スティーヴン・スピルバーグ監督、ルビー・バーンヒル、マーク・ライランス、ペネロープ・ウィルトン、ジェマイン・クレメント、レベッカ・ホール、ビル・ヘイダー出演の『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』。

 

原作はロアルド・ダールの児童書「オ・ヤサシ巨人BFG」。

 

ロンドンの児童養護施設で暮らす10歳の少女ソフィーは、ある夜、ベランダで目撃した巨人に身体を掴まれて「巨人の国」に連れ去られてしまう。彼女はその巨人、“BFG(ビッグ・フレンドリー・ジャイアント)”と一緒に暮らすことになるが、巨人の国には優しい性格のBFG以外に人間を食べる恐ろしい巨人たちがいた。

 

『BFG』と『オズの魔法使』のストーリーについて触れています。

 

 

日本では今年2本目のスピルバーグ監督作品。2D字幕版を鑑賞。

 

巨人の“BFG”を演じるのは、前作『ブリッジ・オブ・スパイ』にも出演してアカデミー賞助演男優賞を獲ったマーク・ライランス。

 

BFGは身体がひょろ長くて足も長いその外見からして見るからにCG製ですが、おそらくモーションキャプチャーでライランスの顔の表情を取り込んでいるんでしょう。

 

 

 

 

 

 

耳の大きいBFGの顔はファンタジー映画でよく見かけるような昔ながらの妖精っぽいデフォルメされたデザインなんだけど、特に目の表情がマーク・ライランスにそっくり。

 

 

 

彼の優しげな目の演技がBFGを憎めない愛嬌のあるキャラクターにしている。

 

『ブリッジ・オブ・スパイ』を観た時、ソ連のスパイ役であるにもかかわらずライランスの笑顔がとても印象的だったんだけど、スピルバーグもあの笑顔に魅せられたんでしょうね。

 

そしてヒロインのソフィーを演じる映画初出演のルビー・バーンヒル。

 

 

 

 

いかにもファンタジー映画に登場する女の子、といった感じの彼女は映画の舞台となるイギリス出身なんだけど、たとえばやはりイギリス人で同じぐらいの年齢の頃から「ハリポタ」シリーズに出演していたエマ・ワトソンなどと比べても、ソフィーはもっと昔の映画に出てくるような古風な少女像に見える。

 

劇中で彼女が着る服も、いつの時代のものなのかもわからないぐらい。かけている眼鏡のフレームも微妙に昔っぽいし。

 

僕は予告篇の途中までは、てっきりこれは何十年か前の時代を舞台にした映画だと思っていたんですよね。場合によっちゃ100年ぐらい前だったりするのかな、と。

 

だけどそのあとで現代のイギリス軍のヘリが出てくるので、「あれ?現代が舞台なのか」と。

 

しっかり“あのかた”も登場しますし。

 

スピルバーグの久しぶりのファンタジー映画だから(CG映画『タンタンの冒険』は未見)僕は結構楽しみにしていたんですが、鑑賞前にすでに観た人たちの感想をざっと読んでみたところ、「子ども向け」という表現を何度も目にした。

 

ん~、まぁファンタジー映画だし、児童書が原作だし、そりゃ子ども向けだろうなぁ。そんなのわざわざ指摘することだろうか、と思ったんだけど、要するに内容がお子ちゃま向けで大人の鑑賞に堪えるようなものではない、ということだろうか。

 

でも『E.T.』だって子どもたちに向けて作られていたけど、僕を映画館に連れていってくれた祖母も「いい映画だった」って褒めてたけどなぁ。

 

子役時代のドリュー・バリモアが可愛い

 

 

で、ともかく観てみたのですが。

 

なるほど、この映画は「女の子版E.T.」と言われることもあるし、確かに少女がファンタスティックな存在と出会って最後には別れがあるというのは似ているんだけど、『E.T.』が空想的な要素がありつつもちょうど『スタンド・バイ・ミー』のような少年の成長を描いたジュヴナイル物だったのと比べると、同い年の女の子が出てくるとはいえ、『BFG』の方はもっと全体的に幼い感じはする。

 

あくまでも現実的な世界が舞台だった『E.T.』よりも、『BFG』は同じ原作者の『チャーリーとチョコレート工場』のように世界観そのものが「おとぎ話」風というか「ホラ話」っぽいというか、内容がいかにも絵本や児童文学っぽいんだよね。

 

“リアリティ・ライン”がもっと低いのだ。

 

 

 

 

この映画の脚本を担当したメリッサ・マシスンは『E.T.』の脚本家でもあるんだけど(ハリソン・フォードの元妻でもある。2015年に死去。この作品が遺作となった。ご冥福をお祈りいたします)。

 

巨人たちのキャラクターデザインなんかもテクスチャは細かくて一見リアルなんだけどみんな顔つきはデフォルメされていて、「人食い巨人」という設定にもかかわらず実際に人が食われる場面はないし、最後も彼らは死ぬこともなくて離れ小島に追放されるだけ。表現がソフトでいつものスピルバーグの「やりすぎ」ぶりが極力抑えられている。

 

 

 

かろうじて巨大な「おばけキュウリ」の調理の場面が必要以上にグロく描かれているぐらい。

 

 

 

だから「子ども向け」という表現にも「物足りなかった」という意見にも納得ではある。

 

僕も『E.T.』は今でもBSとかで放映してると思わず観てしまうんだけど、それに匹敵するぐらいにこの『BFG』がお気に入りの映画になったかというと、残念ながらそうではありませんでした。

 

それは単に懐古厨の勝手な思い入れなどではなくて、『E.T.』の方がより観客層の幅が広いからでしょう。『BFG』はちょうど親が幼い子どもを連れて観にいく感じの映画で、大人の方は「子ども」の頃の意識に戻って観ないとちょっとキツいかもしれない。

 

逆にそれができれば、そこには懐かしい世界が広がっている。

 

僕は子どもの頃に観たいくつかの映画を思い浮かべたんですよね。

 

サンタクロース』とか『ネバーエンディング・ストーリー』などを。

 

 

 

映画としてどうかというとたわいなかったりお世辞にも傑作とは言いがたい作品でも、幼少期に観て今でも大切な作品ってあるでしょう。

 

僕の場合は『ネバーエンディング・ストーリー』がそうなんですが。

 

この『BFG』は、僕の中にある「ファンタジー映画」のイメージにきわめて近い映画だったのです。

 

今から10年以上前、『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハリー・ポッター』を観た時に感じたのは、「俺の思ってる“ファンタジー映画”と違う」というものでした。

 

「ハリポタ」はまだ1作目あたりはよかったけど、次第に暗くて爽快感のない展開になっていって違和感がありました。

 

その後も『ナルニア国物語』などファンタジー系の映画はたくさん作られてきたけれど、やはり素朴で古典的な「おとぎ話」ではなくて微妙に今風に手が加えられていたり、やたらと戦う場面が多かったりして、これぞファンタジー映画、という作品にめぐり逢うことはなかった(最近ではディズニーの実写映画『シンデレラ』がわりと好きかな)。

 

それは僕がおっさんになって子どもの頃のような素直さや純朴さを失ったからかも、と思っていましたが、『BFG』にはかつて嗅いだことのある香りがほのかにしたんですね。

 

監督が、僕が80年代によく観ていたスピルバーグだったから、というのもあるかもしれない。全体的にとても懐かしい雰囲気でした。

 

ソフィーの前にかつてBFGと一緒に暮らしていた男の子がどうやら巨人に食べられたらしいことがわかってくるんだけど、直接彼が食われる場面は一切描かずに、でも遺された少年の持ち物(ソフィーが着せられたのは彼の服だったし、部屋に彼が描いた絵が残されている)から、恐ろしいことがあったのを想像させる、というやり方で、以前のスピルバーグならそういう残酷な場面は思いっきり映像で見せていただろうところをこの作品ではあえて描かない、というのはちょっと興味深かったです。

 

小さな子どもさんは残酷な場面を怖がるだろうからそのあたりを配慮したのかもしれませんが、語り口としては想像を掻きたててもくれるので巧いな、と。

 

BFGが“マルノミ”たち人食い巨人に苛められる場面には、きっと少年時代にいじめられっ子だったスピルバーグ自身が重ねられていたんじゃないだろうか。

 

だから、巨人の中ではかなり小柄でいつも苛められてるBFGが勇気をふりしぼってソフィーを守るために戦うのは、きっとスピルバーグの少年時代への彼なりの復讐なんじゃないかと思う。

 

そういうことを考えながら観ると面白くはあった。

 

もっとも、後半に登場する“あのかた”=エリザベス二世やイギリス軍には戸惑いましたが。

 

だってもし日本製のファンタジー映画に今上天皇や自衛隊が登場したら、別の種類の映画になっちゃうでしょ(歴史モノで“帝(みかど)”が登場することはあるが)。

 

イギリス人にとっては、女王陛下というのは現実の存在でありながらファンタジーの中の登場人物でもあるってことでしょうか。

 

愉快な場面もあるけれど、この最後にヒロインたちが助けを求めるのが現在の大英帝国の女王、という展開に僕はちょっと首を傾げざるを得なかったんですが。

 

子ども向けのファンタジー映画で一国の軍隊が出動して巨人たちを退治するって、なんかちょっと違うんじゃない?と。怪獣映画とかならわかるけど。

 

まぁ、相手が巨人ですから怪獣映画みたいな要素もなくはないんだけど。

 

ファンタスティックな世界にいきなり現実の世界が入り込んできたような違和感。

 

以前観た『オズの魔法使』(1939)も、最後にオズ大魔王の正体は機械仕掛けの偽物だったことがわかって、“魔法使い”のふりをしていたオズ博士が“かかし”に「大学の卒業証書」を手渡す場面で、「おとぎの国が舞台のファンタジー映画なのに、“大学の卒業証書”って」となんだかヘンな感じだったことを思い出した。

 

『オズの魔法使』は冒頭に「子ども心を忘れていない人と子どもたちにこの映画を捧げる」という字幕が出るように、どこか醒めて見る夢のような、まるで子ども向けの映画の形をとった大人たちに向けて作られた映画みたいな奇妙な後味が残ったんですよね。

 

だからこの『BFG』も紛れもなく子どもたちに向けて作られた映画であることに間違いはないんだろうけど、同時に大人たちがしばし子どもの頃へ戻るための映画だったようにも思えて。

 

いつの時代が舞台なのかちょっと判然としないのも、ソフィーがひと昔もふた昔も前の時代の女の子に見えるのも(原作がそうだから、というのもあるでしょうが)、大人たちがイメージする「少女」の姿に近く描いているからなのではないだろうか。

 

一方で、おばけキュウリの気持ちの悪い描写は子どもが嫌いな野菜を誇張して描いたものなのかもしれないし、バッキンガム宮殿でのBFGの食事の描写やおならなどはいかにも子どもが喜びそうですよね。泡が下にむかって落ちていく飲み物とか。

 

 

 

BFGがすぐに言葉を言いまつがえるのも、子どもたちにとっては結構共感できるところかもしれないし。

 

僕が一番「ファンタスティック」に感じたのは、ソフィーの住む街でBFGが街灯の真似をして隠れたりする場面。ああいうのをもっと見たかった。

 

 

 

メリー・ポピンズ』もそうだけど、イギリスの町並みって古びていて絵になりますね。

 

“夢”を集めて調合する、という場面も、空想的なイメージを鮮やかな色の美しい映像で見せてくれる楽しさがあった(って、あのあたりでちょっと眠くなっちゃったんだけど)。

 

 

 

ストーリーが奇抜だとか意外なオチがあるとかいったことはないんだけど、なんか浸ってると心地よい世界でした。

 

ジョン・ウィリアムズの音楽も、80年代のスピルバーグ映画を彷彿とさせるメロディがどこか懐かしくて聴き応えがありました。

 

何よりも殺伐さがないのがよかったなぁ。そういうファンタジー映画ってもしかしたら今じゃ逆に珍しいかもしれないし。今のこの手の映画って、なんかすぐに刺したり血しぶきが上がったり人が死んだりするじゃないですか。そういうのじゃないファンタジー映画もあっていいと思うんですよね。

 

ソフィーの胸の内の「心の音」とは、『E.T.』でエリオット少年が持っていたのと同じものだろう。宇宙の彼方に去っても、E.T.はいつまでもエリオットの心の中にいる。「心の中の友だち」との別れは永遠の別離ではなく、生きていくうえで真の心の支えとなってくれる存在を得たということだ。

 

優しい巨人との出会いは、朝に目を覚まして新しい一歩を踏み出すソフィーを後押ししてくれるだろう。お友だちもできて、きっとうまくやっていける。ソフィーは優しくて聡明な女の子なのだから。“ファンタジー”は現実に力を与えてくれるのだ。

 

生きていくのは時々つらくもあるけれど、どうかこれからも毎晩スッテキな夢が見られますように。

 

子どもたちとファンタジー映画が好きな大人たちのための映画、だったかな。

 

 

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