していたよねw

 

 

一番左の小さいお墓が太兵衛のお墓だとか。

 

 

こちらもこっそり入って写真だけ撮ってトンズラしました(´∀`*)

 

 

 

太兵衛の顔出しパネルがw

 

おっとー、↑2枚の写真でいつ行ったか分かってしまったかなw

 

 

後編に続きまーす。(後日アップすると思います)