先ほど、病院で勤務していたときに担当していた患者さんたちの顔が見えました。
不思議ですね。
辞めてもうすぐ1年。
彼らはちょうど今の時期に担当していた方たち。
それぞれの人生の終わりをまざまざと見せてくれた人たち。
少しだけ、お話しさせてください。
ある人は、まだ若い60代過ぎの方でした。
呼吸の病で入院し、自力では十分な酸素を取り込めず人工的に酸素濃度の高い空気を送っていました。
彼は、スポーツ観戦が好きで2020年のオリンピックを「見に行きたいなあ、無理かなあ」とよくぼやいていました。
そんな望みを抱きながら、彼はある夜に突然呼吸が止まり亡くなってしまいました。
昨日まで、話して、笑って、歩いていた、そんな人がです。
ある女性はもうすぐ100歳という年齢。
心臓の病でした。
そして、脳の機能も低下しており、毎日はじめましてからはじまる、そんな彼女。
彼女の口癖は「感謝しなきゃねえ」。
偉い立場の方の奥さん。
それがどんな生活でどんな日々を送っていたのかは分かりません。
その口癖はどこか自分に言い聞かせているようで、とても苦しく感じたのを今でも覚えています。
彼女は徐々に弱っていき、ある日、急激に病状が悪化。そのまま、でした。
もう一人の女性は、80に差し掛かるぐらいの方。
脳梗塞が切っ掛けで入院されてきます。
一度は家に帰る、というところまで来ました。
が、膝の痛み、心不全などが重なり退院がどんどん伸びていきます。
彼女は施設へいくことを決めました。
けれど本心は、「家に帰りたい」でした。
「家に帰りたいけどねえ、こんな体じゃ無理やね。」
それは、彼女が時折こぼす本音でした。
彼女も病状がどんどん悪化。
苦しみの中なにもしてあげられることなく、ある日亡くなられてしまいました。
望みを叶えられずに死んだひと。
本心に気がつけないまま死んだひと。
望みを伝えられずに死んだひと。
孤独の中、です。
彼らが何を思ったのかは私には分かりません。
ただ、生前話をしていた内容を省みると、
後悔したことがあったのではないかと思います。
彼らとは亡くなる前日まで、話をしたり、体を擦ったりしに行ってました。
笑っていました。
怒ってました。
おしゃべりしました。
なんとか体を動かしてこちらを見てくれていました。
けれど、もう、病室には居ません。
亡くなった姿は見てません。
カルテ上だけです。
今日、こうして思い出して初めて涙が出てきました。
もっとしてあげられることがあったんじゃないか。
という後悔と、純粋な別れの悲しみです。
あのときは、実感がなくて。
どこか他人事で、涙なんて出ませんでした。
人生ってなんだろう?
ある日、突然人は死にます。
たとえ、元気であってもです。
病ってなんだろう?
どうして病があるのでしょうか。
どうして病で人が突然別つのでしょうか。
目の前の人が突然亡くなってしまったら?
後悔しませんか?
してあげたいことはありますか?
少し、考えてみてください。
死は必ずやって来る。
彼らは私の目の前でそれを教えてくれた存在でもありました。
病院という場所は生と死の場所です。
死を目前にしていた彼らは、
どんな人生を生ききるのかを、
常に突きつけられていた。
残りが長くないことは、
きっと誰よりも知っていた。
どうして今、死なないと言えるのでしょう?
大切な時間をいただきありがとうございました。
明日、死んでしまうとしたら。
あなたは何をしますか?
何を望み、何をやめて、何をしますか?
人生は、周りが良くしてくれるわけじゃない。
人生は、自分が望むことから始まる。
体が思うように動かず、望んでもできないと気がついたときでは遅いのです。
それが、彼らからの伝えたいことじゃないかと思います。
ここからはあくまで私の1意見です。
あなたはどう思うか、が大切ですよ。
病、というのは、
弱音を知ることではないかと思います。
不安な気持ちをさらけ出す。
許せないことを話す。
悲しい気持ちを伝える。
怒っていることを知る。
ここでの私が言う弱音は限りない本心。
けれど、自分でも認めにくい心だと思います。
私が病院にいて、常々感じていたこと。
病院に来る方たちは必ず何かを抱えていました。
いえ、病になる方は必ず何かを抱えています。
自分自身のこと
親とのこと
家族のこと
会社のこと
例えば、
本当は旦那さん、家族のことを気にせず旅行に行きたい
今の生活不満しかない
会社を辞めたくてしかたがない
こんなこと、本当はしたくない
弱っていく自分が受け入れられない
自分が不幸なのは誰それのせい
立場的には望めないこと
明確な理由がなく、自分が悪いんだと責めること
一般的にそういう役割を担う人
本当は不安でしかたがない人
現実を受け入れられない人
弱い自分を受け入れられず、
時には怒鳴り、時には暴れ、時には塞ぎこむ。
入退院を繰り返し、安定と悪化を繰り返す。
そういうことがたくさんありました。
けれど、自分の本心と向き合って、
驚異的な早さで退院する人もいたんです。
私もそうですね(笑)
そう思ってしまったのは覆しようがない事実です。
理由なんて要りません。
やりたくないなら、「やりたくない!」
やりたいなら、「やりたい!」
例えそれが「一般的」には非常識なことでも。
そもそも「一般的」って他所の価値観です。
私の、あなたの価値観じゃない。
もちろん、迷惑をかけてしまうことは慎んだ方がいいと思います。
でも、迷惑ってなんでしょうね?
会社の都合ではないですか?
家族の都合ではないですか?
それは望んでしまったら、伝えてしまったら、人が死んだり、世界が滅ぶようなことですか?
そんなことないですよね。
話がそれましたが
病は、本心から出てきた錆びみたいなものだと私は認知しています。
治すことばかり考えるのではなく、
なんでこの病気になったのか?という原因を探ってみてもいいと思います。
けれどそれは、おそらく直面したくないもの。
見て見ぬふりでもいいです。
向き合ってもいいです。
人生はあなたのもの。
ですから。
死んでしまって、私が真っ先に後悔したのは、
「笑顔が見れなくなってしまうんだ…」
でした。
私はただ、目の前の人が笑顔になってくれれば、
それでよかったんですねえ。