小室直樹「日本人のためのイスラム原論」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「キリスト教はローマ帝国の迫害にもかかわらず、ヨーロッパ世界に広がった。そして、あろうことか、このキリスト教を母体にして近代ヨーロッパ文明が生まれ、今日の世界ができあがったのである。なぜ、キリスト教はそれほどの影響を与えることになったのか。こんな不思議な教説から、近代デモクラシーや近代資本主義がどうして生まれることになったのか。多くの読者はきっとそれを知りたいと思われるだろう。」


「その謎を知るには、まずイスラム教を知ることが先決である。なぜなら、先ほどから述べているように、キリスト教はあまりにも特殊な教説をもった宗教である。いや、異常といったほうがいいほどだ。そのようなキリスト教に真正面からぶち当たり、それを理解しようとすれば、これは大変な苦労を要する。ところが、そのキリスト教のかたわらにイスラム教をおいて観察してみると、話ががぜん違ってくる。なにしろ、イスラム教ぐらい宗教らしい宗教はない。宗教のお手本というべきか。」


「キリスト教を例外として、たいていの宗教はその根底に規範がある。これは当然のことであって、心の内側で信仰をもったからには、それに対応して行動も変わらなければならないからである。これについて、宗教社会学の巨人マックス・ウェーバーは、こういっている。」


「宗教とは何か。それは『エトス』であると。エトスとは日本語に訳せば、行動様式。つまり、行動のパターンである。行動のなかには意識的なものも、無意識的なものも含まれる。宗教を信じるということは、その宗教独特のエトス、行動パターンを持つことに他ならない。たとえば、ユダヤ教徒は豚肉を食べない。割礼をする。これもエトスである。儒教徒の場合は、エトスは『礼』という形に現れる。すなわち、親に対して孝、君に対して忠であろうとする。さらに某カルト教団などであれば、自分たちに敵対する連中の命を容赦なく奪う。これもエトスだ。」


「およそどんな宗教においても、そこには独自の道徳律や戒律がある。こうしたものが、その宗教を信じる人たちの独自のエトスを生み出すわけであるが、イスラム教はそれを最も徹底的な形で行っている宗教である。すでに述べたイスラムにおいては、宗教上の戒律は、そのまま社会の規範であり、『国家』の法律である。信者の行動のすべてはイスラム法によって定められている。ありとあらゆる問題はイスラム法の手続きに従って善悪が決定されるのである。したがって、外面に現れた行動様式を見れば、その人がムスリムであるかどうかが、ただちにわかる。」


 キリストの教説とは、『信じるだけで救われる』ということ