「どう違うか」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「『空』は、日本語でいうたんなる無ではない。それは、存在の根源における実体の無さ、というべきものである。『照見五蘊皆空(存在するものには五つの構成要素があり、それらはその本性からいうと、実体のないものと見抜いたのである)』という思想はそのことを示している。」


「こういう哲学的な思想は、そもそも理解が困難なものである。が、アイデンティティ(永続性)という考え方に馴染んでこられた読者には、比較的容易なものである。即ち、空とは存在するもののうちにアイデンティティがないことを言っている。」


「存在物(聖書的には被造物)はみなうつろいいく。そうすると、ある時われわれの五感に受信されたものが、その対象の実体とはいえなくなる。次の瞬間には、うつろった別の姿が認識されている。こうして変化する中で、どの瞬間のものが本質(実体)であるかをいうことはできないからである。」


「ある対象について実体ありとするには、そこに不変なものが存在しなければならない。けれども、そんなものは存在しないというのが、般若信教の思想であるから、存在には実体なしということになる。これすなわち存在の本性は『空』という思想にほかならない。」


「こういう存在論を基盤に持った仏教が、思想的には未開だった時代の日本に、中国大陸から輸入されてきた。以来それは、日本のアイデンティティ思想を深く、広く規定していることになる。」



 一読しただけでは、理解はできない。