宮村治雄「丸山真男『日本の思想』精読」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「川端康成さんの新聞小説に『女であること』というのがありました。それを読みますと、女性のきわめて微妙な感覚の動きや細かい心理のひだまで私どもに伝わってきます。川端さんの小説を離れても、私たちは女『である』という属性――セックスはいうもでもなく人間の属性です――からして、女らしさとか女らしい行動様式というものについて様々なイメージを思い浮かべることができます。もちろん男らしいという言葉もあり、またそれに付随するイメージもありますが、どうもやはり男と女との間にはちがいがあるようです。すくなくも『男であること』というのは小説の題名としては不自然で、何か滑稽な感じが伴います。それにはいろいろ理由があるでしょうが、なんといっても、男性の方が社会的に多様な活動をし、多様な役割を演じているのに対し、女性とくに家庭にいる女性は、妻としての役割、母としての役割が大部分であり、したがって、女『である』ことから、女性の行動様式が『自然に』でて来る面が比較的多いということが背景になっていると思います。ですから、かりに女性が男性と全く同じ程度に社会的に多様な役割を担当しているような社会があるとして、果たして女であるという属性からして、私たち日本の社会ほどに女らしいふるまい、女らしい言動というものを具体的なイメージとして思い浮かべることができるかどうか、少なくともそういうところでは、流石に川端さんを以てしても『女であること』は小説の題名になりにくいのではないかと想像されます。これはいい悪いの問題というより、人間の置かれた状況の複雑化が、人間のふるまい方に、また人間を見る眼にどういう変化をおこすかという問題を単純化した例で申しあげたわけです。』


 宮村の「精読」を横の置きながら、再度丸山の『日本の思想』を読んでみる。