あまりにショッキングなニュースが飛び込んできました。
香港にある四川料理のお店 南北楼。
昔から日本人御用達で、初めて香港に行ったときに夫が連れて行ってくれたお店。
夫は30年前の小学生の時から行ってました。
それから何度も通った思い出の大事なお店。
香港で一番行ったお店。
ここの店員さんと広東語で話すべく、香港から帰国した後も日本でマンツーマンで広東語習って習得したのに......。
泣きそう。
楽しみにしてたことがどんどん消えてく......。
中國冰室もなくなって、
南北楼も休業だったらいいけど閉店だったら......。
思い出の場所が一気になくなってしまった。
私が住んでいた頃の香港は希望に満ち溢れていた。私自身も刺激のある街や香港人、日本人に外国人からたくさん刺激を受けました。
広東語の勉強を始めた時、
こんな日がくるなんてまさか思ってなかった。
たった4年で変わってしまった。
思い出の地がガラッと変わってしまったような。
私は元々福岡、京都、東京、短期だけど岐阜と茨城に住んでいてそれぞれ思い出がある。
でも、短期間でこんなに変わったのは香港という街が初めて。
息子が大きくなったら、南北楼のエビチリを息子と食べるのが夢だった。
「母ちゃん広東語で会話できるんだ!」と驚く日を夢見て勉強を足掛け5年マンツーマンレッスンを続けてきたけれど、もはやなにをモチベーションにしてやればいいのか......。
また香港にいける日はくるのかな。
ションボリしていたらふと頭に浮かんだのが、鴨長明の『方丈記』の一節。
まさにその通りだなぁと。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
鴨長明は妨害により、長年の夢が叶うことがなかったそうです。大きなショックを受けた後出家して、小さな庵で書いたと言われる方丈記。
紹介した一節は
「川の流れは絶えることはなく、それでいて、そこを流れる水は元の水ではない。川の淀みに浮かぶ水泡は消えたり、またできたりして、ずっと同じようにとどまることはない。世の中にいる人も住処も川の流れや水泡のようである。」という意味です。
ざっくり言うと、この世に変わらないものはない。人も住む場所も川の流れや水泡のようにとどまることなく、変わっていく。
今回のこともまさにそうだなぁ......。
鴨長明すごいなぁ。
800年くらい前の人なのに。
確かに全ては変移していく。
それを嘆いてばかりではなく、
受け入れると新しい楽しみや発見があるんだろうなぁ。
たまたまこのタイミングだった。
でも、
もう一回だけ南北楼のエビチリを食べたかったなぁ。