「漱石とその時代」その6 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「『エヂンバラ』は景色が善い。詩趣に富んでいる。安くも居られるだろう。倫敦は煙と霧と馬糞で埋まっている。物価も高い。で、余程『エヂンバラ』に行こうかとしたが、ここに一つの不都合がある。『エヂンバラ』辺の英語は発音が大変違う。先ず日本の仙台弁の様なものである。せっかく英語を学びに来て、仙台の『百ズー三』などを覚えたって仕様がない。それから倫敦の方はいやな処もあるが、社会が大きい。・・・芝居に行きたければ、West Endに並んで居る。それから僕に尤も都合の善いのは、古本などをさがすには(新しい本でも出版屋は大概倫敦である)ここが一番便利である。以上の訳でまず倫敦に止まる事に致した(明治34年2月9日付)。」


「注目すべきことは、金之助の語調の裏になにか合理的な説明ではおおい切れないような強い感情がひそんでいるという事実である。仮に留学費が潤沢にあったとしても、彼はケンブリッジには行かなかったかもしれない。あるいは英語研究ではなくて文学研究を主要任務だったとしても、彼はエヂンバラを選ばなかったかも知れない。『交際もせず、書物も買えず、下宿に閉じ籠っている』というのは彼の潜在意識が決めていた既定の方針にほかならず、あとはすべてこの衝動の理由づけにすぎないというようなものが、この手紙の行間から透視できるのは何故だろうか。おそらく彼は、異質な世界に露出されている状態に耐えられなくなりはじめていた。それはあの『言葉の危機』のもう一つの様相であり、自分と無関係に存在する世界から自分を保護する唯一の方法である。」


 漱石のロンドンでの生活が始まる。