毎日生活をしていく中で、いろいろ考えたり、弱くなったりするときもあります。
私はもともと内気で自分から行動を起こそうとはしないタイプです。
太っていたときは特に内気でした。
学生時代は、皆が集まっている輪に「仲間に入れて」の一言がいえないような性格です。
そんな自分をここまで突き動かして活動的に仕事ができるのは、
関わってくださっている皆さんです。

ダイエットをしてカラダもココロも成長しました。

苦しい思いをしなくてもオーダーメイドのダイエットで結果をだせることを研究して

「この方法だったら以前の自分みたいにダイエットに困っている方の力になれる」

という一心で仕事をしています。

他のダイエット方法を否定はしません。

(カラダを壊すようなムリのあるものはNGです)

それぞれ自分にあったダイエットがあると思うから。



桜梅桃李を強く広めようと思っていません。

だから、広告も必要ないです。

実際に指導できるのは私とmaiの二人だけだから。

ただ私たちに興味を持ってくださって信頼して行動してくださった方には

全力で力になりたいのです。

これが仕事の最大の動機です。


実際に本を読んでくださった方、
サロンにお越しいただいたり、セミナーに参加して頂いている方との繋がりに励まされて
仕事をしています。

しかし、一生懸命やっていても失敗もあるし、自己嫌悪になることもあります。
「なんでこんなにすぐ傷つくんだ」って思うこともあります。

自分を省みては反省して、
できる限りの改善してリフレッシュして元気を出して。

それでも落ち込んだり、不安になるときに思い出すのが以下の詩です。
皆さんの心に響くなにかがあるといいなぁ。


茨木のり子さんの
『自分の感受性ぐらい』(1977年)
とてもおススメです。
茨木さんが担任の先生か母親かってくらいに叱ってくれる。
もしかしたら、茨木さんは自分自身に向けて作った詩なのかもしれません。


自分の感受性ぐらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ


そして、
自信を失いかけて弱くなったときに「そのままでいいんだ」と思う詩です。
『汲む 詩画集』(1996年刊)


汲む -Y・Yに-


 

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃

立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背伸びを見すかしたように
なにげない話に言いました

 


初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も
見ました

 



私はどきんとし
そして深く悟りました


 

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

 外にむかってひらかれるのこそ難しい

あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……



わたくしもかつてあの人と同じくらいの年
になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです