どうも・・・ショーエイです。
新元号が発表され「令和」と決まりましたが、
気に入ろうが気に入るまいが、
既に決まったモノなので
不満を述べてもどうしようも無い事に成っています。
ただ、意味為すところをどういう意味に齎すかは、
日本人の今後次第なところで有ります。
実は、この「令和」は厄災を含む文字でもあります。
まず、中国の古典からの引用では無いと言いますが、
中国語として考えた場合、「令和」は、
「和を齎す」という意味に成る感じです。
「令」は美しいとか素晴らしいという意味も含むようですが、
命令の意味として命じるという意味も含みます。
使役動詞=英語のmake,haveの様に、
I make him do this.=私は彼にこれをさせる。
I have him do this=私は彼にこれをしてもらう。
といった使い方では、
makeの~させるという意味に近く、
「和むようにさせる。」という意味も持てます。
発表での解釈は、結局綺麗事なので意味有りません。
無論、元号とする文字を悪い意味で説明するなんて事は有りません。
ただ、その分、その願いどおりとは成らないのも事実です。
勿論、アホが説明したところで所詮は綺麗ごとを言っているに過ぎず、
アホが綺麗ごとで国民に願いを託すようなことをホザいて
自分の好感度を上げようとしているだけの事です。
元号の基本構成は、
最初の文字が国(権力側)を表し、後の文字が人(国民側)を表します。
何故か…心理学的に、
元号を決めるのは権力者側に成り、
支配者の希望で下に期待する
という意味の流れに成るからです。
しかし、付けた元号の意味は民主的に成れば逆転するのです。
元号の機能が国が国民を従えるか、国民が国を従えるか…
いわば主権が国か、国民かで大きく異なるのです。
例えば、典型的な時代が「昭和」です。
実際にここで「和」とは「和む」「調和」の意味ではなく、
「和」=日本人の意味となる方が適切です。
まあ、日本人が「和」の由来する「調和」的な環境を好む点であり、
和人といえば日本人を指すこともでも、
「和」=日本人そのものとして考えるのが無難だからです。
昭和の時代前半、
国が国民を従える状態にあったときは、
国が国民を照らすという意味に成り、
文字通り、天皇崇拝思想により国民を従えていた状態を表します。
天皇という太陽的な象徴が、国民を照らし調和を図るという感じです。
これが正に戦前の状態です。
その反対に戦争に負けた後の戦後では今度はこれが逆転します。
憲法前文にも記載がある意味で、
「主権は国民に有る」という事で、
民主的な意味合いが明確になった状態です。
そうなったときは、
国民が国を照らす、または輝かせるという意味で、
民間主導で日本経済を底上げして、
経済大国となった昭和の意味を形成する訳です。
令和が厄災を含むと最初に述べたのは、
実は昭和と同じことが言えるからです。
国が国民を従える=国の定めに国民が従う。
という意味に成れば、独裁を生み、更に戦争を起こす厄災を意味します。
一方で逆に成れば、
国民が国を従える=絶対民主制の様な意味にもなりますが、
それこそ令=美しい、素晴らしいの意味として、
国民が国を美しく、素晴らしいものへと繁栄させる意味として、
もう一度活気のある日本へと進める意味に成るわけです。
さて…令和に成る新時代、
日本国民はまず昭和と同じ過ちを犯すつもりなのか?
それともさっさとアホを追放して、
国民主導の下で経済を蘇らせるか…
昭和後期の国民主導であった時代は、
日本の政治はあまり意味を呈さない時代でもあったわけです。
ある意味外交は民間の活動を支援するために行っていた感じで、
政治で何も決まらずとも、
民間は世界に飛び出して勝手に企業を大きくした。
そういう治世にあって日本は世界を照らした時代だったわけで、
同じように令の花も開いていかなければならないのです。
日本が世界を照らした様に、
日本が規範となって世界の調和を齎せれば、
それこそ令という花は大輪となって咲きほこれるとも言えます。
日本が世界の規範となれるには、
それこそ日本の平和憲法を全うし、
戦争をせずとも国家は成就するという
ジャパンブランドを世界に見せつけるしかないのです。
軍事大国?
「冗談は顔だけにしろよ!!」
それこそ個性のないそこらに有る国家と同じで、
令=「美しく貴い」とする意味は無いに等しい。
憲法改正なんて事は、令の美しさを平凡にするだけの話です。
政治家が他に居ないからではなく、
政治家なんて誰でもよく、
調子ぶっこいたアホがのさばったらさっさと代える!!
国民によって簡単に代えられるという恐怖を政治家に抱かせて、
初めて国民主権の国に成るわけです。
昭和時代の政治はほぼ自民党独裁状態にも有ったわけで、
大きな政党選択はほぼ無かったが、
自民党の政治家が勝手に派閥を作って勝手に党内で政変起こしていた時代で、
まあ、正直政治家なんて誰が成っても気にしない感じだったとも言えます。
それでもバブル期の様に日本経済活発に動いていた。
と、はいえ日本人でこういう話が解らない人も多いだろうから、
「令和」の厄災は避けられないのかも知れません。
因みに「和」(国民)の上に文字が来ると戦争で負けます。
なぜならその戦争は国が国民に強いる戦争に成るからです。
国が勝つ戦争は、常に国民が国を守るという意識の戦争で有るからで、
「国の為に死ね」という戦い方は兵法に於いては下の下のモノなのです。
「会社の為に死ね」では苦しいだけでしょ…
自分の為に命を懸けてこそその個々の力を存分に発揮できるというもの。
人に強いられてやる鍛錬は苦行であり、その鍛錬を怠る気持ちが先行するが、
自らの目的で鍛錬を行う場合、その鍛錬の必要性を理解し、
そしてその労力を厭わない風に捉えるからです。
結果、前者の兵は弱く、後者の兵は屈強なものと成りうる。
現代科学においても心理学で簡単に説明のつくモノです。
さあ、国の為に生きるなんて発想は止めましょう!!
貴方は貴方の為に生き、
国はその権利を守るためのコミュニティ(共同機関)なのです。
最低でも家族であり友人を守るために頑張るのであって、
国の為と世間体を気にして格好つけても、
所詮は口だけの人間でしかないのです。
さて…「平成」という言葉に恨みもなく、
平成天皇である明仁天皇も素晴らしい方でしたが…
「平成」という時代を振り返ると…
平凡に成った日本が意味することなった感じです。
国が国民を平たくするという意味でも、
国民が世界的に平凡な人に成った感じで、
逆の意味でも国民が平凡に成った故に、
国も経済大国として陥落して平凡な国成った。
極めつけは軍事に邁進して、
「平和」の象徴であった日本というブランドを、
平凡な戦争できる国にした時代に成ってしまったわけです。
慶応…
「喜び」「めでたい」という字と、「応じる」という字で、
国(幕府)が国民に応じて、大政奉還というめでたい民主的国家に進んだわけで、
明治
国が明るく国民を治める。
国民が国を明るく治める。
両方の意味で明るい治世が花開いた時代とも感じます。
大正
国が大いに国民を正す。
国民が大いに国を正す。
この言葉が意味する通り、国と国民が対局にあった時代で、
内閣総理大臣の原敬が暗殺されたり、
米騒動が起こったり、
ある意味、民主的に大変革のあった時代なのかな・・・
とは言え、所詮は単なる元号で、
最終的には国民がどの様にその時代の元号の形を作り出すか次第です。
令和が後世、日本の再躍進へ進んだ時代と言われるか、
再び国家主義またはナショナリズムに支配され
自由を奪われる時代に成ったと言われるか…
元号が示す希望の意味は何も関係ないのです。
平和が成るという「平成」も、
平和ボケが成り立った時代になっちゃった訳だし…
良くも悪くも国民の意識に寄るところなのです。
まず、厄災を齎す現・権力者はさっさと排除しましょう!!