続「メシアの巻」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「洗礼の意味について、聖書には3種類の洗礼がある。ユダヤ教の洗礼、バプテスマのヨハネの洗礼、そしてイエスをメシアとして信じたものが受ける洗礼である。この三つの洗礼の本質は同じであるが、受ける目的は異なる。」


「ユダヤの洗礼とは、トーラー(律法の書)の教えによれば、ある種の食物、病、吹き出物、偶像などに触れると、その人は儀式的に汚れた存在となる。汚れた人は、いかなる宗教的儀式を行うこともできなくなる。そのような汚れを清めるのが、水の洗い、つまり洗礼である。」


「バプテスマのヨハネの洗礼とは、悔い改めの洗礼と呼ばれた。ヨハネから洗礼を受ける人々は、ヨハネが語るメッセージに同意し、自らの罪を告白して、悔い改めのしるしとして洗礼を受けた。さらに、ヨハネがある人物を指し示したら、その人物をメシアとして受け入れる用意があることをも表明したのである。」


「最後は、イエスを信じたものが受ける洗礼である。これは、教会時代になってから実行されるようになる洗礼である。その意味は、イエス・キリストとの一体化である。イエスとともに古い自分が十字架につけられて死んだこと、またイエスとともに新しい自分が復活したことを表明するもの、それがクリスチャンの洗礼である。蛇足であるが、洗礼が人を救うのではない。イエスを信じて内面の生まれ変わりを体験した人が、その信仰を告白するために受けるのが洗礼である。」


 ヨハネとはなにものだったか、確かヨハネの洗礼をイエスが受けていた記述があった。「イエスが洗礼を受けて水から上がると、両手でカーテンを引き裂くかのように空が文字通り二つに裂けた。その時ヨハネは、避けた空のかなたに神の栄光の御座をみたような気がした。そう思った瞬間、天から一羽の鳥が舞い降りてきた。よく見るとそれは白鳩であった。その鳥はイエスの頭上を旋回し、やがてその肩に止まった。鳩が止まるや否や、天からの声が雷鳴のようにあたり一帯に響き渡った。『これは、私の愛する子、私の心にかなうものである』」