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EichiのSlow&CreativeLifeと時代考察

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今年度のノーベル平和賞で、ジャーナリスト2名が選ばれました。これは報道の自由が脅かされていることの裏返しです。権力の乱用から戦争の危機にまで関わります。ジャーナリスト保護委員会によると、昨年末で投獄されているジャーナリストは世界全体で274人で最多、国境なき記者団のデータでは、今年28名は殺害、460人が投獄です。日本は、報道の自由度ランキングでは67位で、G7の中では最下位です。あいかわらずの記者クラブ、どさくさでの特定機密保護法、ジャーナリスト精神とは無縁となりゆく記者たち。

 

このランキングの上位3つは北欧です。フランス34位、韓国42位、アメリカ44位です。受賞者2名の国のフィリピンは138位、ロシアが150位、その下に、サウジアラビア、イラン、中国、北朝鮮などが続きます。

フィリピンの受賞者のマリア・レッサ氏は「事実のない世界と言うのは真実と信用のない世界です。私たちは事実を追い求める闘いを続けていきます」と述べました。


 

映画館で「MINAMATAーミナマタ」を観ました。観客が思ったほど多くなく、年配の人ばかり、日本人こそ見るべき映画だし、若い人ほどを見なくてはならないものです。ドキュメンタリーほど重くはなく、よくできた作品ですから、ぜひ。

 

映画は、アメリカの報道写真家、ユージン・スミスが、1971年から3年間、妻アイリーンさんと水俣市に住み、患者や家族、チッソへの抗議運動を世界に伝えた実話に基づきます。彼は大戦でサイパンや沖縄などを取材しています。

 1975年、写真集「MINAMATA」を出版。(今年9月復刊)その冒頭に

ー過去の誤りをもって未来に絶望しない人々に捧げるー

かつて、私は、この写真集を手にとったと記憶しています。1980年日本語版が出たのが、ちょうど青山ブックセンターが六本木にできた年でした。

 

映画のエンドロールでは、私がカウントしたところ世界での22の環境問題、公害が紹介されています。東日本大震災原発被害も入っていました。そして、当の水俣さえ、問題はまだ解決していないのです。今、なぜ水俣であり、それがアメリカ(現場はセルビア、モンテネグロとか)で撮られ、日本で観て、教えられなくてはならないのかということです。

 

ここから、ドキュメンタリーの映画や番組、書物などで深めていくとよいと思います。

石牟礼道子の小説「苦海浄土」は、水俣病を患った人と家族の苦しみを描いたもの。

ドキュメンタリー映画「水俣 患者さんとその世界」1971 完全版。1973。

「水俣一揆一生を問う人々」1973など。

そして、原一男監督の「水俣曼荼羅」が、今秋公開、なんと372分。

 

10月3日NHKで「目撃!にっぽん 終わらないMINAMATA」が放映。

主演のジョニー・デップ

「水俣病のことを学べば学ぶほど、伝えるべき出来事だと分かり、自分たちにその責任があると感じた。映画をきっかけに、この問題が語り継がれることが大事だと思う」

「世界中で人が使い捨てにされ、命が軽んじられていて、こうした不正義が何世代にもわたって続いていくことが問題だ。まず映画を見ることから始めて、さらに自分の目と耳でさまざまな問題を学んでいってほしい」

 

アンドリュー・レヴィタス監督

「世界中で水俣病と同じようなことが起きていて、いまも誰かが被害を受けていると気づいてほしい。私は関係ないと目を背けることは簡単だが、被害を受ける“誰か”が、自分や、愛する人だったかもしれないと伝えたかった」

「誰もが平等に生きる権利があり、みなで手を携えれば状況を変える力があると、映画を通して勇気を与えたいと思った」

 

当時アシスタントを務めていた写真家、石川武志さんは、ユージンが「写真で病気は直せないが、メッセージを出すことで、誰かが動いてくれる」と話していたと。その石川さんの写真展「MINAMATAーユージンスミスへのオマージュ」新宿リコーイメージングスクエア東京で10月25日まで。

 

 

映画に関する事実について

 

1968年5月18日、チッソ水俣工場はアセトアルデヒドの製造を停止。

9月26日、厚生省は、水俣病を公害病であると認定。「熊本における水俣病は、新日本窒素肥料水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物が原因である」と発表。

1970年11月28日、大阪厚生年金会館で行われたチッソ定時株主総会、白装束の患者(一次訴訟原告家族)らが、チッソの社長に直接会うために、一株株主として参加。

(1971年 9月29日、新潟水俣病第1次訴訟で原告勝訴の判決。企業の過失責任を前提とする損害賠償。)

1971年、水俣病患者が新たに16人認定される。患者総数150人、うち死者48人。

1971年12月 智子の入浴撮影

1972年1月7日 暴行事件、チッソ社員による

1973年年3月20日、熊本水俣病第一次訴訟、原告勝訴の判決。

1978年10月15日 ユージン・スミス死去、享年59歳

現在、アイリーンさん71歳。(31歳違いで日本で1971年8月結婚、4年後離婚)

 

 

以下、一部、ネタバレですが、、、

チッソの社長が現金を賄賂として渡そうとして断られる場面や公の場でのチッソ社長の人間味が漏れるような表情などは、実際にはなかったでしょう。小屋が全焼することも。まして変装して病院に潜入、書類を写すのは、やりすぎ。ここで猫の映像となると、ユージンが証拠を見つけたように世界中の人は誤解してしまうでしょう。

時系列でみると、ユージンが日本に行ったときには、すでに厚生省が公に公害と認定しているわけです。また、最高作品を撮った時点と事件などの前後関係も全く違います。

ドラマとして盛り上げるために、そのような構成にしたのはよくわかります。アメリカの映画らしい所以です。

一方で、沖縄戦の日本軍の砲撃で大怪我をさせられたユージンは、今度はチッソの社員に大怪我させられるのは、事実です。よくぞ日本人を恨まないでくれたものです。

 

などと考えると、この作品は、従来の、史実に基づく、よりは、史実を元にして着想を得た、とクレジットして欲しいです。

なぜなら、すでに過去の事として片付いたことならともかく、水俣病に関しては現在も続いていることです。この映画自体ドキュメンタリー的に、現在の環境問題にまでつなげようとしているからなおさら、その区別をどこかで明記しなくては、と思います。

ただ、このような作品が世界的な映画スターにより、つくられ、メジャーに配給されることはありがたいことです。

(映画監督や演出家、脚本家を目指す人は、事実からどのようにして作品に組み立てるのかを、学ぶのにはよい材料かもしれません。)

 

 

#水俣病は、5月で公式確認から65年、全面的な解決が見通せない状況。これまでに水俣病と認定された患者は、7月末で、2999人。対象になった人は、5万人。1500人が患者の認定の審査結果を待ちです。裁判でも、1800人が国やチッソなどに損害賠償などを求めています。被害の全容もいまだ明らかになっていません。12年前に成立した被害者救済の特別措置法では、国が水俣湾周辺の住民の健康調査を決定。環境省は、検査方法を来年秋、確立させると、患者団体などは早期実施を繰り返し求めています。

 

#世界報道自由度ランキングのレポートでは、民主党政権が誕生した2009年から17位、2010年には最高の11位。2011年の東日本大震災と福島第一原発事故後、2012年には22位に、2013年には53位、2014年には59位、2015年には61位。自由度を5段階に分けた3段階目の「顕著な問題」レベル。福島第一原発事故に対する報道の問題や記者クラブによるフリーランス記者や外国メディア排除、危険な地域に自社の記者を派遣しないで、フリー・ジャーナリストに依存する問題。特定秘密保護法成立も、戦争やテロリズムに関して特定秘密を保護することが、自由な報道の妨げになるとみなされたのでしょう。


 

 

真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞を受賞しました。

気象学では初めてです。

まさに環境問題が取りざたされているところに、持ってこられたような感じもします。日本人の受賞者は28人、うち物理学は12名です。

これこそ日本人が科学的思考に弱いと言うような俗説への反証です。

日本人であっても、ニュージャージーのほうにお住まいなのです。

今回の件とは、直接、関係ありませんし、世界中で活動する日本人は素晴らしいと思います。

しかし、なぜ日本の優れた頭脳の流出が起きるのか、

日本の研究環境づくりを見直すべきだと思います。

 

 

さて、実践法としてのアドバイスです。

何事も、言語化していく習慣を身につけましょう。

過去と未来とつなぐには、言語が必要です。

あなたの経験と将来をつなぐのです。

 

宇宙や地球とあなたの生活の場をつなぐには、

言語が必要です。

世界とあなたの意識をつなぐのです。

 

世界の見え方が変わること、

ときに大きく揺らぐことこそが、

学ぶことです。

 

そして、できるだけ、全体的に普遍的に

考えているところから活動に結びつけていきます。

どこか、そういう機会や場をもつようにしていきましょう。

自ら、そういう場を作り、共有して、学び合っていきましょう。

 

大きく考え、足元で実践することです。

Think globally, act locally.

 

孤立とは、見捨てられ感なのです。

それは、身体性の欠如によって、もたらされています。

肌感覚での、人とのつながり、絆と癒しが必要です。

それは、寛容さ、親切など、人とのスキンシップからでしょう。

 

現代の教育は、触れる世界から、みる世界に変えることといえます。

他の人に共感して同調しているような子どもに、

頭だけでわかるようにさせていくのです。

それは、ある面では、高次にすることです。頭がよくなり、早く情報処理ができるように

なることです。そして、既存の知識から答えを検索して早く出せるようにするのです。

そのために言語を基に区別していくのです。触らないとわからないところから、触らなくてもみてわかるようにしていくのです。

 

それに対して、社会やコミュニティは、そうした言語での区別を取り去り、

共感、同調を求めています。

わかっているつもりのものをもう一度、見直したり、見てわかったつもりのものを、触って確かめたりしていくのです。つまり、低次とは言いませんが、広げていくのです。頭から全身に、他のものにも、です。

だから時間がかかります。みる世界から感じる世界に戻していくともいえます。身体性を取り戻すのです。頭のことばを切り、心身の声を聞き、伝え合うのです。

週刊金曜日9/17号 
ジョニーディップ主演の映画MINAMATAの紹介記事
に、撮影協力/私も撮影アシストをしました。

ドラマの元になった写真家ユージンを

当時、アシストした石川さんへの

ぶーさんの取材記事です。

映画とともにお楽しみください。

写真は著作権に引っかかりそうなんで、、、


宇宙の始まりから終末にまで、なぜ多くの人が関心をもつのでしょう。

もう消滅したかもしれない星の光に、なぜ関心を払うのでしょう。

それは、私たちとつながっているからに他なりません。

 

いま、ここ、という限定された時空に、私たちはいます。

生まれて死ぬまでの一瞬を、この地球で暮らしているのです。

多くの消滅した人たちの残したものとして、この生もあるのです。

それは、私たちだけではありません。

 

動植物も自然も地球も、そして、宇宙もです。

宇宙は、ミクロコスモスとして、脳の中にあります。

宇宙に出なくとも、宇宙を体験できます。

私たちがいるのは、宇宙ですが、

夢のなかにも、それは見つけられそうです。

 

宇宙との一体感、真理、無心、三昧、、

どう名づけようと、

そういう瞬間を

大事に味わっていきたいものですね。

エリアーデには、ユリイカか現代思想かで出会ったと思います。インドでタントラの密儀を女子学生と実践してグルから追放されたとか、彼がインドに留学してた頃、ガンジーが逮捕される事件があったとか。30年前、チベット密教や瞑想など、ニューアカデミズムの隆盛、そして、オウム真理教、私は、代々木駅前でSYOUKOUの着ぐるみの選挙運動を見ていました。

 

エリアーデは、ルーマニア人でブカレストに生まれ、ブカレスト大学でも教鞭をとりました。私はブカレストに初回は3週間、滞在しました。チャウシェスク政権の倒れたすぐ後で、仕事がらみで行ったのですが、革命で倒れた人の追悼集会やビルの銃弾後など生々しい情景でした。ポロシャツが200円で買えましたが、ボタンがぼろぼろとれました。お土産の彫刻や皿がスタジオにあります。ブカレスト大学の大学生たちと過ごしました。ちょうどディープパープルの公演前で、ワインなどを男女で回し飲みしながら、輪になって踊ったりしていました。ラテン民族です。

 

月に関しては、ちょうど同じ頃、「月の魔力」という本などを参考に、周期の研究を手伝いました。1990年の12月に何かが起こる、とキャッチがつけられました。フルムーンで、のことです。

日本人は、雪月花、その移り変わり、芭蕉のいう造化を味わいます。神話にも、月読命が出てきます。ウケモチ、ツクヨミとアマテラスの話ですね。エリアーデは、日本であえて例えるなら折口信夫に相当するような人物だとか。

私が詩人で浪漫主義者だった頃?、月は、多くの文学作品のモチーフに使われていました。シュトルムの「みずうみ」や、当時の、村上春樹の「ノルウェーの森」にも、人心に影響力を与えるものとして描かれています。

月を崇める暑い国では、国旗に月が使われます。ノイシュヴァンシュタイン城の、あのルートヴィヒ2世は「月の男」とアポリネールに呼ばれました。ルナティックというのは、狂気です。月が人を狂わせることからです。ルナは、月ですね。満月の夜によく事件が起きるのです。月の周期は、地球の潮の満ち欠けとなり、同じような水分構成の人体にも働きかけるわけです。

 

 

今回のレゾナンスCafeは、2月の夢の話からつながっていて、広汎すぎてまとまりません。思いついたワードを列挙しときます。神秘学、人智学、霊的、幽体アストラル、ユングの深層心理、シュタイナーの感性の文化。シャーマニズム、エクスタシー、脱魂、忘我、トランス状態、クンダリーニ、チャクラ、全知全能感。宇宙、コスミックセンス、仏ほとけ、アーカシックレコード、エーテル、エクスタシス、エンタシス、臨死体験、蝶々やお花畑、ミュトス、神話、宗教、文学作品と物語、創造性、言語、ヒマラヤヨーガ、現代芸術、ヨガスートラ。

 

後半は、二元論、知覚心理学から言語学、ことばと響きということが、ほーさんのハプニング的なうるうる実演で伝わりました。黙読と朗読との違いです。(群読も面白いです。)

 

zoomは参加者に同じ面積の画面を与えられます。発言の持ち時間を同じにしたら、形式的には平等ですが、これも度量衡に括られているので、そこを超える思考の場づくりが課題です。

 

オーケストラというよりは、指揮者のいない即興演奏、私たちはいまだオーケストラを理想の頂点とした思考から抜け出せません。それを超える多様性での調和をどうしていくのか、でしょうか。

 

500色の色鉛筆の話、500色に色を名付けるのは、言葉での作業、ていねいに扱うことでしょうか。魚群のシンクロは、似ているようで、一体化するから、真逆のあり方です。

その色鉛筆を販売するフェリシモは、1989年、ハイセンスから社名変更しました。その頃、大阪でご馳走になった矢崎社長は、私と誕生日が同じです。ジュリーと同じと長年まわりにいってきましたが、彼は6/25でした。この日、最大のショッキング!

ということで、今回は1989〜1990年に、私のなかで大いにシンクロしました。

 

青山スパイラルホールで

先日の講師、山崎美弥子さんの展覧会の最終日、

その色合いに、モロカイ島に想いを馳せる。


ハワイに最後に行ってからもう10年、モロカイ島はなぜか縁がありませんでした。
ですので、カウアイ島について。

プレスリー主演の「ブルーハワイ」が撮影されたのが、この島、結婚式もそこのホテルでした。ヒーリングミュージックの宮下富実夫氏がムー大陸といって撮影をしたように聞いたことがあります。亡くなったので未確認情報です。

太古を思わせる風景がたびたび映画ロケに使われました。「南太平洋」「キングコング」「ジュラシックパーク」などで見ることができます。

そういえば、ハワイ島のキラウエア火山噴火、見たかったですね。

北から、カウアイ、オアフ、モロカイ、ハワイ島だったかと、、。

 

そのあと、偶然すぎるほど近くで

イベント補助金の打ち合わせ、

青山食堂から3階のカシータ、千円のティラミス、奢っていただく。

 

ことばは、メールではテキストとなります。そこでの解釈によって、意味がうまく伝わらなくもなります。

そうしたことからも、引きこもりや草食系が当たり前の社会へとなります。コロナ禍は、それに拍車をかけました。

生身の喉からの振動、波動を伴ったことばがけが必要なのです。

現実感、リアル感は、どのくらい他の人との場の共有感が保たれるかということです。今や、SNSなどのコミュニケーションツールによって、共有感は、空間だけでなく時間も超えていきます。

しかし、顔を突き合わせ、膝を交えて対面したときの状況での生の感じ、感情の行きかいは、著しく損なわれているのでは、ないでしょうか。

脳化が進み、身体の外部化での接触が進むのが、文明といえるかもしれません。ことばの始まりから、テクノロジーの発達で、身体感覚は、延長しバーチャル化していくのです。それに従って、生身で触れることを避けるようになっていきます。プライバシーの尊重の行き着く先です。