アンソニー・ルッソジョー・ルッソ監督、クリス・エヴァンススカーレット・ヨハンソンアンソニー・マッキーセバスチャン・スタンコビー・スマルダーズサミュエル・L・ジャクソンロバート・レッドフォード出演の『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』。



“アヴェンジャーズ”のニューヨークでの戦いから2年、“キャプテン・アメリカ”ことスティーヴ・ロジャース(クリス・エヴァンス)はワシントンD.C.に住みながら国際平和維持組織S.H.I.E.L.D.で働いていた。早速ナターシャ・ロマノフ(スカーレット・ヨハンソン)ら仲間とともに海賊に乗っ取られた船からS.H.I.E.L.D.の職員たちを救出するが、長官のニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)はナターシャに極秘の任務を命じていた。


前作『ザ・ファースト・アベンジャー』に続いて、2D字幕版で劇場鑑賞。

監督はジョー・ジョンストンからアンソニー&ジョーのルッソ兄弟にバトンタッチ。

まず、僕は一連のマーヴェル・コミックス原作の実写化作品をこれまで何本か観てきて中には面白かったものもあるけれど(『アイアンマン』とか)、ちょっとここんとこ個人的にノれない作品が続いてて(『アベンジャーズ』含む)今後ずっとお付き合いする元気はないなー、ってことで『マイティ・ソー』の続篇はスルーしてしまったのでした。

でもこの『ウィンター・ソルジャー』は予告篇観てなかなか面白そうだったのと、しばらくアカデミー賞関連作とか人間ドラマが続いて久しぶりにヒーローが大暴れする映画が観たくなったこと、そしてすでに観た人たちにかなり評判がいいので、ともかく映画館に向かいました。

さて、早々とお断わりしておくと、残念ながらTwitterのTLでの多くの絶賛ツイートのようにはアガることはありませんでした。

うーんと、『アベンジャーズ』の時のようにブチギレるつもりはないんだけど、これを「傑作!」と褒めている人たちはけっこう上級者なんではないかと。

いや、単に僕が最新のヒーローアクションのトレンドについていけてないだけなのかもしんないが。

なんていうか、いろいろ難しかったんですよね。

この映画がギャグがほとんどないシリアス・モードの映画だということは前もって知っていたし、映画評論家の町山智浩さんの解説も聴いていたので、スーパーヒーローによるポリティカル・アクションとして楽しむつもりでいたのですが。

で、実際わりと予備知識通りの映画ではあった。

とりあえずこれからご覧になるかたは、前作『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』、そして『アベンジャーズ』は最低限観ておいた方がいいと思います。

なお毎度言ってますが、僕は原作のコミックスはまったく読んでいないので、映画についてのみ書きます。

では、これ以降ネタバレがありますので未見のかたはご注意ください。



かつて祖国アメリカの「もっとも偉大な世代」の兵士として世界征服を企むナチスドイツのヒドラ党と戦ったキャップは、自分が所属するS.H.I.E.L.D.による全世界のテロリストへの大々的な掃討計画に疑問を抱く。

それは守るべき人々から「自由」を奪い、「恐怖」で彼らを支配することではないか、と。

町山さんの解説にあるように、これにウォーターゲート事件以降の現代アメリカの有り様を重ねることで実に興味深く観ることができる。

アメリカ政府による盗聴問題なんかもタイムリーな話題で。

“キャプテン・アメリカ”という前時代的な英雄(現在95歳)を現代に蘇らせることによって、「愛国心とは何か」「正義とは何か」「ヒーローとは何か」を今一度問うといった、それは前作を観た時に僕が期待したアプローチでもある。

だから、それだけとったら大満足のはずなんだけど。

たしかに、味方であるはずの組織の内部に入り込んでいた者の正体が判明するくだりはゾクゾクしました。

まぁ、最初から敵の予想はついてたけど。

キャプテン・アメリカと仲間たちによって70年前に倒されたはずのヒドラは、首を斬られてもまた新たな首が生えてくる伝説のごとく生きながらえて、再び全世界を巻き込む恐るべき計画を実行しようとしていた。

旧式のコンピューターの中に前作でアメリカ軍に捕まったヒドラ党のゾラ博士がデータとなって入っていた、というのは面白かったですね。いかにもマッドサイエンティストっぽくて。

 


キャップは「情報の分断」を提唱して仲間である自分にナターシャの任務のことを伝えなかったニック・フューリーに不信感を持つが、長官から機密のコピーが入ったUSBを手渡されて彼が敵の襲撃で命を落とすと、再びナターシャと協力しあいジョギング中に知り合った退役軍人のサム(アンソニー・マッキー)も加えて、ヒドラに与しない者たちを抹殺する「インサイド計画」を阻止するために戦う。

敵の中にはキャップと互角のパワーを持つ“ウィンター・ソルジャー”がいて、彼の前に立ちはだかる。

その正体は、70年前にヨーロッパ戦線でキャップと任務遂行中に雪山で列車から転落して死亡したと思われていた幼なじみのバッキー(セバスチャン・スタン)だった。

 


彼はヒドラに捕らえられていた時に肉体を改造されたため谷底に落ちても死なず、記憶を奪われて金属製の左腕を持つ殺し屋“ウィンター・ソルジャー”として歴史の裏側で暗躍していた。




この映画が面白かったのは、登場人物たちがキャップと同じアヴェンジャーズのソーやハルクみたいなとんでもなく頑丈で馬鹿力がある神様や怪物ではなくて、あくまでも生身の人間か人間よりもほんのちょっと身体能力が上、というぐらいのプチ超人であること。

銃で撃たれれば傷ついて血を流すし、命を落とす危険もある。

キャップは自力で空を飛べるわけではないし、あまり高い所から硬い地面にいきおいよく着地すれば怪我だってしかねない。

このようにキャプテン・アメリカは「アヴェンジャーズのメンバー中、最弱」などと言われるけど(そのわりにはソーとぶっ飛ばしあってたが)、彼のスーパーマンのような無敵の男ではない肉体的な脆さが「強さのインフレ状態」からこの作品を救っていて、アクション場面で手に汗握らせてくれる。

おかげで、生身の人間であるナターシャ・ロマノフとも釣り合いが取れてるし。

絶妙なまでの俊足ぶりを発揮して次々とテロリストたちを倒していく船のハイジャックの場面はかなりアガる。

キャップの足の速さはその前の「左から失礼」のジョギングシーンでちらっと描かれているので、「そういう人」という設定が観客に自然に入ってくる。

また、丸くてめっちゃ硬い盾をぶん投げて敵を倒す彼は、基本的には相手の命を奪わないということも徹底して貫かれる。

『アベンジャーズ』のように「何でもアリ」の世界になってしまうと逆に命をかけて戦うという切実さが薄らいでしまうのだが(メンバーのほとんどが絶対死なないよーな奴らなので)、これぐらいの等身大の世界観だとその辺りの切迫感もだいぶ違ってくる。

ちょっと「ジェイソン・ボーン」シリーズを観ているような雰囲気もある。

 


あるいは、現実にスーパーヒーローがいて歴史に介入している『ウォッチメン』の世界に通じるものも。

それと今回の最新作で特に感じたのは、キャップは肉体的にはけっして無敵ではないが、その中身、つまり人間としての理性や良心、正義感の揺るがなさにおいてはまさしく超人的なキャラクターであること。

何やら悩んでばかりであっちについたりこっちの味方になったりとフラフラしてるアメコミヒーローが多い中で(X-MENのメンバーとか)、彼は決してブレない。そこが本当に頼もしい。

かつての親友であった“ウィンター・ソルジャー”にとどめを刺さずに命を助けるところも、「どうせそーだろうと思った」とちょっとガッカリしたんだけど、キャップの姿勢は昔から一貫している。

個人的には、バッキーとの決別はキッチリと描いてほしかったですが。

悪役がちゃんと倒されずに「まだまだ次回作にも登場するぜ!」みたいな引き伸ばし方って好きじゃないんだよな。どうもこういう展開、マーヴェルの映画に多いんでずっと気になってるんだけど。

カット割が細かすぎるためにもうちょっとアクションを長廻しでじっくり見せてほしいな、と感じたところも多々あって(特に肉弾戦)、これはこの作品に限らずハリウッドのアクション映画全般に言えることだし観る側の好みもあるだろうけど、全篇同じペースでショットを短く刻まれると逆に単調に感じてしまうこともある。

いや、でもここ最近観たハリウッドのアクション系の中ではけっこう好きな部類ですが。できればもう1回観たいぐらいだし。

未来的な乗り物にしてもCGCGしてなくて実景と違和感なく映ってるように見えるのはさすがですね。




それにしてもファンの人たちのこの映画に対する(というか、アメコミヒーロー映画への)愛情、熱意には圧倒される。

物凄く細かいディテールまで見てるし、登場人物たちの機微にもいちいち反応してて。

僕もそれなりにアメコミヒーロー映画には触れてきたしいつもけっこう集中して観てるつもりですが、自分がいかに表面的にさらっと撫でてるだけなのか、こういうかたがたの感想↓を読むとつくづく思い知らされます。


すきなものだけでいいです

男たち、野獣の輝き~す一の映画、漫画、ゲーム日記~

※不都合がありましたら削除いたします。

もう、こんな素晴らしいレヴューを読んでると、俺みたいなのが知ったような口利いてブログに感想書く意味などないんじゃないか、と思わされるんですが。

僕のアメコミヒーロー映画の原体験はクリストファー・リーヴ主演の『スーパーマン』で、かつての昭和特撮ヒーロー物も子どもの頃よく観ていたんですが、それらはどれも一話完結方式でした。

TVでは毎週新たな怪人が登場して最後にはヒーローの必殺技で倒されていたし、スーパーマンもシリーズ化はされたけど、1本ずつ独立した物語になっていた。

サム・ライミの「スパイダーマン」やクリストファー・ノーランの「バットマン」はどちらも3部作だけど、映画としてはそれぞれちゃんと1本で一つの物語が描かれていて、悪役も最後は倒されるなり捕まるなりしている。

なので、どうしてもここ最近のまるで週刊連載漫画のような続き物になってるマーヴェル・ヒーロー映画には違和感を持ってしまうのです。

町山さん仰るところの「ヌキどころ」がないまま毎回映画が終わってしまう感じで、カタルシスが得られない。

今回の『ウィンター・ソルジャー』は途中のアクションが見ごたえあるので楽しめたんですが、やっぱり最後は「さらに続く」。

これ2020年ぐらいまで続けるつもりらしいですよ。東京でオリンピックやってるよ。

アメリカの連続TVドラマと同じ作りなんですよね。ヒットしてる限り延々続ける、という。

そういう形態に抵抗がない人はいいかもしれないけど、毎週続きが見られるならともかく2~3年に1本じゃ(マーヴェルの映画はほぼ毎年公開されてるが)これでは俺はイケないんですよ。ジラすにもほどがあるだろ。

なので、この『ウィンター・ソルジャー』も「面白い場面もある」といった褒め方しかできないのです。

ロバート・レッドフォードは登場した瞬間に悪役だと予想できてしまって、実際その通りでストーリーには特にヒネりもない。

 


アメリカ政府や組織がいかに腐敗しているか、ということが浮き彫りになるだけで、映画を観終わってもスッキリ「面白かったー!」ってならない。

そこがどうしても不満でね。

人工の翼を装着したサム=“ファルコン”も大活躍でめっちゃカッコイイけど(演じてるアンソニー・マッキーはちょっと顔がウィル・スミスっぽいが)、3隻の要塞空母ヘリキャリアが互いを攻撃しあって全滅するクライマックスは意外性のかけらもなかったし。

あそこは「ファルコンの作戦はそういうことだったのか!」って燃えさせてほしいじゃん。

 


それにさっきも書いたけど、キャップが最後にウィンター・ソルジャー=バッキーを殺すかどうか迷いに迷って、自分の中の不殺のポリシーを破って国のために泣く泣くとどめを刺す、みたいな終わり方ならグッときたかもしれない。

エンドクレジットで映される、バッキーが博物館で彼自身の記録を読むまで自分の正体を知らなかったなんてのも無理がありすぎると思うし。これまで何十年も暗殺稼業してきたんでしょ?記憶が戻るかもしれない、ということを一切考慮に入れてなかったヒドラの連中どんだけヌケてんだよ、と。

あと、“黒い丹下段平”ニック・フューリーは結局死んでませんでした、っていう、これも「どーせ生きてんでしょ」と思ってたらその通りのお約束のパターンだったんだけど、『アベンジャーズ』におけるエージェント・コールソンの件もそうですが、主要キャラが死んだ!…いや、実は生きてた!みたいなのはシリーズが終わる直前までとっといてもらえないだろうか。

 


なんだよ、「薬で脈が1分に1回しか打たないようにした」って。死んでるか生きてるかぐらいわかるだろ普通。もうさ、そんなことが可能ならなんだってアリだって。

死んだと思ってたらやっぱ生きてたとか、やりすぎると映画が崩壊しますからね。

「オオカミ少年」じゃないけど、もう観客はそのうち「○○ついに死す!」みたいなの誰も信用しなくなるよ。「どーせ死んでないか生き返るんでしょ」と。

そういう安易な展開は、物語から真剣味を奪うのです。

あー、真面目に観るような作品じゃないんだ。ただのゴッコ遊びなんだ、と。

みんな、よくそんな茶番に付き合ってるよね。腹が立たないのが不思議でならない。

僕は幼少期によくレゴで怪獣やロボット作って遊んでて、敵味方に分けて戦い合わせてたけど、真剣でしたよ。倒されて一度バラバラになったオリジナルキャラは二度と復元できないから、それはそのキャラとの永遠のお別れだった。

遊びながら気持ちが入りすぎて泣きそうになったりもした。

そんなことはおっさんになった今ではもうできませんが、「真剣に遊ぶ」ってそういうことじゃないのかなぁ。

死んだってどーせ生き返るんだし、だいたいこれはただの映画なんだから、って思いながら観てて何が楽しいんだろ、と。

たとえ架空の登場人物であっても、死んでしまったら今生の別れになる。

それぐらいの気持ちをこめて描いてほしいな。


いつものようにぶつぶつ文句言ってきましたが、現実の世界にきわめて近い舞台でスーパーヒーローが活躍する映画って、まるで『キック・アス』を大真面目にやってるようでもあって楽しかったですよ。

主演のクリス・エヴァンスは『ファンタスティック・フォー』の“ヒューマン・トーチ”の軽さから愛すべき“95歳のDT(童貞)男”キャップへと変貌を遂げて、この最新作でかなり愛着が湧いたのはたしかです。

“ブラック・ウィドウ”ことナターシャ役のスカーレット・ヨハンソンって、昔からこんなにハスキー・ヴォイスだったっけ。なんか年々声にドスが効いてきてる気がするんですが。

細いウエストと出てるとこは出てるボン・キュッ・ポンの峰不二子体型(てゆーか、どう考えても不二子ちゃん演じるなら黒木メイサじゃなくて彼女だと思うのだが)は眼福の一語に尽きる。

 


スカヨハは別に好みのタイプの女優さんではないけれど、童貞君をちょっとからかってみるとことか、こういうおねえさんは好き!(^o^)

劇中でナターシャはロバート・レッドフォード演じるピアースに「みんなに君の個人情報を知られてもいいのか」と脅されてたけど、なんでしょう?1984年生まれというのは嘘で実は戦中生まれのBBA、ってことですかねw

個人的には、1作目で互いに惹かれあいながらもスティーヴが長すぎる冬眠に入ってしまったために結ばれることはなかったペギー・カーター(ヘイリー・アトウェル)が年老いた姿で再登場する場面にちょっとウルッときた。

 


“時をかける童貞愛国者”スティーヴ・ロジャースは、最後まで彼女を愛し続けていた。ずっと持ってたペギーの顔写真がまた泣かせる。

ペギーを演じていたヘイリー・アトウェルは、1作目では彼女のことを「類人猿顔」とかヒドいこと言ってる人もいたけれど、軍隊で男どもを統率するにはあれぐらい強面の方が説得力があるしw 僕は好きだったんだがなぁ。

原作者のスタン・リーおじいちゃんは、キャプテン・アメリカの博物館の警備員を演じてましたね。いいお年だけど、どうぞこれからも長生きしてください。

アイアンマンに続いてキャプテン・アメリカも3作で完結だそうで、次回作は2016年公開予定。

僕は原作を一切知らないので今後の展開とかまったくわからないんですが、思うんだけど、1作目でコズミック・キューブに触れてなぜか消えちゃったレッドスカルのタコ兄貴ね。




あまりに不憫すぎるから、3作目で復活させてくんないかな~。

「ちょっとアスガルドまで行ってたよ」みたいなノリでさぁ。

キャップの最大の敵は絶対にタコ兄貴でしょ。

監督は続投らしいんで、バッキーも再登場するはずの完結篇、楽しみにしてますから頼んますよ(しかし『アイアンマン3』の例もあるからなぁ…)!!



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