あのさ。
ぼくはさ、
二十代の頃、
自分自身を表現する為の言葉を、
模索していたんだ。
自己の唯一性を見つめて、
胸中の想いを言葉にしてさ。
共感しあえる誰かを夢見ながら、
どこまでも孤独な言葉を吐いていたんだ。
何時とも、誰とも知れない相手に、
その想いが共鳴することを夢見てさ。
シンクロニシティへの憧れを、
吐き出し続けていたんだ。
それは、とても内向きな言葉だったと思うんだよ。
良いとか、悪いとか、
評価されるようなことではないとしてもさ。
自分自身の為の言葉だった。
今はさ。
人と共に在るために、
一緒に暮らしてゆくために、
手を取り合って進んでゆくために、
言葉を模索している。
いま、
ここで、
あなたに、
どう伝えればいいのか、
それを考えて言葉を探すんだ。
考えを伝えたり、話を聞いたり、相談したり。
根拠を示したり、理屈を組み立てたり、
正論を述べたり、建前をこしらえたり、
本音を話したりさ。
それは、あなたと、
分かりあったり、笑いあったりするためなんだ。
どうすれば、あなたが心地よく在れるか。
どうすれば、一緒に心地よく在れるか。
どうすれば、組織が心地よく在れるか。
それに、心を砕いているんだ。
それを、外向きの言葉というとすればさ。
外向きの言葉は、
単純で、
分かりやすくて、
なるべく心地よい言葉がいいのかもしれない。
そんなことを、思ったんだ。