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私は今日やったような作業が一番嫌いだ。

文字を大きくすることすら面倒くさい。

おのれコロナ許すまじ。

 

毎日同じようなことを書いていて、ネタはとうに尽きています。その中でも、昨日書いたことは、私のコロナ関連の記事では最重要のものでした。読み返すと、あまりまとまってませんが・・・。

やるべきことは簡単です。国民を動かさないこと。そのためにも収入は補償し、安心して休業できるようにすること。つまり、政府が巨額の不労所得を与えるのです。不労所得を得た国民は、そりゃあ大した娯楽はないとしても、とにもかくにも「生命活動を維持する」ための心配は無くなります。そうなって初めて、自粛は可能になります。他に方法は無い。

このシーンは歴史に残ると思いますが、安部総理大臣はこのように発言しました。

 

 

「バーやクラブには相当の売り上げがあり、これを補償することは、できない、できないわけです」 

 

 

ああ、もう、できない(したくない)ということは、よーく分かった。

それでは、廃業するか、ヤミでやるしかない。廃業と簡単に言いますが、それは多くの人の収入が途絶え、死ぬことを意味します。最近はよく「死ぬ」という言葉を使っています。だって本当にそうなんだもん。

 

なんだろうなあ。

どうしようか、補償しようか、すまいか。そう考える余地がある、そのこと自体が不思議です。バーやクラブに限りません。補償しないということは、死ねということです。そこで悩むということは、死んでもまあ仕方ないか、と考えているわけです。理由は「オカーネが無いから」。

何か別の手当てをするとは言いますが、何度も何度も何度も何度も何度も何度も言うように、GDPの穴埋めがまともに措置されていない以上、補償とはかけ離れた、「呼吸することだけは許す」という程度の措置にしかならないのは確定しています。これも算数の問題です。もちろん補正予算を重ねれば別ですが、今のところはね。

 

以下をご覧ください。

 

 

 

これは私が5分で作った図です。いやすまん見栄を張った。15分か20分はかかったと思う。←

上に行くほど災害は甚大になります。コロナの災害規模は上の方にある横のラインですが、これは「甚大・広範囲」と呼んで差し支えないでしょう。財政赤字の規模は下の方にある横のライン。全く不足していると思われます。この差は、一応、ソフト的な努力により縮めることができます。(青い矢印の部分。) ただし疫病の場合は「自粛」を伴うので、むしろBの矢印を伸ばす結果にも繋がります。つまり、ソフト的努力は、とても根本的解決にはなり得ません。

そして、緑の矢印Aの幅の部分が「人災」に相当します。図の右下にある通り、目標とすべき財政赤字額と、実際の赤字額の差です。

この図は極限まで簡略化しているので、色々と斟酌していただく必要があります。例えば、

 

「現在の災害規模(コロナ)」 のところまで 「財政赤字の規模」 を引き上げれば、被害がゼロになる

 

ように見えますが、もちろん違います。死んだ人は生き返らないし、潰れた供給力が一瞬で戻ってくるわけでもありません。また、財政赤字として支出した分が「理想的な配分」になることもありません。人によっては手厚くなったり、反対に不足したりという濃淡があります。それから、昨日書いたように、財政赤字の拡大は過去のバランスを食い潰しますが、その点はこの図では考慮されていません。

いずれ版を重ねるかもしれませんが、あくまでもイメージとして捉えてください。

そして、少なくとも、「A」の部分は人災です。政治の不作為です。不作為の原因は何かというと、

 

 

オカーネがない

 

 

という誤解であり、無知であり、すなわち、生きることに怠惰だった結果です。

では、Bの矢印(天災部分)は操作できるんですか。人間が調節できるんですか。できませんよ。多少の抵抗はできるとしても、人の動きを制限して、頭を低くして嵐が過ぎるのを待つしかない。ならば、Bの矢印の多くの部分は、人知の及ぶところではない。

それに対してAの矢印を狭くする努力をしないのであれば、この国が一応の先進国として(もはや途上国だと思いますが)生き残れるかどうかは、

 

 

 

 

ということになります。

だから、昨日書いたことの繰り返しです。財政赤字の額は、人が決めることではありません。災害の規模が決めるのです。人ができるのは、その差を少しでも詰めることだけです。

この禍がどこまで続くのかは全くわかりませんが、ほとんど戦後の焼け野原状態になる可能性すら有ります。そうなれば、モノやサービスが貴重品になり、いよいよ名実ともに途上国としてのインフレ生活が始まります。我々は、「運を天に任せて」疫病が去ってくれるよう、祈るしかない日々を続けているのです。やろうと思えばやれることを、やりもせずに!!

もちろん神仏は大事です。日々の平安のために神仏に祈ることを悪いとは全く思いません。しかし、三浦建太郎さんの漫画『ベルセルク』に、こんなセリフがあります

 

 

「祈るな!!

祈れば手が塞がる!

てめえが握ってるそれは何だ?!」

 

 

このセリフを、日本政府、全ての政治家に。

そして、その政治家を選ぶべき、多くの人々に。

日本国が手にしている、それは、何なんですか。

 

昨日書きましたが、「各家庭に借金のタカを考えさせて、後で返済させる。これが僕の考え。」などという話が偉そうにまかり通るようでは終わりです。

この国の将来は、祈りや運の先にはありません。

祈りは、やってもいい。

いいけど、やることを全部やってから、その後だ。

 

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