「イエス・キリスト」その5 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「イエスが水上を歩いているように見えたのは、潮の流れが変わったためだったかもしれないし、イエスが悪しき霊を追いだしたように思えたのは、その人が実際には癲癇患者だった可能性もある。現代世界の人間がイエスの奇跡行為をどう見るかを論じても、今日的な意義をもたない。推測できるのは、当時の人々がイエスの奇跡をどう見ていたかということだけである。初期の教会内で、イエスはラビなのか、メシアなのか、神の化身なのかの議論が盛んに行われていながら、彼の信奉者や中傷者の間では、悪魔祓いの祈祷師や奇跡を行う人としてのイエスの役割については何の議論も行われていなかった。」


「外典を含めた福音書のすべてが、イエスの奇跡行為を確認しており、初期の『Q資料』も同様である。『マルコによる福音書』はほぼ3分の1がイエスの癒しと悪魔祓いの物語だけで構成されている。初期の教会はイエスの奇跡の生々しい記憶を保持していたばかりでなく、まさにそれを基盤にして築かれた。イエスの使徒たちは、彼の奇跡を行う力を真似て、イエスの名において人を癒したり、悪魔祓いをしたりする能力があることで注目されていた。イエスをメシアと受けとめていなかった人々さえ、イエスを『驚くべき行為を行う人』と見ていた。イエスの敵たちはその動機や源を疑うことはあっても、彼の奇跡を否定する様子は福音書のどこにも見当たらない。」


 説得力はある。