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三池崇史監督、大沢たかお藤原竜也松嶋菜々子岸谷五朗永山絢斗伊武雅刀山崎努出演の『藁の楯 わらのたて』。

原作は木内一裕の同名小説。



7歳の孫娘を無残に殺された経済界の大物・蜷川(山崎努)は、犯人の清丸(藤原竜也)を殺した者に10億円支払う、と広告を打つ。SPの銘苅[めかり](大沢たかお)と白岩(松嶋菜々子)は、福岡県警に自首してきた清丸を警視庁に移送するよう命じられる。


木内一裕とは、「ビー・バップ・ハイスクール」のきうちかずひろのこと。

この「藁の楯」は彼の小説家デビュー作なんだそうで。読んでませんが。

今回(っていつものような気もするが)、この映画の監督の三池崇史氏、また原作者の木内一裕氏、あるいは出演者のかたがたに対する暴言・中傷ととられかねない文章になっていますので、「おまえは何様のつもりなんだよ、殺すぞコラァ!!」「知ったよーなことぬかしやがって、このシャバ僧がぁ!!」などと怒りをおぼえるかたもいらっしゃるかもしれません。

あらかじめご了承ください。

以下、ネタバレあり。



三池崇史作品は2010年の『十三人の刺客』、そして2011年の『一命』を劇場で観て以来。

昨年公開された裁判ゲームの映画化作品やミュージカル仕立ての番カラ純愛映画、教師が生徒殺しまくる映画(あいかわらず多作ですなー)は未見。

この『藁の楯』は映画館で予告篇を観て「なんか大味なアクション物っぽいな」と思って軽くスルーの方向で考えてたんですが、友人が「胸クソ悪かったけど面白かった」といっていたので観てみることに。

ほかにすでに観た人たちの感想にもちょっと目を通していたので、なんとなくどんな内容なのかは知っていたんですが。


幼い子どもたちを残忍な手口で殺した性犯罪者がいて、この男には反省の色がまったくない。

彼に孫娘を惨殺された金持ちのじいさんが、新聞広告やネットで「この男を殺してくれたら10億払う」といいだす。

味方にまで命をねらわれた犯人は身の危険を感じて福岡県警に出頭する。

そこから警視庁に彼を移送しなければならないが、10億という金に目がくらんだ警察関係者や一般市民たちが次々と彼を殺そうとおそってくる。

主人公たちはこの「クズの弾よけ」になって彼を殺されずに無事、東京まで送り届けられるのか。

また、その途上で多大な犠牲が出てしまうが、そこまでしてこの男の命を救う必要があるのか、といった問いかけをふくんだ作品。

…と、まぁこんなところ。

これ自体はなかなか興味深いテーマではある。


僕はこの映画を観ていて、ある映画のことが思い浮かびました。

それはコリン・ファレル主演の『S.W.A.T.』。

『S.W.A.T.』(2003) 監督:クラーク・ジョンソン 出演:サミュエル・L・ジャクソン ミシェル・ロドリゲス



あの映画では逆に護送される犯人が「自分を助けだしてくれたら大金を払う」といって、やはり金が目当ての人間たちが特殊部隊の主人公たちをおそう、という展開だった。

映画秘宝6月号」で、原作者の木内一裕が「先に考えていたのはこっち。あんな映画といっしょにしないでほしい」というようなことをいっていて、どちらが先とかそんなことはこの際どうでもいいんだけど、僕はそれでもこれはいろんな意味でおなじようなタイプの作品だと思いました。

ありえない話であることでは同類ではないかと。

『S.W.A.T.』で主人公たちをおそうのは武装したならず者たちだったけど(ふつうの人もいたっけ?)、この『藁の楯』では警官以外にも医療関係者とか中小企業の社長とか犠牲者の遺族とか、一般市民たちがおそいかかってくるということでは、むしろよりいっそう凶悪な作品といえる。

『S.W.A.T.』はあくまでもリアリティうんぬんは脇に置いた純粋なエンターテインメントとして作られているのに対して、この『藁の楯』は「そのへんのふつうの人さえも金がからめば堂々と人殺しをする」といっている。

これは一見「リアリティ」があるようでいて、根本のところで「もしも10億もらえたらあなたは人を殺しますか?」という“究極の選択”的なゲームである。

だいたい、凶悪犯罪者の首をねらっておそいくる一般人と警察の戦いなんて、そんなもん現実にありえるかよ^_^;

だからちょうど深作欣二監督が『バトル・ロワイアル』で中学生たちに殺し合いをさせたのとおなじ発想なのだ。

『バトル・ロワイアル』(2000) 出演:前田亜季 栗山千明 柴咲コウ



そういえば、あの映画でもやはり藤原竜也が主演していた。

僕は『バトロワ』も公開当時に劇場で観たけど、倫理観うんぬんを問題にしてちまたでやたらと騒がれてたのに反して「荒唐無稽にもほどがある話だな」としか感じなかった。

山本太郎安藤政信が演じるスーパー中学生とか、笑っちゃったんですが。

この2本に共通しているのは、そもそも作り手自身が「人間」というものを信じていないんじゃないか、とおもわせられるところ。

『バトロワ』も、そのなかで描かれる登場人物たちの行動について「なんでみんなあんな簡単にクラスメイト同士で殺し合ってしまうのか。人間を単純化しすぎではないか」と疑問を呈している人もいた。

現在の学校のイジメ問題や集団内での同調圧力などをみて「やっぱ、そのとおりじゃん」と感じてる人もいるかもしれないけど。

『バトロワ』も『藁の楯』も、自分の命や大金がかかればおまえらはいくらでも他人にヒドいことができるクズなんだよ、といっているようである。

観る者が『S.W.A.T.』ではいっさい感じなかったこのような不快感や嫌悪感は、やはり僕には映画の作り手の人間不信、虚無感、あるいははなから人を小バカにして見下してる性根からきているようにおもえるのだ。

いや、深作監督にかんしては、見下すもなにもきっと大真面目にやってらっしゃったんだろうけど。

戦争中に多くの同級生たちの死を目にして、戦後は大人たちが手のひらを返したようにこれまで教えてきた軍国主義教育をあっさりくつがえす姿を見た少年時代の深作欣二が深い不信感に見舞われたことは、氏のかずかずの発言からわかる。

でも僕は『バトロワ』に対しては、人間を“大人”と“子ども”に二分して、大人=悪、子ども=犠牲者、と単純に振り分けているところに妙にズレた感覚をおぼえたし、しかもその子どもたちでさえも頭の弱い有象無象として描いていたところになんともいえない嫌悪感をおぼえたんですが、『藁の楯』も登場人物たちは、わずかな人数をのぞいては誰も彼もが本性むき出しのクソ野郎ばかりである。

『バトル・ロワイアル』も『藁の楯』も、すべてが極端にデフォルメされて描かれる、要は「劇画」の世界なのだ。

木内一裕は漫画家だから、やはり彼が書くものというのは小説というよりも漫画に近いのではないか。

木内一裕や三池崇史がどんな人生を送ってきたのかは知る由もないけど、彼らの作品にはやはり根っこのところで「けっきょくはみんなクズ野郎」という諦念というか、彼らの場合はそれを怒りや他人を見下す冷笑的な態度などで表現しているように思う。

笑いの世界でも「冷笑」が行き着くところまで行ってしまうと「人間不信」におちいるように、物事を単純化して人間を十把ひとからげにすれば「世のなかの奴らはみんなクズ」という結論になりかねない。

ネットでそういうこといってる頭の傷んだ人々いるでしょう。

でもすべてがそうじゃないんだよね。

かりにそうおもえるのは、なによりもまずそう感じてる「あなた」にそういう資質があるからだ。

そしてこの『藁の楯』は、この映画を観て「ヒドい映画だった。こんな映画作る奴らはクソだ!」と本気で腹を立てる人がいるだろうことも織りこみ済みでわざと観客を挑発している。

さすが変態監督、三池崇史だと思う。

「あぁ、怒ってる怒ってる」と監督がほくそえんでるのが目に浮かぶようだ(勝手な想像)。

僕が本気でこの映画に腹を立てる気になれないのは、監督のそういうもくろみが見えてしまうから。

そういえばこの監督は、自分がかつて学生時代にいじめっ子だったことを得意げに語ってもいた。


たしかに世のなかにはウンザリするような事件がたえず、面白半分に犯罪を犯す「クソ野郎」は掃いて捨てるほどいる。僕だって義憤にかられることはある。

この映画でそれを体現するのが藤原竜也演じる清丸なわけだが、基本的に『カイジ』のときとおなじ演技の藤原竜也がどんなにわめいたり憎まれ口を叩いてみせても、僕には彼が到底クソ野郎には見えなかった。

逆にいえば、あの役を藤原竜也が演じていたからこそ、僕はこの映画をかんぜんな「フィクション」として楽しむことができたともいえる。

ほんとに現実にいる「クソ野郎」を描くんだったら、もっとふさわしい俳優がほかにいるはずだ。

有名俳優である彼が演じてる時点で、この清丸というキャラクターにはある種のフィルターがかけられている。

なんか遠まわしに藤原さんの演技力をバカにしてるみたいですが、ほかの出演作でも彼の演技はつねに舞台劇的で、僕は映画的なリアリティを感じたことがないんだよね。

あの演技スタイルで良しとしてるのは三池監督が作品をメジャー系のエンターテインメント映画として成り立たせるためにとった措置なのかもしれないし(ってゆーか、もちろんあの出演陣だからこそ予算が下りたんだろうけど)、映画で舞台劇的な芝居をしちゃぜったいにダメだとは思わないけど、たとえば刑事役の岸谷五朗が蜷川と通じているとうたがわれて大沢たかおの前でしていた両手を大仰にふりまわす舞台劇演技を見て、僕はこっぱずかしかったんですよ。

あの演技はいいのか?と(;^_^A

オーヴァーな身振り手振りは海外の人たちには別に違和感ないのかもしれないけど、僕はああいう大芝居をされるといっきに冷める。

やっぱり題材にあわせて役者も芝居しないと。


さてストーリーについてですが、さっき書いたように僕はこの映画は『S.W.A.T.』や『バトル・ロワイアル』などとおなじようなタイプの娯楽作品だと思うんで、たとえば主人公たちにおそいかかってくる人々をゾンビに替えれば『ドーン・オブ・ザ・デッド』になるといった具合で、これをあたかも“現実の社会問題を反映させたリアルな人間ドラマ”(そんな映画がほかにどれだけあるのか知りませんが)のようにあつかってもあまり意味がないんじゃないかと。

サスペンス・アクションとしてはなかなか面白かったです。

異常な台数の警察車両、『ダークナイト』ばりの護送車の縦転(?)、新幹線や自動車などでの移動など、大々的なロケ撮影を慣行した映像の見どころはけっこうある。

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結末について「あんな終わり方でいいのか?」と後味の悪さを感じた人もいるようだけど(それがふつうの反応ですが)、作り手のスタンス、つまりこの映画がいわんとしてることからすれば、清丸がつぶやく最後の一言は僕には予想できたし、まぁああいうシメ方になるよな、と思いました。

あれだけの犠牲を出してまで守った男は、最後まで反省もしないまま捨て台詞を残して死刑になる。

…どうだい、ムカつくだろぉ?と。


すでに多くのかたがたがさまざまにツッコミを入れてるのでいまさらなにかいうこともないんだけど、目についたもの、気になったことなどをいくつか。

岸谷五朗演じる警部補の部下の神箸(永山絢斗)は妙に態度がデカくて口が悪く、なにかといえば銘苅たちや清丸、そして福岡県警の刑事(伊武雅刀)に食ってかかるんだけど、僕は警察のことまったく知りませんが、若いくせに刑事ってあんなにガラ悪いんですかね。チンピラみたいなんだけど。

簡単に人に銃をむけるし。

そして、この映画では刑事たちがしょっちゅう大声で本音を叫ぶんだけど、これがもうなんていうか「こんなクズは殺してもいいだろう」みたいな台詞ばっかなんだよな。

ハリウッドのアクション映画なんかでは刑事とか警察官の腐敗・汚職がしばしば描かれるけど、この『藁の楯』でも基本的に警察が一番信用できないというふうに描かれている。

そのへんも権力に対する反抗、というようにもとれるけど、最初に書いたように、この映画の作り手たちは警察にかぎらずすべての人間を「クズ」とみなしているふしがある。

「飲酒運転の常習犯で主人公の妻を轢き殺した男は、その手でぶっ殺したいだろ?」と嬉しそうにささやいてくる。

ここでも「幼い女の子の命をむごたらしくうばった性犯罪者」と「飲酒運転で事故をくりかえす男」は「クズ」として乱暴にいっしょくたにされている。

そんなクズどもは殺してもいいだろう?と。

で、主人公はクライマックスで長々とこれまでの自分の苦悩を語りつづけるのだ。

「清丸を一番殺したかったのはオレだ」と。

それが本音でしょ?と、また作り手のほくそえんでる顔が浮かんでくる。

しかし、妻を殺されたことと幼女殺害の被疑者への怒りは別のもののはずだ。


それと「殺しても許されるんだったら殺すでしょ?」というのはじつは作り手の勝手な思いこみで、そうじゃない人だって世のなかにはいるのだ。

現実におこった事件や事故の遺族はみんな犯人を殺してやりたいと思っているだろう、と考えているのなら、それは作り手の人間を見る目が偏っているだけの話。

人は人間としての尊厳を守るために、“鬼畜”と同類になってたまるか、と思うからこそ、自分の大切な存在をうばった者をたとえ許すことはなくても、ただ憎むだけではなく“憐れみ”のまなざしでみつめることはある。

そういうことがこの映画の作り手には理解できていない気がする。またはわかってて無視している。

金に困っている奴は、もしも大金が手に入るのなら我先に犯罪にも手を染めるだろう、という性悪説にもとづく認識。

タクシーの運転手の余貴美子が「貧困者」について「お金があれば困らないでしょ」みたいなことを語るけど(この人、途中でいきなり消えたけどどこ行ったんだ?)、まさしくこれは「人間、貧すれば鈍する」という、作り手たちの貧乏人を見下した態度のあらわれでなくてなんだろう。

映画作ってる人たちというのは貧乏人を見下せるほどそんなにもうかってるのか、それとも貧乏だからこそ世を恨んで「みんな俺たちと同類だろ」と思ってんのか。

そのどちらでもないことは知ってますが。


もちろん、僕がここでいってるのは「映画」についてであって、この映画を作ってる人たちと作品とはかならずしもイコールではないことは重々承知しています。

でも『カイジ』で金に群がる「人間のクズ」たちがこれ以上ないほど記号的に描かれていたように(というか、作り手がそういうふうにしか描けなかったんだろうが)、この『藁の楯』に登場するキャラクターたちもまたこの手の劇画的類型キャラから出ていない。

清丸を最初から同情の余地もないかんぜんな「クズ」として描いてしまうと、主人公が彼を守る意義を観客が感じられなくなって「さっさとそいつ殺せよ」と思われてしまうおそれがあるからか、清丸には母親がいて息子のことをつねに心配していたが今回の彼の犯行を知って自殺してしまう、という展開が後半にある。

そのことがラジオのニュースと清丸の台詞のみで伝えられる。

母の自殺を知って車のなかでむせび泣く清丸。

犯人にこういう人間的な面をもたせることによってそのキャラクターをより複雑に描こうとしたのかもしれないが、僕にはひどく中途半端に感じられたのだった。

あと、刑事の神箸もそうだったけど、この映画ではやたらとみんな「母ちゃん、母ちゃん」いうのはなんででしょうか。

そりゃ母ちゃんは大切だけど、母親の介護がどうとか、とにかくぜんぶ薄っぺらいんだよ。

『バトロワ』のたけしがそうだったように、とりあえずなんかそういう家庭環境についての情報を入れておけば登場人物たちに人間味がくわわると思ってるなら、それは勘違いもはなはだしい。

いきなり母ちゃんの話とかされたって共感も感情移入もできるかっての。

そのあたりのテキトーぶり、記号的な描写のかずかずが目についてしかたなかった。

だから『S.W.A.T.』のことバカにできないと思いますよ、木内さん。


駅で刃物をもってちいさな女の子を人質にとる男は、僕は最初こいつが清丸の犠牲者の父親だと思ったんですよ。

でも、そしたらおなじように無関係な女の子をヒドい目に遭わせる理由がわからないから「?」と思ってたら、ただ単に借金で首が回らなくなってヤケクソになったオヤジだったという。

なんだそれ?って。

だいたい、たとえ清丸の殺害に成功して10億円を手に入れたとしても、相手が凶悪犯罪者だろうとその時点で自分も殺人犯になって警察に追われる身になるわけだから、金に困ってるからって一般人が清丸の命を狙って群がってくるなんてのはどう考えてもおかしいだろ。

実質的には銀行強盗するのと同じようなことなんだから。

金に困ってる奴はみんな銀行を襲うかっていったら、そうじゃないでしょ?

もうそのへんですでに無理があるんですよね。

だからどんなにシリアスに話を進めていっても、物語自体にちっともノれない。

かと思えば偶然とおりかかった車の運転手が清丸の犠牲者の父親だったり、いきなり「乗ってく?」とあらわれる余貴美子とか、ストーリー展開も「なにも考えずに書いていったんじゃないのか?」というぐらいずさんそのもの。

松嶋菜々子演じる白岩は一度清丸に隙をついて逃げられたのに、その直後にまたよそ見してて殺されてるし、どんだけトンマなSPなんだよ。

腕のなかに「マイクロチップか」とか。…いったいこれのどのへんが「リアル」なんだ?って。

映画秘宝で木内さんが豪語してたような大層な物語にはどうしてもおもえないのだ。

原作ではどうなのか知らないし、監督は三池さんだから当然この映画の責任は彼にあるわけですが。


とはいえ「娯楽作品」として割り切って観れば、そんなにムゴい映画ではなかったと思います。

別に観たことは後悔してないし。

ツッコミどころ満載のストーリーも、こうやって長々と文句垂れられるぐらい楽しめる、ということだから(^o^)

劇中で松嶋菜々子が藤原竜也に「ババア」「臭い」といわれてて気の毒だった。

天下のミタさんに「臭い」って(;^_^A

藤原竜也だって、ほんとは松嶋菜々子のことをBBAよばわりできるほど若くないんだけど。

童顔だから若者という設定なのかな。


じつはこの映画、こんな内容だけど年齢制限がないんですよね。PG12(12歳未満の年少者の観覧には、親又は保護者の助言・指導が必要)ですらない。

これはちょっとおどろいた。

たしかに直接的に残酷な映像というのはないんだけど、清丸が女の子の遺体をどのようにあつかったかという説明があるし、ちいさな女の子が人質になって包丁を突きつけられて泣き叫ぶ場面もある(子役の演技が真にせまりすぎてて観ていてツラくなってくる)。

僕が観た回では客席に子どもはいなかったけど、その気になれば小中学生だけでも観られるということだ。

う~ん、どうなんだろな。

映倫は、性器や切り株やモツが映ってなかったら、幼女の死体も刑事が撃たれて血を流しながら死んでいく映像も、性犯罪者がちいさな女の子のパンツみて欲情してる場面も子どもに見せていいよ、っていうのかね。

僕は個人的には、この映画はR15+(15歳未満は観覧禁止)ぐらいでもいいと思うんだけど。


今回もこうしていつものように“口だけ番長”ぶりを発揮しておりますが、三池監督の『十三人の刺客』はわりと好きだったんです。

だからこの監督の作品すべてが肌に合わないわけではない。

ただ『十三人~』は時代劇だし、悪いバカ殿(ゴローちゃん)を退治する勧善懲悪モノだったので痛快だったけど(グロいのはあいかわらずだが)、今回の映画は犯人を送り届けたらオッケーという話ではないしもっと現実寄りの話なだけに、作り手の「人間をみつめる目」の成熟度が問われてもおかしくない。

僕はちょっと韓国のヴァイオレンス映画『悪魔を見た』あたりを思いだしたんですけどね。

あの映画も現実の社会病理を反映した人間ドラマだと勘違いしてしまうととんでもなくムカっ腹が立ってくるんだけど、じっさいは単なるグロいホラー映画だったわけで。

あるいは園子温の映画とか。

つまりそれらはどれもが「エクスプロイテーション(搾取)映画」なんである。

たとえ現実の事件を連想させるような題材をもちいていても、作品自体は単なる見世物にすぎない。

だから映画秘宝あたりで持ち上げられるのもうなずける。

「娯楽映画」というのはじつは作り手や観客の倫理観や道徳観などをしばしば無意識のうちに反映するものなので、この映画を観ていろいろ議論してみることは無意味だとは思わないし、観終わったあとに誰かと語りあいたくなる映画だったのはたしかです。

長々と書いてきましたが、園子温の映画を観たときにも思ったけど、三池崇史監督という人もまた、いかがわしくちょっと怖い「悪場所」であった頃の映画館の雰囲気を残した作品を作りつづけている作家なんでしょう。

大好きな映画監督ではないけれど、たぶん今後もまた観る機会はあると思っています(※追記:…とかいいながら、もう何年も観ていませんが^_^;)。



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