ジョン・マルーフチャーリー・シスケル監督によるドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』。2013年作品。

第87回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネート作品。



2007年、シカゴ。ジョン・マルーフはオークションで落札した大量の写真のネガをスキャンしてインターネットに投稿、また撮影者であるヴィヴィアン・マイヤーの行方を調査する。彼女は15万点以上にも及ぶ素晴らしい写真を残しながら、なぜそれらを1枚も公に発表することがなかったのか。生前のヴィヴィアンの生活とその孤独が浮かび上がってくる。


映画サイトの記事を読んで興味を持ち、観にいってきました。かなり短い公開期間なので、たまたま休みが合ってよかった。

突然インターネット上に登場した、それまで誰も知らなかった謎の写真家の正体。とても面白そうな題材。

ヴィヴィアン・マイヤーの本職は乳母であり、彼女の生前に写真が公表されることはなく当然その名が知られることもなかった。

死後発見された作品によって評価された、ということでちょっと思いだしたのが、“アウトサイダー・アーティスト”として今では有名なヘンリー・ダーガーと彼についての映画。

非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』(2004年作品。日本公開2008年)
監督:ジェシカ・ユー ナレーション(一部):ダコタ・ファニング




もっともヘンリー・ダーガーの絵には狂気を匂わせるヘタウマ的な魅力が溢れているが、ヴィヴィアン・マイヤーの写真はヘタウマどころかプロの写真家が撮ったと言われても誰も疑わないような巧さがあり、観る者に言葉による説明が一切必要ないほどの説得力がある。

 

 


構図の巧みさと温もりやユーモア、映画の中でも語られるように被写体との適度な距離感を保ったままストリートの「生の人間」を切り取る絶妙な視点、瞬発力がある。

 

 

 


また、彼女の写真には二眼レフのカメラを抱えた自撮りのポートレイトが結構ある。

 

 

 


そこに映っているのは生真面目そうな彼女の顔だが、そのクッキリとした輪郭の顔立ちと「無表情の表情」とでもいうべきどこか深遠な表情を見ていると、いかにもアーティストで、とても素人に見えない。

実はこの人はれっきとしたプロなんじゃないか、とさえ思えてくる。

正直なところ、この映画を観始めてしばらくはある疑念が拭えなかった。

もしかしたら、これは“フェイク・ドキュメンタリー”なんじゃないのか、と。

つまり、死後その作品が“発見”されて一躍注目されるようになったヴィヴィアン・マイヤーなる人物は実在しないのではないか。

ここで紹介されている写真も、ヴィヴィアンとして写っている女性も、みんなニセモノなのではないのか?

昨年観たドキュメンタリー映画『物語る私たち』を思いだした。

あの映画の中にも、観客の目を欺くちょっとした仕掛けがあった。

だから今回も、すべてがウソではないとしても、映画の終盤に何か“オチ”が待っているのではないか、と期待してしまったのでした。

何しろ、ヴィヴィアンが残したという膨大な数の写真だけでなく、彼女自身も写り込んでいるかなり鮮明な8ミリ映像やカセットテープに録音された音声までもがしっかり残っているんである。

写真家としてはまったく無名でありながら(写真を公表していないのだから当たり前だ)、1920年代生まれで自分の家を持たず乳母として多くの家々を渡り歩いていたヴィヴィアンが何十年にも渡ってそれだけのモノを保存していたというのも信じ難ければ、そんな彼女が育てた人々以外にその活動を知られることがなかったというのも、ちょっとありえないことに思えたし。

この映画に登場する何人もの人々の証言が事実なら、自分のことを「スパイ」だと言ったり、本名を偽ったり、結婚せず子どももおらず、実の家族とも疎遠で、与えられた部屋には誰も入れず書類をうず高く積み上げて雇い主にも触らせなかった彼女が「変人」だったのは間違いないだろう。

美人、とはいえないかもしれないが、写真の被写体としても非常に存在感がある。

あまりにも出来過ぎではないか。

インタヴューの中でも「大女だった」と言われるように長身で、1920年代に流行ったような服装をしていた彼女はどうもキャラが立ち過ぎている。

いっそのこと、彼女の存在もその作品もフィクションであってくれた方が面白かったかもしれない。

ところが、この映画には僕が期待したようなどんでん返しとかオチみたいなものはなくて、また人によって証言が微妙に異なる彼女の性格、特徴なども「正解」のようなものは提示されない。

子どもたちに慕われる乳母であった一方で、暴力的に無理矢理食べ物を口の中にねじ込まれた、と証言する人もいる。

呼び名も“ヴィヴ”だったり“ヴィヴィアン”だったり、雇い主や育てられたかつての子どもたちによってもさまざま。

「ためこみ屋」でいわゆる「捨てられない人」だった彼女は身のまわりのものを倉庫が一杯になるほど溜め込んでいたが、これだけ遺品がありながらヴィヴィアンの「謎」は最後まで解かれないまま映画は終わってしまう。

 
ヴィヴィアンの遺品の一部


あれだけのクオリティの写真を残しながら、それをたったの1枚も世に出さなかった彼女の心の中は誰にもわからない。

一応、それらは“発見”されるために待っていたのだ、と結論づけられるのだが。

ヴィヴィアンは彼女の写真が世に出ることは望んでいたが、“彼女自身”が注目されることは望んでいなかったのだ、と。

男性に触れられることに異様なまでの嫌悪感を示したことから、性的虐待を受けた経験があるのでは、と分析する人もいる。

確かに彼女のような大柄な女性の渾身のパンチを食らったら、大の男だって救急車で運ばれるよなぁ。切り株の上で写真を撮る彼女の身体を支えようとしてあげただけなのに、お気の毒に。

最後に流れ着いた場所でなかなか人と打ち解けずに、それでも周囲の人たちの記憶にその存在を残して世を去ったヴィヴィアン。

魅力的だが、その半生、特に乳母になる前までの彼女の人生は謎に包まれている。

彼女自身はそれを掘り返されることを望んではいなかっただろうから、そのままそっとしておいてあげるべきなのだろう。

ヴィヴィアン・マイヤーの写真と“彼女”の発見者であり、この映画の監督でもあるジョン・マルーフはその点については罪の意識も持っているようだが、やはりヘンリー・ダーガー同様にそれは偉大な発見だったのだろう。

本人が生前に依頼したわけでもなく本来ならば発表されることはなかったはずのものが公衆の目に晒される、というのは倫理的には問題がなくもないが、それでも彼女の撮った写真には、このまま埋もれて誰の目にも触れることなく消えてしまうのは惜しい、と思わせるだけの輝きがある。写真を見ればそれは誰にでも伝わることだ。

彼女の写真がインターネットによって世の中に知れることになった、というのがとても現代的だ。それ以前の時代ならばありえなかったことだから。


このつい最近になって「発見された写真家」について知れたことはよかったけれど、でも『物語る私たち』もそうだったんですが、映画のほとんどがインタヴューで占められていることもあって僕は途中で何度もうつらうつらしてしまいました。

だから重大な部分を飛ばしてしまっているかもしれません。

故人についてのドキュメンタリーの場合、どうしても関係者のインタヴューが主体となるのは致し方ないところなのだろうけれど、できればもうちょっと映像的な変化のある編集にしてもらえると集中できるんですが。

実在したヴィヴィアン・マイヤーさんにますます興味が湧いてきましたが、さて、今後彼女についての何か新たな発見はあるのでしょうか。

あるいは私たち一人ひとりの心の中でいろいろと彼女の気持ちを想像することで、“ヴィヴィアン・マイヤー”という不思議なアーティストのキャラクターを補っていくのが一番なのかもしれません。






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