佐川光晴「灰色の瞳」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「元東大法学部教授丸山真男はいうもでもなく戦後民主主義のトップスターである。学問的な業績はもちろん、現在行われている政治評論のスタイルを確立したのも彼であり、その影響は死後7年が過ぎた今もはかり知れないものがある。ところが、その丸山が原爆投下時の広島にいて被曝していたことについてはこれまであまり知られてこなかった。その理由はひとえに丸山自身が被爆者としての発言や活動を全くしてこなかったためである。もちろん被爆者手帳も申請していない。事実、1967年に『思想の科学』誌上で行われた鶴見俊輔との対談で唐突に自身の被爆体験を告白することで、それは初めて公にされたのだった。」


「丸山 いまかえりみて、一番足りなかったと思うのは、原爆体験の思想化ですね。私自身がスレスレの限界にいた原爆経験者であるにもかかわらず、ほかの、たとえば、戦争中の学問思想に対する抑圧についての私自身の経験とか、(中略)そういう体験を思想化しようと自分では努めてきたつもりですけれど、ところがその中でどう考えても欠落しているのは原爆体験の思想化なんです。『平和問題談話会』で、私は、朝鮮戦争の後、『三たびの平和について』(丸山真男集5)という報告の序論の部分の原案を書いたんです。それで、何とかして平和共存論の理論的基礎づけをしようとした。その時に、原爆でこれまでの戦争形態がすっかり変わった。原爆の出現によって、どんな大義名分のある戦争でも、現在の戦争は手段のほうが肥大化しちゃって、目的に逆作用する可能性がひじょうにつよくなった、ということを述べたわけです。けれども、それは一つのグローバルな『抽象的』観察なんで、私が広島で原爆にあい、放射能も浴びたという体験とは結びつかない。現在、日本人が広島を重い経験として感じている。そうして大江健三郎さん(『ヒロシマ・ノート』岩波新書)とか、最近の井伏鱒二さん(『黒い雨』新潮文庫)とか、作家がその重みを作品に結晶化しようとしている。そういう意味での原爆体験というものを、私が自分の思想を練りあげる材料にしてきたかというと、してないです。その点が、自分は一番足りなかったと思いますね。」


「鶴見 何がその思想化を押しとどめたんでしょうか。」


「丸山 わからないんですけどねぇ、それ」


 アマゾンによると、本書は、「本格ロマンの復権! 父親譲りの灰色の瞳と英語力を武器に、通訳として自立をめざす美貌の女性・黒井礼子は、政治思想史の若き学究・千明広と出会い、恋に落ちる。正反対の境遇と性質ゆえに深く惹かれ合う二人だったが、兄夫婦の急死により礼子に遺された幼い兄妹の養育、千明の将来を左右する教授夫人との確執、さらに戦後政治思想史のカリスマをめぐる謀略が絡み、波瀾のドラマが展開する……。」とある。

戦後政治史のカリスマとして丸山真男の記述があった。