岡義武「近代日本の政治家」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「伊藤の死後に尾崎行雄は述べて、伊藤公の最大の欠点はその女色であったが、公は、しかし、決して婦人に溺れることはなかった、縁日で花を買ってきて眺めてしまえば捨てて顧みないのと同じように、女を手に入れることは入れるが、楽しんだ後はもう顧みなかった、公は女を縁日の花と同一視したのである、といっている。曾て清浦奎吾は山県有朋のことを追想した談話の中で伊藤に言及し、山形公は使えると思った人間を一度用いると、その物の頭脳や能力などは問題にせず、さほど大きな過失を犯さない限りは決して捨てず、末永く面倒を見てやった、そのため、使われたものも山形公にすべてをささげることになった、これに反して、伊藤公は適材を発見してこれを適所に用いたのち、用がすめば放置してあとはもはや顧みなかった、といい、伊藤の女性関係もその点は同じであった、伊藤は女色を好み、方々で芸妓・雛妓と親しくなったが、一旦あきるとあとは忘れたようで、自分の関係していた女を人に世話したりした、これが、万事についての伊藤のやり方であった、と語っている。伊藤の淡泊・無造作な性格は、こうして、その漁色のなかにもよく現れている。」


 本書は、伊藤博文、大隈重信、原敬、犬養毅、西園寺公望の5人をとりあげている。