小西甚一「古文の読解」その6(不易流行) | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「流行は、ともすれば軽薄な人々によって迎えられるために、節操の高い人はむしろこれに背馳するものというような考えが行われがちである。しかし、ここにおいても、力が問題なのである。芭蕉が不易流行と対称したのも、彼の芸術たる俳諧そのものが、当代流行に根底を置いているものだから、そうしたとらわれを脱した立言が出てきたものなのである。彼の言う流行が、われわれの意味とやや用語例を異にする部分があっても、だいたいは同じ方向にある。流行は力であって、すべてのものをまきこんで、その力みずからの選ぶ方向に進む。そうして大きな跳躍を実現する。文学者・芸術家の多くは、流行に従わないことを高しとしているが、実は誰も流行の力を避けえないでいることが多い。」(折口信夫『日本文学研究法序説』)


「芭蕉のいう『流行』は、動的な精神に裏付けられている。『三冊子』の説明によると、芸術の世界で真剣に創作をしようとするものは、どうしても現在の境地にとまっておれず、しぜんに一歩を踏み出し、新しいものへと進む。それが『流行』にほかならない―――といわれる。『あら、その色、今年の流行ね』などというときの『流行』とは同じでない。しかし、よく考えると、今の状態に満足できず、もう一つ新しいものをもとめて前進しようとする意識は、芭蕉のいう『流行』もアン・ノン族の『今年の流行ね。』も共通である。違うのは、真剣な創作態度でギリギリ追いつめた結果の新しみか、なんとなく古いものを好かないといった程度の移り気から生まれた新しみか、の差だといえる。これに対して、芭蕉のいう『不易』は、時間の流れによって価値の動かない表現の性質を意味する。つまり、柿野本人麻呂の名作は、鎌倉時代の将軍実朝をも、江戸時代の学者賀茂真淵をも、明治時代の新聞記者正岡子規をも、また現在の少なからぬ人たちをも、ひとしく感動させる。このように時代を超えて人の心をうつ作品が、すなわち『不易』なのである。」


「簡単に考えると、不易と流行は、反対のように見えやすい。一時的な流行の作品と、いつまでも変わらず存在する不易の作品とは、火と水ぐらいの違いがありそうに思われる。しかし、芭蕉によれば、両者がもともと同じ源から生まれるものだという。つまり、真剣な創作態度から、やむにやまれず新しい世界へふみ出すところに流行の作品が生まれるが、何分にも未知の境へ進むのだから、きっと成功するとは限らない。一時的にもてはやされても、結局は失敗して消えてゆく作品がむしろ多いだろう。が、なかには、つよく人の心をうち、後の世までも残る作品が、ときどき出る。それが不易の作品なのである。すなわち、不易の作品も、生まれた瞬間は流行の作品だったのである。別の面から言いなおすと、不易の作品を生み出そうと思って、人麻呂や定家の歌をまねたところで、決して不易の作品は生まれるものではない。不易の作品を生むためには、本当に流行に全心身を打ちこまなくてはならない。流行に深まるほか、不易に到達する道はない―――。これが芭蕉の有名な不易流行説である。すばらしい論である。」


 受験参考書にしておくのはもったいない書物である。