またまた前回の続きです。
前回は「殺人は他の悪しき行為の延長線上にある」という話をしました。
繰り返しになりますが、法的なことならいざ知らず、少なくとも「なぜ人を殺してはいけないのですか」という質問への回答を考えるにあたっては、明らかに延長線上にあります。
そういうわけですから、
・殺人がいけないとわかっているのだから
・盗みがいけないことだというのも当然わかっている
はずです。
他人を殴ることも、お金を拾ってネコババすることも、他人に対して誹謗中傷をすることも、全ていけないことだとわかっているはずなのです。
それがわからんのなら、なぜその質問者は、
「どうして人を殺してはいけないのですか。」
という質問を発するに至るまでの間、このルールだらけの社会において無事やってこられたのか。
殺人がいけないことだと分かっていないのなら、なぜ今まで好き放題に嫌な人を殺したり、そこまではなくとも、遠慮なく殴ってこなかったのか。さらに、なぜ欲しいものを好き放題に盗んでこなかったのか。
逆に言うと、なぜ、そんな質問をするほど何も分かっていないくせに、これまで大きく逸脱することもなくルールを真面目に守ってきたのか。それは、すでに全ての答えを知っているからではないのか。
「どうして人を殺してはいけないのですか。」
と"だけ"質問するのは、ちゃんちゃら可笑しいのですよ。
なぜそこだけをわざわざ選んだのですか。
別の言い方をすると、なぜ今まで、
「どうして友達の髪の毛をひっぱってはいけないの?」
と、真面目に、真剣に質問してこなかったのですか。当然の疑問のはずなのに。
それら全ての(軽微な)悪しき行為に疑問を持つようでなければ、ここで主題になっている「問い」を投げかける資格はありません。
そしていまこの話の中で主題になっている「問い」は、結局以下のような「問い」と同じことなのです。
「どうして道徳を守らねばならないのですか。」
うわぁ~ アッタリマエ~
だと思いませんか。
そう、ごく当り前のことなのだと思いますよ。
------
さてさて。
「どうして友達の髪の毛をひっぱってはいけないのですか。」
という質問をする人はほとんどいないと思いますが、
「どうして道徳を守らねばならないのですか。」
これなら結構ありそうな気がしませんか。
中途半端に反社会的なことを、そしてまた同時に「大人が即座の回答を得難い」ことを承知の上で、小学生や中学生あたりが肩に力を入れながら持ってきそうな質問です。
その答えは、当然ながら殺人の話と同じであり、
「そういうルールになっているから。」
ということでしかなく、または答えなど無い、ということになります。
この話の前半の方で私は、
>キーとなるのは、自分の頭の中を省みることです。
と書きました。
答えは全て自分自身でわかっているはずなのです。納得できる答えを捜すには、自分の頭の中を自分でかき回してみるしかありません。簡単に言うと、
自分で考えろ
ということです。
私は、小学校の授業に採用するかどうかなどという問題は別にして、道徳なんざ全く興味はありません。
それでも殺人はしませんし、誰かを理由もなく殴ったりしませんし、他人に対して無意味に嫌な言葉を投げかけたりもしません。
なぜか。
そんなことしたくないからです。
では、なぜ、そんなことをしたくないのか。
したくないものは、したくないからです。
仕方がないでしょう。
誰かにやれと言われても嫌ですよ。
なぜって、嫌なものは嫌だからです。
これは、利己的な条件を全て除いても同じことです。あり得ない話ですが、例えば私が透明人間になって、利害関係も無ければ会ったこともないそこらの通行人に
「死ねや」
と囁いて嫌な思いをさせる遊びがあるとしても、そんなこと絶対にしません。
こんなもんに答えは無いのです。
それでも敢えて言うなら、やはりそれが答えです。
「嫌だから」ということです。「他人に嫌なことをするのが不快だ」ということです。私の精神がそのようにできているのだとしか言えません。
誰か他人の首を、グッタリするまで締め付けることや、包丁で他人の腹を刺し貫くことに嫌悪感を覚えます。そして、もちろん程度の差はあれ、盗むことにも嫌悪感を覚えますし、罵詈雑言を投げかけることにも嫌悪感を覚えます。
では、あらゆる悪しき行為に対し嫌悪感を持つのであれば、お前は聖人君子だということか?
んなわけない。
聖人君子と呼ばれる人は、たぶん民主党の悪口とか書きません。笑
というわけで次回は(まだあるんかい)、程度の差こそあれ「全ての悪しき行為」への嫌悪感を持ちながら、なぜアリんこは踏みつぶすくせに殺人はしないのか、そのあたりについてウダウダ書いてみようと思います。
前回は「殺人は他の悪しき行為の延長線上にある」という話をしました。
繰り返しになりますが、法的なことならいざ知らず、少なくとも「なぜ人を殺してはいけないのですか」という質問への回答を考えるにあたっては、明らかに延長線上にあります。
そういうわけですから、
・殺人がいけないとわかっているのだから
・盗みがいけないことだというのも当然わかっている
はずです。
他人を殴ることも、お金を拾ってネコババすることも、他人に対して誹謗中傷をすることも、全ていけないことだとわかっているはずなのです。
それがわからんのなら、なぜその質問者は、
「どうして人を殺してはいけないのですか。」
という質問を発するに至るまでの間、このルールだらけの社会において無事やってこられたのか。
殺人がいけないことだと分かっていないのなら、なぜ今まで好き放題に嫌な人を殺したり、そこまではなくとも、遠慮なく殴ってこなかったのか。さらに、なぜ欲しいものを好き放題に盗んでこなかったのか。
逆に言うと、なぜ、そんな質問をするほど何も分かっていないくせに、これまで大きく逸脱することもなくルールを真面目に守ってきたのか。それは、すでに全ての答えを知っているからではないのか。
「どうして人を殺してはいけないのですか。」
と"だけ"質問するのは、ちゃんちゃら可笑しいのですよ。
なぜそこだけをわざわざ選んだのですか。
別の言い方をすると、なぜ今まで、
「どうして友達の髪の毛をひっぱってはいけないの?」
と、真面目に、真剣に質問してこなかったのですか。当然の疑問のはずなのに。
それら全ての(軽微な)悪しき行為に疑問を持つようでなければ、ここで主題になっている「問い」を投げかける資格はありません。
そしていまこの話の中で主題になっている「問い」は、結局以下のような「問い」と同じことなのです。
「どうして道徳を守らねばならないのですか。」
うわぁ~ アッタリマエ~
だと思いませんか。
そう、ごく当り前のことなのだと思いますよ。
------
さてさて。
「どうして友達の髪の毛をひっぱってはいけないのですか。」
という質問をする人はほとんどいないと思いますが、
「どうして道徳を守らねばならないのですか。」
これなら結構ありそうな気がしませんか。
中途半端に反社会的なことを、そしてまた同時に「大人が即座の回答を得難い」ことを承知の上で、小学生や中学生あたりが肩に力を入れながら持ってきそうな質問です。
その答えは、当然ながら殺人の話と同じであり、
「そういうルールになっているから。」
ということでしかなく、または答えなど無い、ということになります。
この話の前半の方で私は、
>キーとなるのは、自分の頭の中を省みることです。
と書きました。
答えは全て自分自身でわかっているはずなのです。納得できる答えを捜すには、自分の頭の中を自分でかき回してみるしかありません。簡単に言うと、
自分で考えろ
ということです。
私は、小学校の授業に採用するかどうかなどという問題は別にして、道徳なんざ全く興味はありません。
それでも殺人はしませんし、誰かを理由もなく殴ったりしませんし、他人に対して無意味に嫌な言葉を投げかけたりもしません。
なぜか。
そんなことしたくないからです。
では、なぜ、そんなことをしたくないのか。
したくないものは、したくないからです。
仕方がないでしょう。
誰かにやれと言われても嫌ですよ。
なぜって、嫌なものは嫌だからです。
これは、利己的な条件を全て除いても同じことです。あり得ない話ですが、例えば私が透明人間になって、利害関係も無ければ会ったこともないそこらの通行人に
「死ねや」
と囁いて嫌な思いをさせる遊びがあるとしても、そんなこと絶対にしません。
こんなもんに答えは無いのです。
それでも敢えて言うなら、やはりそれが答えです。
「嫌だから」ということです。「他人に嫌なことをするのが不快だ」ということです。私の精神がそのようにできているのだとしか言えません。
誰か他人の首を、グッタリするまで締め付けることや、包丁で他人の腹を刺し貫くことに嫌悪感を覚えます。そして、もちろん程度の差はあれ、盗むことにも嫌悪感を覚えますし、罵詈雑言を投げかけることにも嫌悪感を覚えます。
では、あらゆる悪しき行為に対し嫌悪感を持つのであれば、お前は聖人君子だということか?
んなわけない。
聖人君子と呼ばれる人は、たぶん民主党の悪口とか書きません。笑
というわけで次回は(まだあるんかい)、程度の差こそあれ「全ての悪しき行為」への嫌悪感を持ちながら、なぜアリんこは踏みつぶすくせに殺人はしないのか、そのあたりについてウダウダ書いてみようと思います。