Journalism(反知性主義に抗うために)その2 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「私が研究者を志したのは1980年代の初頭だったが、そのころの日本の政治学では、第二次世界大戦を直接経験した世代が指導的な地位にあり、それらの学者において分野は違っても、敗戦と戦後の民主化をくぐり抜けた体験が政治学研究と密接に結びついていた。日本の同時代の政治に直接言及することがなくても、研究の根底には日本の民主主義をどう強めていくかという関心が存在した。そして、私の若い頃の学部、大学院の教育では、古典を読むことが重視された。やや単純化した言い方をすれば、世の中の秩序をいかに構築すべきか、人間にとってよい秩序とはどんなものかという問いについて、人間はプラトン、アリストテレスの昔から答えのない問いを考え続けてきた。政治学を勉強するとは、そうした問いを探求する作業の末席に加わることであった。だから、古典を読むことが研究者修行の第一歩だったわけである。古典と同時代の往復運動が政治学者の基本動作である。」


「政治に関心を持つ市民や若者が、政治について理解を深めたいという場合にも、古典を勧めたい。私があげた本の大半は翻訳であり、多くは岩波文庫に収録されている。それは別に西欧崇拝という発想ではなく、近代的民主政治が西洋と北米で始まり、日本に移植されたという歴史的経緯に由来しているだけである。私たちが今の日本で、一応当たり前だと思っている制度や理念がそもそもいかにして生まれ、日本に定着する過程で日本の文脈にどのように適応してきたのかを知ることが、政治の理解には不可欠であり、そのためには古典を読むことがどうしても必要なのである。」


「若いときに政治に関心を持つ人は、多くの場合、世の不条理を正したいという理想や正義感に基づいて、世の中の仕組みや秩序を作り出す作業としての政治を動かそうという意欲を持って政治を見る。しかし、人間の善なる動機で理想を追求することが、望んだ成果をもたらさないというのが政治の世界の宿命である。政治とは、異なった欲求をもつ人間が互いに殺しあわないよう、傷つけないよう共存するための活動である。人間の業や欲の深さを知れば知るほど、政治という活動は理想を追求するという単純な話でなく、複雑で困難な仕事だということが見えてくる。」


 丸山真男を尊敬する政治学者山口二郎の文章から抜粋。ローマ皇帝ユリアヌスがよぎった。