BBSという本田美奈子.さんも以前書き込んでくれていた美奈子さんのファンが交流するネット掲示板があります。


先頃、ファンのある方が皆さんの好きな美奈子さんの歌を五つ挙げて投票してみませんかということで投稿されました。


五つではあまりにも少なく選びづらいと私同様ファンの皆さんも思ったことでしょうが短期間の事ですが二十数名の方が投票されました。



結果はもちろん色々な歌をそれぞれ皆さんが挙げられました。


私はまだ彼女を知って一年も経たないので中には聴いたこともないような歌も見られます。


さすがにトップ3は納得のいくものです。


一位は「ジュピター」




二位は「つばさ」





三位は「白鳥」




クラシックの曲からの歌が二つ上位に入りました。

いづれにしても美奈子さんの歌唱力なくしては折角の曲も違うものになることでしょう。

何度聴いても彼女の歌には元気を貰えると私は思いますが皆様はどう感じられたことでしょうか?

今回の投票では私はあえてデビュー間もないアイドル時代の歌やバンド結成時の歌、ミュージカルの中の歌を挙げました。

アイドル時代のまだ歌手になりたてのころの歌もとても好きでよく聴きます。

当時から伸びやかな透き通った高い声が魅力的で心地いいです。


また、さらに努力されて色々なジャンルに挑戦されていくうちにどんどん大きく成長されていく様が映像を通して解ります。(こんな所が憧れるし彼女の魅力でもあります)


今回ここで取り上げたYou Tubeからの「ジュピター」のお姿はどうでしょう?

光り輝きまぶしい印象を受けるのは私だけなのでしょうか?


















現在通院中で回復が遅い方のことを記したいと思います。


60代のご婦人ですが、この方のお悩みは普段では珍しいし、私も初めて扱う類のものです。


症状としては10年以上にわたり瞼が下がり、さらにそこが痛いと訴えられます。



いわゆる眼瞼下垂であって地元の諫早どころか東京の高名なお医者様にも診て頂いたそうですが未だに良くならないとの事です。


以前は痛みがなかったとのことですが最近は痛みがありそれが辛いとの事。


歩く時も自らの指で瞼を押し上げて歩かれるので本当にお気の毒に感じます。


下がった瞼は諦めているとのことですが痛みをどうにかして欲しいとのことで来院されたという訳です。


こんな場合は有無を言わせず脳幹調整療法の出番ですから早速説明の上、了解を頂き施術しました。


しかし結果としては週1の治療で2か月を過ぎたのですが症状は未だ治まりません。


そこで過去の症状が出始めた頃の事を詳しく聞いてみると家庭内で精神的にショックを受ける程の辛い事がありそれからどうもおかしくなったとのことでした。


ネット上で調べていたら薬物が原因として発症することもあるとの記事を見て本人にも確認したところ現在は服用していないが当時はうつの薬を飲んでいたらしく、デパスという薬に覚えがあるとのことです。

リボトリール、デパスとネットから拾い出してきたのですがこの薬は、躁うつ病、神経症、筋肉のこわばり等の症状に使うらしく眼瞼下垂を引き起こすことがあるそうです。


また、現在は目薬のみとの事で三種類つけておられるとのことですがオーリングテストで調べたところコプラジロールなるもので怪しい反応があります。

これは眼圧を抑えたり、緑内障に使うとの事ですが本人は眼圧も高くなく、緑内障もないとのことで、「使用するのはどうでしょうか?」と話しました。

薬は本人次第だし、お医者様の考えもあるのだからこちらはあくまでも助言の域で終わることが多いのですが原因療法の施術家としては考えてほしい肝心な所でもあります。


「良い事を付け加えることも大事ですが、悪い事を差し引くことも治療においては重要です。」とよく患者さん方に話します。


自然に任せて脳幹という司令塔がしっかり仕事をしてくれれば大方の病気、障害は順序よく治っていきます。


対症療法で目先の結果である症状を追うばかりに体を壊さないよう注意が必要です。



「結果良ければすべてよし」という訳にはいきません。
一昨日は早起きして県下一周駅伝の最終日の1区のスタート地点である小浜町に向かいました。
自分自身29年前走って以来一度もここに見に来たことはなかったのですがデジカメに収めブログにて紹介できたらと思い行って来ました。


のんきに8時スタートと思いこみ20分前に着いたらいいだろうと現場に着いたところ勘違いしていたようで程なくしてスタートのピストルが鳴りました。


カメラの準備、撮影の場所が悪く慌てて選手を追いましたが残念ながらカメラに収めきれずにガッカリ(>_<)


その上片側一車線の道路ゆえか選手を追い越して先回りはできないと近くにいた婦警さんのお言葉でさらにガッカリ。(´д`lll)


しょうがないからまずは行くことにしましたが、加津佐町まで警察等の関係車両の後ろをついて時速20キロ、1時間かけて選手の後にやっとゴールしました。


結局選手の激走ぶりは全く見られませんでしたが初めて車で人の走る速度を体感しました。


車では遅く感じますがフルマラソンのペースなら時速20キロはかなりいい記録です。


また、私が走った29年前も今とそんなに風景は変わっていないように感じましたが選手として走った当時は無我夢中でまた体調も崩していたため今回のように景色を見る余裕などもちろんありはしませんでした。

以前別大マラソンでもブービー賞と書いてましたがこのレースも実はもう一つのブービーです。


別大では腹を壊し散々な目に遭いましたがこのレースでは走る前からいつもの頻脈に悩まされ一睡もできないような状態でスタートに着いていました。


4年間の県下一周駅伝において毎回悩まされていたのですが初日を除き2走、3走時には決まって前夜から毎分120拍は超えている状態が続きよく眠れぬまま走っていたのですがこの年は初日、二日と長い距離を任され特に疲れ切っていたと思います。


寝ていて心臓が早鐘の如くドック、ドックと動くので熟睡できず頭はボーっとしたままスタートを切ったわけですがまったく最初から先頭集団についていけず辛く苦しい19.2キロを味わうことになりました。


当時は監督車が後ろにつき指示を出し、上手いことおだてて選手がより調子よく走れるよう声を掛けていました。

「オイチニイ、オイチニイ、ソウソウソウソウ」

「野口は今から暖まれば走れるとやんもんな」

「相手もきつかとぞ、頑張ってついていけ」


しかし、今回は檄の嵐。


もう、昔の事でまた頭も体もフラフラの状態でしたから良く覚えていませんが「石でも投げてやろうか」みたいな感じを監督達の言葉に受けていたように思います。


やっと11人中10番でゴールしチームメイトが出迎えてくれましたがあまりの不甲斐なさについ嗚咽が漏れてしまいました。


後にも先にもこんな気持ちになったのは初めてでしたが今となってはこれもまた良き思い出と最近は感じます。


また、この駅伝の中でもエース区間といえるところで諫早チームではやっと4、5番手の私が故障者の代わりとはいえ走れたのは有難く、感謝しなければならないと思います。


走りたくても走れないような箱根で言えば花の二区みたいなとこですから。


そしてその夜の慰労会では今は亡き監督さんに「三日走るのはちょっと・・・。」みたいな事を言って頭をコツンとやられことを今でも思い出します。


監督としてはその時は深く語られませんでしたが「何を泣き言、言い訳をするんだ」、「堂々と一生懸命走ったからいいじゃないか」、「しっかりこれからも頑張れ」という気持ちから手が出たのかなと思います。


「何で殴るんだ、本当だろ」という恨む気持ちになりましたが当時23歳の私はそこを理解できませんでした。


肉体の限界を尽くして走る駅伝の世界を垣間見て、これ以上きつい事もそうそうないと思うのですが日常にまだまだ生かせていません。

きつくても、寒くても、腹が空いても今の冬場の時期はひとり自分を奮い立たせて走ったものです。


当時のように熱い気持ちで目標を目指して今年は頑張るつもりです。