こんにちは。小さな村の保健師です。
保健師の仕事についてもう少し書きますね。
今回のテーマ「私が保健師になった理由」
前回、保健師についてあれほどわかりにくい仕事と書きましたが、じゃあ、なぜ私は保健師になったのでしょう。。。
私も最初は看護師を目指して看護学校に入ったはずなんです。
以前、私はテニスコーチでした。でも生涯テニスコーチをするには体が虚弱。怪我が多くて、腰痛も酷くて、転職のため看護学校に社会人入学しています。
年取って転職するなら資格は最強。看護師なら何歳になっても仕事があるだろうという浅はかな考えでした。
ですから、看護学校入ってからの勉強の量には実に絶望したものです。
でも、後が無い年齢。やるしかないと気合いで勉強しました。
記憶力や思考が衰えてくる年齢ですから、現役の頃のように効率よく定着しません。授業で寝ることもせず、予習や復習など自宅学習も相当しました。
おかげさまでなんとか4年間の学業を終え、今、ここにいます。
保健師になろうと決めたのは4年生の6月頃、既に看護師の就職先で内定を頂いていましたが、土壇場で進路変更しました。
概ね看護分野の学習を終えてみて、私自身、どうしてもどの分野の看護もピンと来ない部分があったからです。同級生はみんな急性期やりたい、難病やりたい、小児やりたいなんて自分の進路考えてましたけど、結局私はどれも自分に向いているように思えず。
そんな中、感じていたのは実習での患者さんとの関係性のこと。
私は老年看護学実習で一人のパーキンソン病患者さんと出会います。薬のコントロールのため入院してる方でした。
老年看護では疾患のケアと共に患者さんの余生や生活の信念・信条なんかが重要になってきます。まして難病の患者さんですから、病気を抱えてこれから先も生きていくことを考えなければなりません。
そんな看護計画、私にはちょっと壮大でした。入院期間中にこの人の何がわかる?病気を含めた全体像が見えたとして、退院までに私に何ができる?退院指導で、この病気はこれからこんな症状が出てきますよとか、生活にはこういう所に気を付けてくださいねとか、そんなことをお話しますが、それだけでいいのかな?その時その時の患者さんや家族の気持ちを支えたり、その患者さんの家と暮らしぶり、人生観に合った支援をしてあげなきゃいけないのではないか…なんて考えると、どんな看護計画を立てたら良いかわからなくなり、やるせなくなりました。
その患者さんは俳句が好きでした。私は俳句なんて何もわからないけど、教えてもらいながら一緒にデイルームで俳句を詠んだりしてました。俳句の雑誌に自分の作品を投稿したりしてるそうで、「退院した後〇〇さんの作品が掲載されるの楽しみに見ておきますね」なんて言って私も患者さんの人生観を少しわかり始めた頃、実習は終わります。
老年だけでなく、どの分野の実習もそうでした。これから患者さんのこともっと知れる時なのに…という感じ。
そして、老年実習も終わりに近づいた頃、その患者さんから「学生さん住所を教えて」と言われました。「お手紙を書きたいの。」と。
でも、学校の規則で連絡先は教えてはいけないことになっています。患者さんの個人情報を持ち出すことも厳禁。
私はこの患者さんが退院後、どんなふうに生活し、病気とどんな気持ちで向き合っていくのかが気になって仕方ありませんでした。幸せに人生を全うすることができたのか、この方の生涯を見届けたい思いに駆られました。規則を破って住所を教えようかと悩みました。結局、私は規則を破る勇気もなく、俳句雑誌にその方の作品が投稿されるのを立ち読みすることしかできませんでした。
そんなふうに、看護実習を全て終えると、担当した患者さんが一人一人、どうしてるのかと気になりました。あの人はなぜあの病気になったのだろうか、治療後には再発していないだろうか。辛い思いはしてないだろうか、頼りにしていた家族はどうしているだろうと。
そうこうしているうちに公衆衛生看護を学び、保健師実習に行き、そこで、それまでのモヤモヤ解消の道が開けました。自分のやりたい看護はこれだと。
そして保健師になって思うこと。
人は良い生活を長く続けることでより健康になることができます。
でも、生活を変えることは容易ではなく、変えた生活を維持するにもパワーと時間が必要です。
だから、一人では闘えなくて、頼れる人や支えてくれる人が必要なのだと思います。
その人に寄り添って一緒に少しずつ歩みを進めていくことで、一歩、一歩と、より健康な生活に進んでいく。それが保健師の仕事の喜びです。
困難事例もあり、うまくいかないこともたくさんありますが、世間から厄介視されている人も、何か求めていることがあって、満たされていない部分があるのです。どうしても一人では解決できない課題があることが多いのです。保健師はそこをほんの少し埋めてあげられる仕事でもあるかもしれません。
あの頃の私はそこまでわかっていなかったと思いますが、病院に来る人だけではなく、来ない人を助けたい、地域で生きる人を広く支えたいと思ったのでしょうね。
人と関わる仕事が好きで、人と心から繋がれる仕事が好き。だから、誠意を持ち、丁寧に支援を続ける。そんな看護職を目指したいと思ったのではないでしょうか。
それが「私が保健師になった理由」です。
人を助けられるのは医療の現場だけではありません。
病院で医師や看護師が頑張って繋いでくれた命を生活の場へ引き継ぎ、長く寄り添いながらその意志を支え続けるのが私の仕事です。
担当の対象者さんが亡くなる時、悲しみはもちろんありますが、その人生の終焉に「幸せな人生だった」と感じているだろうなと思えた時、私はこの仕事を誇らしく思い、涙を拭いてまた前を向くことができます。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また何か伝えたいことが出てきたらお会いしましょう。