どうも…ショーエイです。
とりあえず新型コロナの分析で連投してましたが、
暫くは経過を様子見するという事で、
別な話で少しでも自粛の退屈しのぎに成ればという感じでの
ブログ更新です。
では本題の本能寺の変の真相…
色々な研究者が史実と逸話を区別して
真相はという議論を繰り広げてます。
その中で信長たまの思考を理解して考えると
「四国長曾我部討伐説」
が有力で、
更には「光秀の野望説」と噛み合った
話が見えてきます。
今回は長くなるのでこれを2部制でお伝えします。
先ず、研究者の方々が文献を読み解いて、
当時の状況を解説してくれたことは、
大変有意義なもので有る点は言っておきます。
ただ、実際に足りない分析は
心理分析と戦略分析です。
【ゲームとは異なる政治的思考】
一般の人がストラテジーゲームをやると、
一人の君主が全てを統一するという遊び方を連想するでしょう。
しかし政治的な統一では、
例えば江戸時代に外様大名として残った勢力を
上手に吸収して戦争を諦めさせるという手法を用いてます。
上杉家や島津家、伊達家などがそれによって
江戸時代に入っても所領を持っていた事でも解ると思います。
【理不尽な上司?】
信長たまが最初は長曾我部と盟約を結んで、
後にその敵の三好に近づいた意図。
まず、普通の人がこれを理不尽な気変わりと考えるのは、
何も考えずに言われた仕事をしているからという
話でかありません。
では、光秀は?
ミッチーは逆に頭は良く、信長の意図も理解していた。
というのが当然の思考分析に成ります。
ある意味、四国と言う島国=海に囲まれた土地が
統一され一つの大名に支配されると、
攻め込むのはかなり至難の業です。
天下を治めると考えた際に、
この土地は2つの勢力が競合している方が望ましい。
このヴィジョンは政治的には当然の考えに成ります。
いわば何方かが反乱を起こしても、
もう一方が牽制して、
反乱鎮圧の起点と出来る要素に成るからです。
このヴィジョンを光秀が知らなかった、
気付かなかったとするのなら、
織田家の重臣として活躍する事は無いと言えます。
天下を太平に治めるが目的か、
乱世を続けさせるのが目的か、
ここで政治的戦略の大きな節目が生じるのです。
いわば信長たまは反乱抑止も考えての
長曾我部と三好の競合を四国に置こうとした。
逆に、光秀は長曾我部との信義と謳いながら、
実質、長曾我部に四国統一をさせようとした。
こう見ると、信長たまが光秀に猜疑を抱く要素も
見えてくるだろうし、
光秀の真意も伺えると言えます。
【長曾我部とは戦略的な同盟】
実際に浅井長政の一軒がある為、
信長たまが盟約というモノに
信頼を置いていないのも事実です。
一方、徳川タヌキくんは、
浅井長政の一軒が自分の盟約者としての信用も
薄らいだのではと危惧する状態であります。
これらは信康の事件などで、
家康が取った行動からも察せる出来事です。
※信長たまの指示の前に、
家康は信康を始末したと考えらます。
浅井長政に限らず、荒木村重、松永久秀といった
反乱者もいた事実をしる光秀が、
まず戦略的な盟約の意図を察していないわけが無い。
盟約は1575年頃で、
本願寺と三好を相手にしていた最中で、
長曾我部に三好の背後を突かせるのは
戦略的に最高の存在であった。
信長たまからすれば
三好を弱体化させたのは、
畿内での自身の功績である。
その弱体化したした三好の背後を
上手く取り込んだのが長曾我部である。
無論、長曾我部からすれば信長との共同戦線で、
一緒に三好を弱体化させたという意識がある。
ある意味読者の感じ方は、
何方が好きかで異なるという話で、
何方が良いか悪いかも、
その好き嫌いで異なると言えます。
ただ、現実的に目的が異なれば
2つの思惑が交錯するという話です。
安全な天下統一か、
自国の所領を守る意識か・・・
天下泰平の思惑は
信長たまの都合で有る点は否めませんが、
無駄な争いを抑止する天下泰平の為と考えれば、
その都合もまた正論です。
【天下統一の意識】
乱世に終焉を齎す意味で考えた場合、
三好との和睦は同盟関係の和睦でもあり、
長曾我部には盟友として和睦の事は理解して欲しい。
信長たまは天下の趨勢を見据えて、
長曾我部にそういう理解を求めて、
所領の返還を迫る訳だが、
長曾我部からすれば理不尽な要求に感じるのも事実。
ある意味何様?
状態でもあり、信長たまが如何に大きな勢力を誇っていても、
征夷大将軍という権威が無いため、
この辺に意識の違いが生じた話です。
【光秀クラスならその天下の設計図を理解していた】
光秀は織田方の重臣であり、
信長たまの意図は説明を受けていた、
または察するように伝えられていたとするのが、
当然です。
その上で長曾我部の説得を任せられていたが、
結果を出せなかった。
これが現存する史実を元にした内容に成ります。
信長たまの理不尽な要求?
いえいえ現代風にいえば、
いままで企業提携をしていた会社に
M&Aを上手く成立させてこいという話で、
それがミッチーの使命だった訳だが…
ミッチーは条件が合わないという話だけで、
中々成果を上げられなかった。
信長たまはそれまで共同のライバル企業だった
三好産業を傘下に収めたわけです。
ある意味そこから技術的な圧力を掛けて、
最終的に長曾我部Coを屈服させようと切り替えた。
会社としては当然の選択肢です。
四国征伐に切り替えた話はこういう感じに成ります。
実際はその話で土壇場に成って
長曾我部はM&Aに同意する感じに成っていたらしいのですが、
多分、これミッチーが揉み消していると考えられます。
【本能寺の変 心理的痕跡】
独立心旺盛なミッチー。
その正体は曹操の様な野心家。
乱世の姦雄、治世の能臣。
ミッチーの能臣ぶりは、
すべては姦雄たる腹を隠すため。
無論、如何に乱世の姦雄と言えども、
無理と知れば従順に成るものです。
信長たまとミッチーの関係性は、
ミッチー=曹操というよりも、
ある意味、劉邦と韓信の関係性に似ていたと
最初に説明しておきます。
信長たまが劉邦で、
ミッチーは韓信な訳ですが、
劉邦の天下が定まった時点で、
実際に韓信は姦雄たる腹を捨てていたのです。
ところが呂后の姦計で殺されてしまいます。
今でこそ呂后の姦計説が有力ですが、
当時は劉邦の猜疑心説が強かった。
ミッチーは博識であったと考え、
史記の話は知っていたであろうし、
曹操の存在より
自身の境遇から韓信を意識したはずです。
よって自分は何れ信長たまから
韓信のように使い捨てにされるだろうと察していた。
歴史の残す痕跡は、
実際に様々な影響を人間心理に与えます。
これはファンタジーな話の転生説であり、
非転生説でも同様に寄与します。
転生説なら自身が誰の転生を意識するモノですが、
非転生説でも自身が歴史上の誰に心酔するかで、
歴史上の出来事を自身に当てはめて考えるため、
結局は一緒な効力を齎します。
例えばオッサン先生・・・
信長たまの転生として意識しても、
信長たまの歴史が自信の思考として
自己投影しているだけというのも、
歴史の痕跡を感じ取る意味ではおなじという話に成ります。
これらは心理分析の推測ですが、
史実に有る足跡から
その人物が影響を受けて
類似した思考に成っている点は読み取れます。
では、何故ミッチーの思考に曹操が出てくるのか。
それは
「時は今雨がしたしる五月かな」
この詩です。
韓信の末路を意識してから、
自己防衛の意識が芽生えて、
曹操たる天命を考える流れは、
かなりの確率で成立します。
「韓信のまた潜り」は
耐え忍ぶ時は耐えて、
進む時をじっくりと見定める
精神構造です。
ある意味恥を恥と考えずに、
一時の恥は後生の笑いの種(笑うネタ)という意味です。
後世の笑い種では有りません。
これは曹操が勘違いで自分を匿ってくれた知人を
殺した時にも心情的には類似します。
故に、信長たまに従順な姿勢を取れた。
確かに優秀は優秀ですね。
ただ、明智のミッチーの本質は
これである事を見失っては成りません。
多くの歴史学者はミッチーを孔明の様な軍師に見立てます。
これは性善説を考えて思考を麻痺させがちです。
心理的には性善説も性悪説も関係なく、
無からの環境変質説が科学的根拠ですから。
とは言え、性善説の様に、
明智光秀=善、織田信長=悪
で、考えると時代劇の様な分析になるのも仕方ありません。
まあ、日本人はこういう単純な棲み分けが好きですから。
しかしそれ故に小説や物語の様な筋書きに成ってしまい、
様々な矛盾がそのまま放置される。
これ日本人が陥るポイントで、
更にはその矛盾を解決しなくても
話が面白ければ良いで終わらせる。
=変に考える時間を無駄と思う思考故なのでしょう。
日本人のこういう性質は社会環境ゆえの成り行で、
結局は理屈っぽい女は持てない、
理屈っぽい男は嫌われる
意識の延長です。
環境変質説とはこういう話でもあり、
実際に日本人が何も考えようとしないのかというと、
好きな事は一生懸命研究し没頭する人も居るので、
社会的に無能な国民性で、
趣向分野ではオタク化する感じです。
故に技術面は伸びやすいが、
経済面、ビジネス面は伸びにくい。
脱線脱線・・・
まあ環境変質説で考える場合、
相手がどの様な環境で育ち、
どの様な知識を得て、
どの様な行動に走ったかを分析すると
何気に類似した人物像が見えてくるという事です。
ミッチーの場合は、
その歴史的痕跡から推測する感じです。
では韓信が曹操に化けた時期です。
色々な史実を参照にすると、
「四国説」が一番有力という点では、
学者さんたちの考えと合致します。
ある意味、企業方針で
様々な権益が分かれる部分であり、
天下の趨勢を見定めた意味で
チャンスも分岐するポイントです。
ただ、それ以前に曹操化していた点は見受けられます。
韓信化の軌跡は、
足利義昭の下では実際は重用されておらず、
信長に才能を見出されて重用され始めた点で、
類似します。
まだ推測に成りますが、
信長との面識は、細川藤孝に従事して、
美濃の親類伝えに信長との接見を成立させた功績が、
切っ掛けと考える話に成ります。
ただ、権威てきな意味と、自分の価値観を植え付ける意味で、
義昭と信長両属の家臣に成った様です。
権威の意味で将軍の親衛隊という立場になり、
その兵力を信長の臣として借り入れる。
このまま将軍義昭の権威が昇れば、
実は親衛隊として活躍する光秀の権威は
信長と同等に成れる可能性も有った。
実は光秀の曹操化はこの時点で芽生えていたと思われます。
しかし、自信が功績と力を得る前に、
義昭と信長に亀裂が生じます。
そこで光秀は信長と義昭を天秤に掛けて、
力のある信長に自信の将来性を掛けたのです。
ここで現実的な思考を考えて見ましょう。
天秤に掛けた選択肢は誰もが直面する出来事です。
歴史の痕跡を知る私たちは、
その選択肢が歴史的に正解だったか
不正解だったで考えてしまいます。
しかしその時間の当事者はその結果がどうなるかは、
全く解らない、または予想通りに行くかなんて、
不安でタマラナイでしょう。
これを新型コロナの話に置き換えると、
緊急事態宣言を出したは良いが、
意外と新型コロナが日本で蔓延しなかった。
後世、実は日本人には体質的に抗体を持っており、
あれほど大騒ぎする話では無かった。
寧ろ、日本人の抗体の研究を進めて、
その結果を元に判断すべきだった。
安倍政権は経済疲弊を無駄な選択で齎した・・・
などと言う状況も考えられます。
選択する側が迷うのは常に色々な事を考えるからです。
まあ、本来はメカニズムと優先事項を適切に把握してれば、
逆に迷わずに適切な処置を選択できるのですが、
それを判断できる人は相当優秀な頭脳の持ち主みたいです。
先ず感染を素早く食い止めてそれから経済を立て直す。
優先事項はココです。
そして徐々に判明するメカニズムを
把握しながら転換のタイミングを計るしか、
実際の選択肢は無いのです。
経済優先ですか?人命優先ですか?
迷う話では無く、人命の危機が拡張すれば、
どの道、経済は破綻する。
しかし、それでもWHOがパンデミックを宣言するのは
かなり難しいタイミングだった訳で、
イタリアのオーバーシュートを知る以前に
それを宣告して良いのか迷うのは当然です。
もしそれが無ければ不用意に経済に悪影響を与えかねないから。
イタリアのオーバーシュートであり、
NYのオーバーシュートが発生したから、
遅いと言われても、
選択をする難しさは理解されるべきです。
光秀が信長に付くか、義昭に付くかを迷うのも当然です。
天下に信義の忠臣なら義昭を選ぶべきでしょうし、
信義に反しても生き残るの為なら信長という選択肢。
天秤の傾きは決まっていても、
決断を下すにはしばしの時間が必要です。
そこで恐らく細川藤孝という人物の決断が
決定打に成ったと言えます。
義昭に仕えていた細川藤孝は、何故か信長に寝返ります。
ただ彼の天秤は、義昭より信長に
自身の描く太平の世を見たからと彼の行動から推測できます。
それは信長を裏切った光秀を見限って合流しなかった点で言えます。
これも諸説分かれますが、
上下関係の柵からとも考えられます。
とは言え、藤孝が信長へ寝返るのなら、
不忠の汚名を着る同士を得たという点で、
決断もしやすくなったと言えます。
【本能寺の変 心理的交錯】
人間の世界で忠実な家臣、忠実な部下を得るのは
殆ど稀です。
現代では特に忠実というより、
生活する為に我慢しているに過ぎないのが
当たり前と言えます。
その我慢に
生活の為の活路を見出す意味で、
従順に慣れていくのも事実です。
無論、そういう中で誰しもその腹を隠すために、
忠実な姿勢を演じているに過ぎないのですが、
戦国の世も同じであったと考えます。
家や所領を守る上では
上下関係に逆らえないのは同じです。
まあ、お猿さん同様に、
お山の大将が力を無くしたら噛みつく
という下克上の意味では現代も戦国時代も変わらない話で、
最終的には我慢に慣れ切ってしまうか、
それとも行動に移す気構えがあるかの違いです。
とは言え、我慢ばかりでは精神破綻を起こすため、
人は耐える意義を見出していきます。
上司の長所を理解して、
それに従う事の利を見出すのです。
ある意味この人に付いていけば、
自分も同じように出世できるとか・・・
逆に人間的な長所(優しい面倒見がいい)で
付いていくケースは稀とも言えます。
結局、出世が見られない人の人間的な長所は
最終的には何の利にも成らないからです。
故に信長たまの勢力拡大は長所であり、
それに従う事で自身も出世していく。
理不尽な命令も忠実にこなす事で、
心象もよくなりそれだけ利を得られる。
史実で見られる光秀の忠臣ブリはここにあると断言します。
何故、断言するのか?
それは光秀が謀反を起こし、
藤孝はそれに従わなかった事に尽きます。
②に続く