「暁の寺」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「西暦紀元前二世紀から紀元後二世紀のあいだに成立したマヌの法典は、前八世紀にはじまる梵我一体のウバニシャドに定立せられた輪廻思想を伝承していた。」


「マヌの法典はその荘厳な第一章において、闇の混沌を拝して自ら輝き出た自存神が、まず最初に水を造り、水中に種子を置き、種子は成長して太陽にようにかがやく黄金の卵となり、一年ののち、卵をやぶって、全世界の祖たる梵天(ブラフマン)が誕生するありさまを描いていた。

そのブラフマンの依処なる水こそは、ベナレスの水なのであった。」


「マヌの法典が告げる輪廻に法(ダルマ)は、およそ人の転生を三種に分かって、一切衆生の肉体を支配する三つの性のうち、喜ばしく、寂静で、又清くかがやく感情に充たされた智(サットヴァ)の性は、転生して神となり、企業を好み、優柔不断、正しからざる仕事に従事し、又つねに感覚的享楽に耽る無智(ラジャス)の性は、人間に生まれかわり、放逸らんだ、無気力、残忍、無信仰、邪悪な生活を好むタマスの性は、畜生に生まれかわると説いていた。」


 三島は、仏教理解の参考書の一つとして、L・デロンシャンのフランス訳の「マヌの法典」を紐解いたと、小説の登場人物(本田)に語らせている。