大河ドラマに因んで信長の思考を解析② | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

①からの続きです。

 

【謎多き「時は今」の句】

謎多きにしているのは、

光秀同情の考えが先行しているからです。

実際に光秀が見出した時は・・・

四国という土地に有ります。

信長と長曾我部の対立は

光秀にとっては好都合でした。

 

光秀が信長の勢力対抗する場所として見出したのは

海に囲まれた四国と言う土地柄です。

長曾我部と手を組み瀬戸内海、大阪湾の海路を

手中に治めれば、

守り切るのは容易いと考えたはずです。

 

逆に信長たまもそういう土地故に、

四国の独立は攻めにくく成ると理解しており、

仮に中国の毛利と四国の長曾我部、

九州のどれかの勢力または

毛利、長曾我部の何れかが九州を得ると、

それだけ攻略に時間も兵力も有する事態は

想定していたはずです。

甲斐、信濃を押さえたと言っても、

東には北条、その北には上杉が存在し、

天下統一に予断を許さない状況。

それ故に四国は出来るだけ分断して置いておきたいと

考えるのは当然です。

故に長曾我部の四国統一は警戒した。

 

光秀は長曾我部が四国を統一すれば、

自身の影響力が四国に及ぶ事を見据えています。

自身と長曾我部との関係を保ちつつ、

信長たまには長曾我部が信頼できる点を強調し、

何とか長曾我部の四国統一を実現させたかった。

 

しかし信長たまからすると、

浅井長政ですら裏切ったのだから、

信頼できるという言葉は説得力に欠ける話で、

寧ろ天下趨勢を見据えた意味での安全策は、

敵対する三好と長曾我部の共存が望ましく、

牽制し合って従わせる方が得策と考えていたのです。

 

その意味で四国征伐軍は

長曾我部を完全降伏させる意図のモノで

長曾我部を滅ぼす意図はほぼ無かった。

ただし抵抗著しい場合はその限りでは無いというレベル。

 

その上で長曾我部が和睦を直ぐに求める事も想定していたため、

四国征伐軍は北上して

四国の三好、長曾我部を従えた状態で

中国の毛利に充てる算段も有ったと言えます。

 

信長たまは実際にその猜疑も寄与して、

光秀の四国独立を目論む反乱は

見切っていたわけで、

それをあえて潰す事で光秀の叛意を削ぐ事も考えていた。

 

【本能寺の変の誤算】

光秀の年齢は60を越えていた事が、

実は誤算だったと言えます。

信長たまは四国独立の目を摘んだ事で

60歳を越えた光秀が

今更自分を越えて天下を狙う事は無いと考えた。

これは信長たまの過信と誤算です。

 

逆に光秀は60を越えた故に、

この期を焦った。

 

光秀にとっては信長自身が脅威であり、

実際には四国で独立をしても勝てるとは思っていなかった。

これは本能寺と言う謀叛であり、

奇襲を仕掛けた不名誉が意味する心境で、

自身が信長と真面にやり合える自信が有るのなら、

寧ろ四国に向かったとも考えられるからです。

 

その代わり信長たま以外なら

勝つ見込みを持っていた。

 

本能寺の変が「時は今」(土岐は今ともいう)と成ったのは、

信長たまを消して、

畿内をいち早く掌握すれば、

四国の長曾我部と結んで、

四国征伐軍を挟撃できる。

秀吉は毛利と睨み合いで、

動けない。

これは多くの歴史学者の見解でもある通りの

状況だと言えます。

 

仮に長曾我部が四国を統一していれば、

本能寺の変同様に奇襲を仕掛けて

信長たまを消せば、

より確実に光秀が天下を手中に治める状態に成ったと言えます。

 

何故か・・・

中国の毛利に足利義昭が頼っており、

毛利とは室町幕府再興の名目で手を結べたこと。

足利義昭を傀儡(多分傀儡にする計画)として迎える事で、

信長たまの一部勢力を調略出来た点。

いわば信長たま亡き後、

力のバランスが崩壊するのは目に見えていた。

実際に秀吉はこの力のバランスの崩壊で、

いち早く調略に成功している。

その傀儡としたのが信忠くんの遺児の秀信ちゃんです。

 

まあ、前述の通り

信長たまは化け物故に

ココまで読んでいたと言え、

先手を打って潰していた訳ですが、

ミッチーの焦りからの博打に出た行動は

ある意味ミッチーを過大評価していた誤算と言えます。

まさかミッチーがここまでアホで自爆に走るとは・・・

 

信長たまは

自身があるいみ寛大に対応する考え故に、

油断したのも事実です。

ミッチーが叛意を抱いていた・・・

ある意味明確な証拠が無い可能性と成るわけですが、

それを反省して天下統一に貢献すれば、

それ相応の評価はするつもりだった。

 

逆にミッチーからすれば、

叛意を見抜かれて猜疑の目が向けられたと

恐れて感じるのは当然とも言えます

 

こうした心の違いと、

信長たまの甘さがあの本能寺の無防備さを表している訳です。

本当にミッチーに猜疑を向けていたのなら、

ミッチーが近くにいるのにあんな状態でいる事は無かったろうし、

寧ろ本能寺に居る事すら悟らせなかったと言えます。

これ心理的根拠です。

 

猜疑の目が向けられたと感じたミッチーに

長曾我部が信長たまの要求を呑んで降伏する動きが出始めた。

これも資料が見つかった様です。

ある意味冷静に考えれば、

それを持って行けば

猜疑を克服する功績になったはずなのですが、

ミッチーの頭はヤルかヤラれるかの状態で混乱していた。

それが「時は今」という句に現れているのです。

 

想定よりもかなり貧弱な状態で

計画に及んだ。

それが本能寺の変の実態です。

 

【天は信長たまに味方した】

実際にミッチーの計画が成就していたら、

信長たまの歴史的評価は

かなり低い感じに成っていたと言えます。

後漢を起こした劉秀(光武帝)の存在で、

前漢を簒奪した王莽の様に扱われた可能性も有った訳です。

 

秀吉の大返しと言うよりも、

元々が中途半端な謀叛計画に成ってしまった故に、

殆どがミッチーに味方しなかった。

 

本能寺の変で

色々ミッチーに高い評価を与えようとしてますが、

結局は徳川家康が天下を取れたのは、

ミッチーの焦りがあったからという点で、

ちょっとした功績として評価受けたに過ぎないのです。

 

諸説諸々有る話ですが、

家康は信長たまが天下の地盤を築いてくれて、

秀吉がそれを掻き回したが、

最後は自分が天下を取れたと考えたでしょう。

二代目の秀忠も、

ある意味長男の信康が信長の影響で廃嫡されたから、

自分が家康の跡目を次げた点で、

信長たまを悪くは思わなかったとも考えられます。

一方で信長たまの時代を知らずに

家康の功績を称賛する世代に成る

三代目家光は、

ミッチーが居なかったら徳川の天下は無く

織田の天下に治まっていたと感じると思われます。

そこからミッチーの謀叛は

ある意味陰ながら正当化され始めたと見るのが、

流れとして適切かなとも思います。

 

まあ、小説の様に美化して考えるより、

泥臭く人間の所業として、

誤算ありきで見る方が真相に近づくのではという話です。

信長たまも所詮は人の子、

光秀も所詮は人の子で、

本能寺の変は

色々な葛藤が引き起こした出来事なのです。

そう考えると色々史実資料と辻褄が合う。

まあ、癇癪持ちの信長たまが、

ミッチーの長曾我部びいきに腹立てて、

足蹴にしたという説も、

ある意味辻褄として成立しそうな話ですし。

でも、誰が悪いとかという話のレベルではないですよね。