アキグミと宮沢賢治『なめとこ山の熊』 | 絵本島 

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 アキグミです。もう少しすると真っ赤な丸い実がたくさんなります。


 

 葉っぱは咳にいいそうです。乾かして、お茶にしました。咳が出始めたら飲みます。私の場合、確実に咳がおさまります。


 薄い水色です。くせもありません。

 低木ですが、枝を煎じたものは、なんと!心臓に良いそうです。長生きできますね。


今日の絵本は


 なめとこ山の熊

宮沢賢治 作

あべ弘士 絵

miki HOUSE


 宮沢賢治の『なめとこ山の熊』です。

 あべ弘士さんの絵です。

 あべ弘士さんの絵が、気高さを感じさせる絵です。表紙の熊は特に気高さを感じます。


 小十郎は生活のために熊撃ちをしていますが、熊を粗末にはしません。

 死んだ熊に


「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも打たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生まれたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生まれなよ。」

(『なめとこ山の熊』より)


と、己が生きていくためにクマを殺さなければならない不条理を説きます。それと同時に「この次は熊に生まれるな」と、熊への愛情も示しています。

 

 小十郎は里では誰にも相手にされない、と言っていますが、その通りで、こんなふうに心を痛めて獲った熊の毛皮も安く買い叩かれてしまうのです。


 小十郎は、山の中の熊の生活も見て、知っています。熊の言葉も分かるくらいです。

 小十郎に「あと二年待ってくれ」と言った熊は、二年後、本当に小十郎の家の前で死んでいました。


 そんな小十郎ですが最後は大きな熊に殺されます。その熊は「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった。」

と、言いました。


 山の熊たちも、小十郎を理解していたのですね。小十郎も熊を愛し、熊もたち小十郎を愛し、お互いに畏敬の念を抱いていたのではないでしょうか。

 それは、物語の最後、小十郎の死骸を囲んで平伏している熊たちの姿に象徴されているように思いました。


 

 自然と共に生きること、自然に畏敬の念を抱くこと、自然と共に生きる生き方にも畏敬の念を抱くこと、が大切であるように思えます。それがこのお話に出てくる、熊や小十郎の生き方に気高さを感じさせるのだと思います。あべ弘士さんの表紙は特に、この気高さを表現しているように思えます。

 

 近代以降、人間は開発の名の下に自然を支配し、管理下に置いてきました。自然を粗末に扱い、破壊してしまったこともたくさんあったと思います。自然への畏敬の念はそこにはありません。物語の中では里がそれを象徴しています。生きていた時には心も、言葉も、家族も、命もあった熊の毛皮を安く買い叩き、放り出しておくのです。そしてご馳走を食べるのです。

 そこには自然への畏敬の念も、命への畏敬の念もありません。

 

 でも、そのような近代史の上に現代の私たちの便利で快適な生活があることも確かなのです。


 だから時々は、このような物語を読んで、人間も自然の一部であること、最後の最後には死にゆく生き物であることを覚えておきたいものです。