塩野七生「ローマ人の物語Ⅺ」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「イタリアのローマが、帝国の政治と経済と軍事の中心であれば、ギリシアのアテネは、帝国の知性の生まれ故郷であった。哲学はこのアテネで、最も華やかな花を咲かせた。ストア学派の始祖ゼノンも、マルクスが訪れる五百年も昔にアテネで、“哲学者修業”をはじめている。その祈りの教場がアテネにあった壁画回廊だったので、この学派が『ストア学派』と呼ばれるようになったのであった。このストア学派に傾倒していたマルクスにとっては、聖地を訪れるに似た思いであったろう。そのうえ、このアテネで皇帝を迎えたのが、ほかでもないヘロディアス・アッティクスである。当時の最高の学者の一人、最高の教養人の一人、最高の金持の一人、そのうえ市民の義務である公職も執政官まで務めるという、人間社会では羨望の的になりかねないギリシア人だった。学者でありながら、公共事業への莫大な寄付などによって人々の羨望をかわすという、世間智にも長けた人である。マルクスにとっては、亡きフロントと並ぶ恩師でもあった。」


「このヘロディアス・アッティクスの客になってのアテネ滞在が、マルクスにとって心地よいものであったのも当然だろう。マルクスがやったのは、アテネを特色づけていた哲学を学ぶ学府を、新たに四つの学部に分け、そこで教育を担当する教授たちの給料を、完全な定給制にしたことである。四学部とは、プラトン哲学、アリストテレス哲学、ストア哲学の三学部に、それ以外の諸哲学を教える学部。教授に保障された年給も、帝国の事務官僚に準ずる額でしかなかったが、少年時代に哲学者のまねをして、床にじかに寝たというマルクスである。哲学者に高給は必要はないと、考えていたのかもしれない。」


「それにしても、いずれもギリシア文化への心酔で有名なローマの皇帝二人の、関心を寄せる対象のちがいは興味深い。ハドリアヌスの関心は主として造形芸術に対してだったが、マルクス・アウレリウスの関心は哲学一筋。前者にとっては『美』が、後者にとっては『真』が、関心の核であったのだろう。美も真も、ギリシア文化の最終目標ではあるのだが。」


 ローマ人の物語、ひとまず終了