佐藤康邦「近代哲学の人間像」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「ニッコロ・マキアヴェッリは、フィレンツェの人であった。彼自身は政治の世界で身を立てることを願っていたが、その願いは挫折してはたせなかった。彼はルネッサンス的な万能の天才型の人物であり、人文主義的教養をもち、フィレンツェの歴史を書き、言語学の研究を行ったほかに小説や戯曲まで書いた。そのマキアヴェッリが、自分の政治家としての経験をふまえて著したのが、これから検討する『君主論』である。それは、一般には『マキアヴェリズム』という言葉が示すような権謀術数を揮うことを奨励する政治論として知られているが、実際はどうなのであろうか」


「マキアヴェッリの思想を理解するためには、この時代のイタリアというものを知っておく必要がある。この時代はルネッサンス文化の最盛期であるが、しかし、他方、政治的にはイタリア国内は四分五裂し、戦乱が相次ぐ時代でもあった。この分裂した国々を支配する君主たちの地位も安全なものではなく、いつも戦争と謀反の危険に曝されているという有様だった。」


「このような状況の中で、いかにもこの時代を象徴するような人物が登場した。それが、チェーザレ・ボルジアという男である。チェーザレは教皇アレクサンドル6世とローマの遊女の間にできた子供であったが、父の後ろ盾のもとに、自らの決断力と行動力によって、ロマーニャから始めて次々と諸国を支配下に入れていった。とりわけ、その狡猾さと残酷さは際立っており、政敵の毒殺など平気でやってのけたといわれる。彼の行動は世間の耳目を集めたが、マキアヴエッリの目も引き、なんとチェーザレこそ、自分の思い描く理想の君主であるとみなしさえしたのである。結局、チェーザレは失脚してしまい、マキアヴェッリの望みは叶えられなかったが、それにしても、なぜ彼がチェーザレに望みを託すようなことをしたのか、それに、『君主論』が答えてくれているのである。」


 しばらくボルジアとマキアヴェッリにこだわってみる。