辻邦生「背教者ユリアヌス」その7 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「私にとってプラトン研究や瞑想や著述は決して無理に学問にかじりつくためのものじゃないのだ。私はむしろ大遠征を企てているからこそ、それだけ読書や思索が必要なのだ。というのは、読書や思索は、私はペルシア遠征という困難な仕事に首まで漬かりそうになることから、私を救いだしてくれるからなのだ。ゾナス、こう言うと私が逆説を弄していると思うかもしれない。しかし、人間は、事実、どんな大事件であれ、それに首まで漬かっては、その全体を見ることができなくなるのだ。人間はそれが進んでいる方向を見失ってしまう。方向を見失えば、その事柄は、まるで大洪水のように、勝手に、ばらばらに狂奔していて、それにどう対処したらよいか、わからなくなるのだ。どうか、ゾナス、よく聞いてくれ。私はこのペルシア遠征を、最初から最後まで、一望のもとに掴めるような立場に立たなければならないのだ。そのためには毎晩、こうやって一人になって、自分や、全ローマ軍団の動きや、歴史の興亡や、人生の意味を、深く考えてみなければならないのだ。ペルシア遠征を、ほんの、ちっぽけな事件とみなしうるような、壮大な広袤を手に入れなければならないのだ。この大遠征は刻々に困難を加え、刻々に巨大な広がりとなって私の前に立ち現れてくる。私はそれに呑まれてはならないのだ。どうしても、それを越えて、その全体を一望の中に掴みうるような立場に立たなければならないのだ。ゾナス、これは私に課せられた緊急の哲学的課題なのだ・・・・。」


 背教者ユリアヌス・完