記憶について。
かつて、二十代の頃。
様々な自己探求を重ね、その果てに、
「独生独死独去独来」
という言葉に行き着いた。
「所詮人は、分かりあえない」
という諦観とともに、
カウンセリング、セラピー、精神世界、
そんなものから離れることにした。
それは、
理解されたい、
共感を得たいという思いの裏返しでもあった。
その当時の自分が、どうしてそこまで、
他者からの理解、共感を求めていたのか。
思い返せば、
他者とのコミュニケーションが不得手であることに苦しみ、
その苦しさをさえ他者と共有しえないという、
他者との隔絶を感じていたのを覚えている。
だからこそ、ふれあいを求めており、
その一方で、ふれあいに怯えていた。
いま僕が、
その頃とは違った想いを持っていられるのは、
妻のおかげなのだろう。
妻と共に暮らし、
妻と共に過ごすことを、
日常にすることができたからこそ、
他者とのふれあいに安らぐことができるようになったのかもしれない。
そうだ。
妻に感謝しよう。