「イエスの教えを受けた弟子たちの伝道は、地中海沿岸の全域に普及し定着した。当時その地域はローマ帝国の領内であった。教団はこの地域を5つの教区に分けて運営管理をした。ローマ大教区、コンスタンチノーブル大教区、アンティオキア大教区、エルサレム大教区、アレキサンドリア大教区である。」
「313年にキリスト教がローマ帝国により公認宗教とされると、ローマ大教区の大司教の地位は事実上、他の大司教のそれより優越したものとして扱われるようになった。こうした動きに反発したコンスタンチノーブル大教区は、1054年に独立し、自らをギリシャ正教会と称するようになる一方、ローマを中心とする西の教会も自分達をローマ公教会(いわゆるカトリック)と公式に称するようになった。」
「カトリック教会の運営は、全教会の意志(聖書解釈をも含めて)を統一する究極的権限を持ち、それを代表する地位(法王)を創設するという方式を採り、法王の地位にローマ大司教を当てることとした。この教団は又、法王をイエスの代理人であるという教義を確立し、これにより法王の権威は絶対的なものとなった。」
「この方式に異議を唱えたのが、宗教改革者の立役者として有名なマルティン・ルターである。彼は、1517年に、最高で最終的な権威は聖書の言葉そのものにあるという主張を述べた。この法王なるものを認めない教会がヨーロッパ各地に広がり、これが今日プロテスタント(抗議するものの意味)と呼ばれる教団である。」
「プロテスタントは、カトリックに対抗するものとして、カトリックの中から生まれ、カトリックは旧教、プロテスタントは新教とも、呼ばれている。」
「新教は最終的権威を聖書の言葉においていることから、その解釈の差異によりさまざまな教派を生む。長老派(カルビンによって考案された長老による教会運営)、バプテスト派(洗礼を施すとき、額に水をたらすのなく、全身を水に沈める方法を重視)、ペンテコステ派、メソディスト派、などなど」
「ただこれら派は、聖書の形而上理論の柱になるような点では共通した教義をもっており、エホバの証人、統一教会、モルモン教とは関係がないと区別をしている。」
よく整理がされている。