診断名 | しあわせになりたかったのに

しあわせになりたかったのに

すみませんでした。

図を地にし、地を図にする。
ルビンの壺を示しながら、説明される言葉だ。
それまで背景でしかなかったものが、像として現れる。
像だったものが、背景としてぼやけてゆく。
そんな現象だと思う。

僕はうまく人と関われない。
漠然とした自分というものを背景にした、人間関係という問題の像。
くりかえし苦しめられる問題を解消したくて、自分を変えたいと藻掻いていた。

障害という診断は、その図と地を反転させる。
自閉症スペクトラム障害という診断名が厳然と下され、人付き合いなどはその障害に伴う些末な問題の一つになり下がる。
漠然としていた自分の存在が、障害という枠のなかに納められる。

博物館のケースのなか、名前の書かれた紙きれの上に押しピンで挿された昆虫標本。
どんな森の中で、どんな幼虫として生まれ、どんなふうに風雨をしのぎ、どんなふうに脱皮をし、どんなふうに空を飛んだか。
そんな生涯なんてものは削ぎ落され、種別だけを記され磔にされる。

自分を貫いた診断名は、自分を変えたいという想いを奪い去った。
自分は変わらないということを宣告し、押しピンで貫かれたまま生きることを僕に強いた。

その診断を望んだのは自分なのに?
その診断名を他者に告げたのは自分なのに?

検査を受けても自分は普通だと言われるかもしれない、そう信じていたんだ。
診断名を話せば誰かに分かってもらえる、そう信じていた。

自分で望んで名付けられ、自分で望んでその名を名乗ってみると、ただの標本として眺められただけだった。