どいつもこいつも同じ、という前回の話を書いた後で
あ、幸福の科学あるやん(←)
と思ってちょっと見てみたら、教祖様の著書の見出しに
「国民買収型のバラマキ選挙が生んだ1100兆円の財政赤字」
という例によって例によるアレがあったのでアウト。むしろダブルプレー。 バカだねえ。ここで正しく違いを打ち出せばいいのに。まぁ打ち出してもアウトですが。(え?)
この通り、「いずれにせよアウトな人々」ですら、カネに関しては同じレベルなのです。
それだけ強く「財政赤字は悪」であり「借金返済は善」という考え方が浸透していて、それこそ宗教の力(笑)をもってしても敵わないわけで、どうにもこうにもならないという悲劇的なお話。
「人を殺すのは悪」という常識以前の話までは行かずとも、もはや「移民を制限するのは悪」くらいの話よりは浸透しているかもしれません。
次。
数日前の麻生財務大臣。
「東京で景気回復を実感できないという小池氏の感性はおかしい。東京以外の人が言うのはまだ分かるが」
あれ?
>「東京以外の人が言うのはまだ分かるが」
>「東京以外の人が言うのはまだ分かるが」
>「東京以外の人が言うのはまだ分かるが」
>「東京以外の人が言うのはまだ分かるが」
分かるのかよ。
じゃあやっぱり増税したらダメやんか。
いや、別にもう期待してませんけどね。このお方も広い意味では「その他大勢」と同じでした。すなわち、お金は大事だし、節約して借金返済しないとダメだという考えの持ち主だったわけです。
いや、H24年末は本当の本当に期待してましたよ。過去形ですが。割と本気でこの国の救世主レベルだと思っていた、そんな頃が私にもありました。
「いや違う、財務省に取り込まれただけ」とかいう話があるかもしれませんが、そんなこたぁ知らんし興味もないですね。
F1で結果を出せないドライバーが「ちょっと体調が」とか言っても「アホか交替しろ」と言われるだけです。F1のチームは、大規模な場合は4桁の人数が必死で動き、何十億円単位のカネが簡単に動きます。クラッシュしたらその全ての努力は泡と消える。ましてや政治にはその何百万倍の影響力があるとお思いか。
自分の中では理解していたのに、単に行動が伴わなかっただけだ、ということで頭をナデナデしてもらえるのは小学生までです。
私のブログの最大の特徴は次の通り。
(ここでは10年、それ以前も10年やってますが、ずっと同じです)
①ブログの趣旨の99%以上は誰かの受け売りだと自白し、隠さないこと
②間違いは間違いだと認め、オノレの愚かさを糊塗しないこと
①②どちらに関しても、そのこと自体を扱った記事を何度か書いていますので、古くから見て頂いている方にはお馴染みの話でしょう。
私は無知ですから、誰かへの追随しかできず、オノレの頭で捻り出せるオリジナルなことといったらほとんどありません。(①)
そう自覚している以上、能力があるように見せかける必要は一切無く、政治家でもないのだから、「アホでしたごめんちゃい」と言ってしまえば終わりだし、現にそうしてきました。(②)
従って、私は「いいこと探し」など絶対にしません。
ここで言う「いいこと探し」とは、自分の予想や期待を裏切られた場合に、オノレの誤りを認めたくないがために、勝手な新基準、想像、現実逃避などによって自分を落ち着かせたり、反対側の人々や転向した人々を批判したりする、心理的防衛反応です。極めて恥ずかしい。
私が、現政権支持者をいきなり批判することはありません。なぜって、安倍政権はその人にとって期待通りの働きをしているかもしれないからです。
しかし、私個人にとっての「期待」は全く違いました。毎年継続的に、それこそ10兆円とか15兆円とかの「機動的で大胆な財政政策」、すなわち第二の矢を撃ってくれると思い込んでいました。
初年度に13兆円という数字が出たときは、
よしきた!!
と思ったものです。(実はちょっと足らんとも思いましたが笑)
早い話が、史上初めて「政府の負債の意味」と「保守の意味」を理解している人達が政権の中枢に来てくれたと思っていたのです。
しかしその後は消費増税、その事後対応としての単発・数兆円程度の補正、猛烈な借金返済、様々なグローバリズム推進など、全く違う方向へ進んでいます。
「TPP絶対反対 嘘つかない ブレない 日本の農業を守る 自民党」
を看板の一つに掲げて政権復帰した人達がアレだったことも記憶に新しいでしょう。
え?
農業は交渉で守られたじゃないかって?
国がTPPに対応した農家支援をするじゃないかって?
そうなんだへー ふーん
H24年末の時点で「安倍自民なんかダメに決まっている」と断言していた人がいたとしたら、私はオノレの不明を恥じ、正直スマンかったと言う他ありません。
※ただ、H24年末の時点で「ダメに決まっている」という判断は、単なる運や直感、または何か裏情報でも握っていない限り不可能だったのでは・・・という気はしますが。
つまり簡単な話、私は間違えたのです。「安倍・麻生に裏切られた!」のではなく。
いや、今の政権運営に満足しているアナタは間違っていないんですよ。良かったですね、正しい選択ができて。(嫌味ではない。私にその手のくだらない感情はゼロです。)現に、そういう人は今でも半分くらいいるんじゃないですかね。政権支持率を見ても。
私と、それらの「正しい選択をした人々」とでは、H24年の選挙で同じ勢力を支持しながら、動機は全く違っていたということです。もちろん、そういうのは普通にあり得るでしょうね。
ただし民主主義とはここからが勝負で、間違いを正すことができます。「あれがダメなら次はこれ」が可能なのが民主主義です。しかしこれは最近言い続けているとおり、「あれもこれもダメ」だからこそ苦境にあるのですが。
もちろん、民主主義はさらにその先の選択肢も用意しています。自分で立候補することです。そもそもそれが民主主義の真骨頂であり、
今の政治に賛同できないなら、(条件を満たせば)誰でも公平に立候補できる
ことにこそ意味があります。
ただしこれも、カネも地盤も知名度もゼロで、最も深刻なことには自らの無能が災いし、私には選択不可能な道です。
さあ、ここが問題なのです。
有能ならば自らを取り巻く環境を変え得る。しかし無能ならば、その環境に殉じて生き、死ぬしかない。はいその通りです。
でもね、一つ言わせて貰えれば、そもそも「無能がのうのうと楽に生きていける社会」こそが望ましいのではなかったか。私は、そして多くの人は、この一点において正義を気取るしか無い、のではないか。
そこで言っていることは本質的に、
「自分はアホで何もできないが、十分な収入が欲しいし、望ましい結婚もしたい。病気やケガの際には満足のいくケアを受けたい。高齢になっても好きなことをしたい。幸せに死にたい。」
そういうことです。これほどの自分勝手がありましょうか。しかし、例えば経済移民という迷惑この上ない人々だって人間であり、意思があるのと同じように、私のようなアホ・無能であっても生物としての一般的な願望はあるのです。
それを無能の自分勝手な戯言だと切り捨てるならば、「無能側」としては暴れるしかない。どんな役立たずにも意思はあるからです。ゴミ虫だって潰されそうになったら逃げるし、小動物だって捕まりそうになったら噛み付く。
この衝動自体を否定することは誰にもできないし、だからこそ政治家は耳に心地よいことを言うわけでしょう。その本質は「皆さんはとてもアホだけど救ってあげますよ」だけれども。
従って我々は、無能の分際で自分勝手な願望を垂れ流しているということを自覚しながら、「庶民の声を聞け」と正義ヅラしなければならないのであって、この点を認識せず、庶民は誰しも先天的に幸福であることが道徳の絶対軸における正義であり、それを推進するオノレは賢く立派だと思い込んでいると、何もかもがあやふやになるのではないか。
民主主義とは親切なもので、更にその先の道も用意してくれています。それが表現の自由です。例えばこのブログです。笑
アホは自分専用の零細ブログなどを作ったり、行政に意見を出すなどして、地道な活動を続ける他ありません。たとえゴミ虫であっても。
このことに関連し、問題なのは、
>今の政権運営に満足しているアナタ
ではありません。
満足してるんなら万事OKです。有能ならば環境を変え得る、と先に書きましたが、現政権に満足しているのなら変える必要もないでしょう。
そうではなく、ここで注目したいのは、
実は全く満足していないが、自分の誤りを認めたくない
人々です。
何か良い考えを思いついたときに、それに固執する心理は、確かに理解できます。私個人のどうでもいい例を挙げると、大昔、株や為替の投機を上手くやれないかと考えた(恥)ことがあり、
あっ、コレダ
という戦略を思いつくと、反証が出てきても認めたくなくて「いやそんなことは無いはずだ」と「良いこと探し」を始めるのです。色々と数字をこねくり回して、
ほらやっぱりね!
と自分を安心させるためのネタを捻り出す。愚かですね。結局は「思いつき→反証発見→否定の心理→泣く泣く受容→また思いつき→(ループ)」を繰り返した挙げ句、「必勝法とかバカじゃないの?」という、お前こそバカじゃないのとしか言えない当然の結論にたどりついたのですが。
これは私の投機という死ぬほどどうでもいい話ですから誰にも関係ありませんが、政権選択、投票先はそうも行きません。
何度でも繰り返しますが、現政権に満足しているのなら何も言いますまい。どうぞ今回も過半数を取る様子を高みの見物でもなさっていてください。(いいなあ)
しかし、そうではない方々。特にここで問題にしている「実は満足していないがH24年末の誤りを認めたくなくて支持を続けている」方々、それでいいんですか。本当にいいんですか。
断言しますが、ここで言う「良いこと探し」は、オノレを賢いと思っていたり、社会を深く憂えているとムダに自覚している人に極めて多く見られる心理的防衛反応ですからね。
再掲。
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従って我々は、無能の分際で自分勝手な願望を垂れ流しているということを自覚しながら、「庶民の声を聞け」と正義ヅラしなければならないのであって、この点を認識せず、庶民は誰しも先天的に幸福であることが道徳の絶対軸における正義であり、それを推進するオノレは賢く立派だと思い込んでいると、何もかもがあやふやになるのではないか。
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すなわち、自己絶対化です。
賢い自分が間違うわけがない。
社会を深く憂える、意識の高い、この自分の選択は正しいはずだ。
現状上手く行っていないのは、何か別の要因があるはずだ。
従って、これは賢い自分のミスではない。
今はその「別の要因」を叩くことに注力すべきだ。
その別の要因って何だろう。あっ、アレだ!!コレもあるじゃないか!!
やはり賢い自分の選択は正しかった。その根拠はアレやコレだ。
そんなことも分からない連中の短慮には呆れるばかりだ。
え~、繰り返しお伝えしますが、私は賢くなく、むしろアホです。従って色々なことをよく間違います。
であればこそ、H24年末に現政権を支持した理由を明確に思い出し、それに全く沿っていない以上は支持できません。なぜなら、私もまた特別な存在だからです私は間違い得る存在だからです。
それでも自民党候補者に投票する方は多いでしょう。理由は様々に考えられます。
経済はダメダメだが、野党はもっとダメである可能性を見越すとか、防衛面で現政権以上の働きをする野党が考えられないなど、ダメージコントロールの意味合いが強い場合。または、そもそも現政権に満足している場合。
それはそれでいいと思いますよ。民主主義ですから、尊重されるべきです。
ただそれは、あくまでも現政権が選択肢の中で最上であるということを自分の心理と離れたところで確信し、自分の生活にとって最も効用が高いと確信した上で決定すべきです。その効用とは、ほとんどの場合は「すべからくアホどもも幸福な国になる(またはそちらに近づく)」ということになるでしょう。何度も言っていますが、それなら一切問題はありません。
しかし、実は「やばい」と分かっているのに、H24年末の自分の選択に間違いは無かったはずだという、そのしょうもない自尊心、クソくだらない見栄、薄っぺらな自信を抱いて投票所へ向かうことだけは無いよう、(お互いに)心したいものです。
仮に同じ党・候補者への投票だとしても、澄んだ空気の中と靄の中では、意味は大きく異なります。今回の総選挙はどこに投票するにも苦渋の決断となりますが、その苦渋の決断は、広い意味で「意地」とでも呼ぶべき壮大な勘違いの中ではなく、あくまでも清明な意識の中でなされるべきです。
私は、靄の中で何が何だか分からないまま、ましてや、何が何だか分からないことさえも自覚できないまま生きていくなど、御免被ります。