安部ちゃん、お疲れ~バイバイ!! | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

やっと止めたが、

こいつはコロナ対応の壁にブツかって逃げただけ。

 

なんでこんな程度の低い人間を、

長々と総理大臣と言う地位に押し込んでいたのか!!

ただ、これで不幸中の幸いは、

憲法を改正する雰囲気は無くなった。

 

とは言え、所詮は無能集団が引き継ぐ政治。

誰が後任に成ろうが、変化はない。

 

寧ろ、小泉純一郎~今日まで、

日本は経済で中国に追い抜かれ、

国際市場は韓国に奪われ、

多くの日本企業が消えて行った。

 

これが現実で、

日本は負け続けてきたわけです。

今後も更に負け続けるつもりなら、

日本国民は同じことを繰り返せばいい。

 

好感度求めるなら、

綺麗な言葉で終始するというのは簡単な事。

体調壊してようが何であれ、

害に成る人間が消え失せた事を、

喜ぶべき。

政治の中枢で権力握って、

国をダメな方向に導いた人間に、

感謝や慰労を伝える気は無い。

菅直人と同程度の話なのだから!!

 

道徳だとか意味不明の形式だけで、

日本人は考え過ぎなのです。

道徳の無い人間が、

処世術と言う形のパフォーマンスで、

道徳を説いてて何なの?

 

道徳は生き様で語るモノで、

口で語るモノじゃない!!

そういう意味では

渡哲也さんの様な生き様を、

逆にもっと絶賛すべきだ!!

 

安倍晋三の生き様なんてものは、

権力の上で、無能を誤魔化してきただけの

ゴミ!!

それに群がる秘書官たちを見ても、

こんな奴の生きざまに敬意なんて払うな!!

 

日本人はコロナの対策を見て、

日本の国家機関、地方自治体に、

情報を適正に差示唆する為の

指揮力が欠落している事をよく理解するべきです。

 

日本人は出てきた情報を知って、

それを元に何かを考えようとする。

日本人の根本的に悪い癖は、

その少ない情報で理解できていない事を、

恥ずかしいと思い込み、

全て中途半端に知ったかぶりで終わる。

 

解らない事を聞くことは大事です。

自分が知らない事を恥じるより、

知ろうとしない事を恥じるべき。

 

間違い、勘違いは恥ずかしい事では無く

それを修整できない事の方が恥ずかしい。

 

スティーブン・ジョブズなんて、

自分の間違いを率直に指摘し成った部下を、

「何故、間違いだと教えなったんだ!!」

と叱りつけたほどだという。

 

故に、出てきた情報の中でも

常に疑問を抱き、

そしてその疑問を解消するため

更なる情報収集、実験、研究を指示する。

 

そういう姿勢で挑む人は、

自然と職務に対しての一生懸命さを感じさせてくれる。

 

ニューヨーク州のクオモ知事

コロナ対策で本当に一生懸命何とかしようという姿勢と、

出来る事は何でもやる。

頼るところは何でも頼る。

全ては州民のためという責任感を感じさせてくれます。

最終的には自分への評価を求めず、

出来る事は可能な限り「失敗を恐れずに」やる。

自然とそこに責任感が生まれる故に、

「失敗しそうな意見」は慎重に聞き入れて、

その対策を講じた上で実行する。

日本人はこの対策を講じる前に、

「失敗しそうな事」から逃げて、

打算的に「評価や責任」から逃れようとするのです。

 

実は「評価を気にする」は

民主主義が齎す弊害ですが、

国民が政治にとって本当に大事な「資質」を理解していれば、

評価だけを求める人物は自然と淘汰されるはずです。

 

「本当に責任感のある人物」

それを選べてないのは、

日本人が評価や評判に流されるからです。

 

米国では2000年頃には既に、

議員がどういう法案に賛同したかなど、

選挙する際に参考にできるシステムが生まれてます。

 

テイラー・スウィフトが政治発言した際、

ある法案(詳細は忘れた)に反対するような議員は指示しない!!

と、言ったコメントを出し、

自らの政治的な「理想」を述べて

自分の想いを伝えてます。

自分の想いを伝えるのは

「理想」でも十分なのです。

 

日本人は特に、「理想」では「現実」を解っていない

なんて言い方をしますが、

そもそも「理想」が社会で成就できないのは

社会が「現実に生じる壁」を作っているからです。

 

と、まあ、ここまではまだ解りやすく聞こえるでしょうが・・・

 

現実に聳え立つ壁は、

それぞれの「理想」がぶつかり合って生じた

隆起した山脈…いわばヒマラヤ山脈の様なモノです。

普通の人はこのヒマラヤ山脈の姿だけを見て、

「現実の壁」とするのです。

無論、この壁をオバマ大統領でさえ

どう越えて良いのか解らない様なモノですが…

 

《理想的な方法は簡単に思いつく》

隆起する要因を汲み取って、

先ず地盤が崩壊しない状態を理解して、

双方からトンネルを掘るという発想なだけです。

 

地盤が簡単に隆起する状態では、

地震によってトンネルは崩壊する。

一方からトンネルを掘っても、

他方がそれを見つければ、侵略行為と捉えて、

そのトンネルを壊そうとする。

 

このトンネルを双方から掘る為に、

外交上で交渉が成立しても、

地盤(その国民)が安定しなければ、

その振動によってトンネルは壊れてしまう。

 

この例は、イスラエルとパレスティナの状態を

理解してみると解りやすいです。

 

《無理だという事を現実だと思い込んで》

面倒だから技術力で以て

強制的にトンネルを一方から繋げて

向こう側を支配すれば良い。

そうやって武力支配を試みても、

テロによってそのトンネルは簡単に破壊され、

そして支配によって突入した部隊は、

トンネルの向こう側で孤立する。

 

米国がアラブ=イラン、イラク、アフガニスタンで

そうやって試みた結果、

サダム・フセインの様にアメリカを裏切る、

または政権が倒壊する、

または常時テロによって妨害されるなど、

実際に成果を残すことは無いのです。

いわば、どれだけ物理的に侵略しようとも、

その心を捉えなければ、

不満と不信感がその統治に残るからです。

 

この複雑な現実を理解せずして、

理想を否定する人間は、

地球規模、宇宙規模の大きな意味で、

無知なのです。

 

北方領土問題、竹島問題、

尖閣諸島を決して中国に譲らない日本人の気持ちと、

相手が誇示する気持ちは同じレベルなのです。

 

話を戻して、

日本には大きな意味での無知が殆どです。

安倍晋三の様な人物も、

小泉純一郎の様な人物も、

大きな意味の「現実」と

大きな意味での「理想の実現」を知る物からすると、

単なる一国の権力を握った無知でしか無いのです。

 

「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」

国民がこの燕雀のままで甘んじている状態で、

どうして鴻鵠の志を理解し得るのか?

国民が鴻鵠の志を理解して、

初めて鴻鵠がその地位に立てるのです。

 

これを成し得るには、

マスコミの協力も無ければならず、

政治評論家も政治学者というもっと高尚な立ち位置で、

鴻鵠たる知識を研究していかなければ成らないのです。

 

燕雀鴻鵠の意味

 

筆者の性格上、

この故事でいう燕雀程度で

空を舞うだけで粋がっていた人物など評価する訳も無く、

彼らに「お疲れ様!!」

と言っても、

その意味は…「邪魔者がやっと消えた」

という意味でしか言えません。

 

安倍晋三!!お疲れ様!!バイバーイ!!

 

【追記】

確率有るところに可能性有り、その可能性を確実たるまで練り上げて

実行する事これ奇策なり!!

 

ナポレオンは不可能を可能に出来ると思い込んでいた、

しかし、不可能は不可能故に、

確率のないものを見極める力が求められる。

その上で、確率有るモノを抜粋して、

確実たるまでに練り込むのは、

それ相応の時間を有する。

確実たるまで練り込まれていない策は、

その時点では博打でしかない。

 

この言葉は、「法(方法、法則)の魔術(Magic of Method)」という意味で、

何度もお伝えしている言葉ですが…

実は、六韜の著者とされる太公望呂尚が、

殷を責める際に、幾度もその決行に慎重になったという部分を盛り込んでいます。

いわば、「確実たるまで練り上げる」とはそういうとこからの言葉です。

 

簡単そうに見えて、

確率を抜粋するのは意外と難しい。

0か0.01かでも見分けがつきにくい。

 

そしてその僅かな確率としても、

確実が99%か75%のレベルもまた見極め難い。

ある意味、1%の確立が30%まで跳ね上がっただけでも、

十分に思えてしまう。

 

言葉の意味は簡単でも、

実際はそんなに安易なレベルで達するモノでは無いのです。

そこを理解しているかいないかで、

「生兵法は怪我の下」という事にも成ります。

 

さて、僕のお師匠とする、

「諸葛孔明先生」の兵法24篇に書かれたであろう言葉ですが…

ハッキリ言って「孔明先生だから出来る技でしかない!!」

と思ってます。

故に法の「魔術」なのです。

メッシ選手のあのドリブル突破と一緒な話で、

メッシ選手だからあれだけの成績を出せたわけで、

同じように練習して、同じようなテクニックが出来たとしても、

メッシ選手のドリブル感性が伴わなければ、

結局、同じような確実性と決定力には届かないのです。

 

何が言いたいかと言うと、

メッシに成れるは不可能で、

メッシと同じ技術を身に着けるは可能。

その中で、メッシと同じ技術で

自分としてどうしたら最高の表現が出来るか

それを見極めなさいという言葉でも有るという事です。

 

簡単そうで難しい…

「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」

とは、よく言ったもんだ。